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小説 誕生日 第7話

 次の日、朝ご飯を用意しているとほたるが起きてきた。

「あー、やっちゃん、これハムエッグ?」

 目は半分しか開いていないのに、鼻だけはクンクンと子犬のように動かす。

「ああ、ほたるの好きなハムエッグ作ったから、顔洗ってこい」

「はーい」

 昨晩、ほたるが床に就いた後も頭の中が不規則なリズムで波打っていた。姉貴の言い分もわかるが姉貴の行動は理解できない。あれほど両親のことを大切に考えている姉貴なのに。僕らを育ててくれたことを僕の何倍も感謝しているはずなのに。

 弟だからなのか、感受性が鈍いからなのか、僕は姉貴の話を聞いて気づくことが多々ある。そんな姉貴が僕らを捨てた人に感謝するなんて……。産んだからといって、その後は何をしても許されるわけじゃない。

「やっちゃん、パン焦げた臭いするよ!」

 ほたるの声で我に返る。

「あっ、ごめんごめん」

 あわててトースターから食パンを取り出した。

「まっ、これぐらいならいいっか」

 皿の上のうっすら黒くなった食パンを見下ろし、ほたるは半分以上諦めたような顔をした。

「ごめんごめん。たっぷりジャム塗って――」

「あっ、これほたるが作ったジャムだ!まだこんなに残ってたんだ」

 両親が作ったイチゴを持って帰り、姉貴はほたると二人でジャムを作った。「おすそわけ!」と、瓶に詰めたジャムが届いたのは実家に行ってから五日後だった。ジャムは日持ちがするので後日、両親にも届けに行ったらしい。

「二回目に作ってくれた、冷凍パックに小分けにしてくれたやつだよ。一個ずつ解凍して食べてたけど、もうこれが最後のだ。ホント、うまいわ」

 果肉がしっかり残っていて、ジャムを“塗る”というより“載せる”という感じになるほどだ。

「うん、おいしいよね。ほたるんちはヨーグルトにもいれてたから、あっという間に無くなったんだ。よかったー、また食べれて」

 ほたるはスプーンでジャムをゴロリと食パンに載せた。

「今年のイチゴはジャム用にはピッタリだったな」

「また来年も作ってくれるって、おじいちゃん言ってたよ。またジャム作れるね」

「まあな。そのままでも美味しかったら、もっといいけどな」

 冗談めかして言い、ジャムを載せたパンを口に入れた。ジャムの瓶を見ると、もう底が見える程になっていた。

 朝食を終え、ほたると一緒に家を出た。ほたるは歩いて学校に向かう。いつもより時間はかかるが「途中で友達に会うから平気!」らしい。その頼もしい後ろ姿を見届け、車に乗りこもうとした瞬間、ほたるが振り向いた。

「やっちゃん、ケーキ忘れないでよ!」

 歌うみたいなほたるの声に「はいよ!」と合いの手みたいに答え、学校に向かった。

 職員室の机は学年担任ごとに固まりになっており、二年のクラスは六クラスなので、三列が向かい合った形で並んでいる。僕の机は廊下側の真ん中に位置している。右隣りが理科担当の山内先生。左隣りが国語担当の畑先生。どちらも四十代で年上の人たちに挟まれている。

 昼休み。僕は学食でささっと昼食を終え職員室に戻って来た。他の先生達は弁当を持参して昼食を済ませたはずだ。昼休みは次の授業の準備や採点に時間を使う。生徒との面談をすることもある。向かいと左斜め前の先生達が留守なのは多分そういう理由だろう。

「山内先生、出産って大変でした?」

 事務連絡でもするように、さりげない口調で聞いた。

「えっ、どうしたの急に。まさか……生徒じゃないよね?」

 プリントに目を通していた山内先生がこちらを向き、心配そうにそろりと聞く。

「あっ、いえいえ、違います」

 あわてて訂正する。彼女は高校生と中学生の子どもがいる。親しみやすい人で、生徒のことや授業のこと、何かというとすぐに相談をしてしまう。

「いや、そういうんじゃなくて――」

「あっ、そうなんだ。川口先生、結婚してたっけ?」

「いや、してないです。いや、僕のことじゃなくて――」

「誰か近い人が子ども生まれるの?」

 こういう話題を出すと、「彼女が妊娠したの?」とか興味本位で聞いてくる人もいるだろうが、山内先生は根が真面目な人なので助かる。

「昨日と今日、姉の娘がうちに泊まりに来てて」

「あっ、出張の時に泊まりに来るっていう――」

 前に「姪っ子が可愛くて」と親バカならぬ叔父バカを披露したことがある。

「そうなんです。で、一緒にテレビを見てたら『出産が大変だった』という人が出てきて。姉が出産した時、近くに住んでなかったから姪っ子の出産の様子を知らないんですよね。姉も大変だったのかな、なんて姪っ子を見ながら思ったりして」

 我ながら『上手なウソをつくな』と思いながら真顔で聞いた。

「ああ、私は大変だった。もう昔の話だけどね」

 懐かしむような口調で手に持っていたプリントを机に置いた。

「特に一人目が、ほんと大変だった。陣痛が来るんだけど、なかなか間隔が縮まなくて、一日半ぐらいずーっとそんな感じだった。夜中もほとんど寝れないのよ」

「えー、そんなこともあるんですか?」

                     ( 第7話 終わり )

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