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小説 誕生日 第9話

「それに妊娠中って自分の体なんだけど、いつもと勝手が違う、っていうのかな――」
 宮脇先生がつけ加える。

「よくあるじゃないですか。例えば、風邪気味だなって思ったら、こんな風にすれば治る、っていう自分流のやり方」

「あっ、あるある。僕は『あっ、やばいな』って思ったら、サウナに行くね。で、しっかり温まって、家に帰ってすぐに寝る」
 得意げに答えたのは畑先生だった。

「私も熱ーいお風呂に入って、温かいココアを飲んで寝る」

 二人の答えに宮脇先生はそうそう、と共感しながらうなずく

「僕はチョコレートを食べますね」

「えっ、何それ?」
 
 畑先生が好奇の視線を僕に寄せる。他の二人も同じような目で見る。

「チョコレートをこまめに口に入れてると喉が楽になって、いつの間にか治るんですよね」

「えー、それはどうかな……」

 困ったような顔で宮脇先生が笑顔を作る。他の二人も同じような反応だ。

「いや、でも、僕には確実に効くんです」

「プラシーボ効果、ってやつね」
 
 山内先生がうなずきながら目じりを下げる。

「そう、それって自分の体のことをどう扱えばいいか、何となくわかっている、ってことでしょ」

「確かにそういうことよね」

「それが妊娠中は通用しないんだなー、って思いましたね」

 体育が専門の宮脇先生は僕たちより体のことには敏感だ。その人がそう感じるのだから、きっとそうなのだろう。

「でもママたちって、子どもが生まれたらもう次の日から、数時間おきに授乳とか子育てが始まっちゃうんだよね。だから忙しくて、妊娠中のこととか出産のこととか忘れちゃうのよ」

「確かにそうですね。余韻に浸っている間はないですよね」

 経験者たちの言葉は重い。僕はもちろん、畑先生も返す言葉がみつからなかった。

「でも教員はまだ融通が利く方じゃないかな……。産休も育休もあるし。入院になっても、ある程度は他の先生たちで補填し合えるし」
 思い出したように畑先生が言った。

「僕の妻は教員じゃないから急に入院になって、そのまま出産まで自宅療養のために休むってことになるとね――。会社も大変みたいで。小さな会社だったから余計にそうなのかもしれないけど。直接言われたわけじゃないけど、何となくわかるらしくて。妻もモヤモヤした気分で子どもを産むの嫌だな、って思ったみたいで結局、会社辞めちゃったんですよ」

「えー、そうなの……」
 山内先生は前のめりになり、眉間にうっすらと皺を寄せた。

「でも、その後に勤めた会社の方が居心地も良かったみたいで。こんなことならもっと早く転職するんだった、なんて言ってましたけどね」

「まあ、それならよかったけど……」

 昼休みの終了のチャイムが響いた。

 五時間目の授業のある僕と山内先生はあわてて次の授業の準備をして職員室を出た。

「すみません、昼休みを潰しちゃって」
 急ぎ足で隣りを歩く山内先生に言った。

「いや、確かに出産って言ってもいろいろな状況があるよね……」
 しんみりとした言葉が返ってきた。

「そうですね、確かに……」

 そう答えながら複雑な環境にある生徒のことが頭をかすめた。山内先生も同じだっただろう。

「私はもう一階上なんで」

 理科の実験室で授業らしい。白衣姿の山内先生はそのまま階段を上って行った。

 教室に入り、欠席者を確認した後、英単語のテスト用紙を配る。毎週一回行われる小テストだ。生徒達はうんざりした顔で後ろの席へとテスト用紙を手渡していく。全員に用紙が配られたことを確認し、スタートの合図をする。途端に教室が静寂に包まれる。カシカシとせわしなく文字を書く音だけが聞こえる。タイマーを十分にセットして生徒達に目を向けると、いつもと違う感覚が沸き上がってきた。

 小さな小さな受精卵が人のお腹の中で成長し、ヒトになる。目の前の彼らも全員そのようにしてヒトになり、そして産まれてきたのだ。もちろん僕も同じだ。神の業としか思えない工程の、その一端を担った人が、この全員に存在するのだ。

 だんだん成長する胎児を抱えながら十か月、その人達はそれぞれの日常を過ごすのだ。ほたるが話していたように、お腹が重くて上を向いて寝られない、などと言い出したらきりがないほどの十か月なのだろう。

 僕を産んだ人がどんな環境で、どんな体調でその十か月を過ごしたのか、どんな状態で出産をしたのかはわからない。職場とか、パートナーとの関係とか。とても大変だったかもしれないし、あるいは、とても恵まれた状況だったかもしれない。

 また途中で命を絶つこともできたはずだ。(もしかすると、『そのつもりだったけれど……』と言われるかもしれないが)それでも僕は産まれてきた。それは事実だ。そして今、僕は生きている。

 どうやら誕生日に関する姉貴の言い分と行動に異を唱えることはできそうにない。

                        (  第9話 終わり )

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