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小説 誕生日 第10話(最終話)

 今日は放課後に会議が無いので、テストの採点や明日の授業の準備をしてから学校を出た。向かう先は、まずはスーパーだ。今晩のメニューはカレーを予定している。以前、ほたるが来た時に作ったカレーが好評で、それから定番となっている。

 カレーのルーの箱の後ろに書いてある通りの材料・分量・作り方で、その他のものは一切入れない。水の量もちゃんと計る。姉貴の作るカレーは具材
がその時々で変わり、いろいろな調味料も足すらしい。ほたるいわく「おいしいんだけど、毎回、微妙に味が違う」らしい。そして姉貴いわく「それが家で作るカレーのいいところ」なのだそうだ。だからカレーの箱の通りのカレーは初めて食べた味で、「おいしい!」とほたるは褒めてくれた。

 店に入ると、カレー売り場へ直行。甘口カレーのルーを探す。普段は辛口のルーを買うが、ほたるが食べる時は甘口にしている。どれにしようかと、両目を水すましのようにすばやく上下左右に動かしてみるが結局いつもと同じものを手に取ってしまった。ほたるの「おいしい!」を聞くためなら守りの姿勢を貫く。それから箱の裏を見ながら材料をかごに入れていく。肉、玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、以上。

 レジで会計を終え、ケーキ屋に向かう。

 車を走らせながら、誕生日のことが頭に浮かぶ。昨日からずっと、隙をついては誕生日に頭の中が支配されている。

 今日は、『僕を産んだ人に感謝する日』それにはもう異論は無い。

 でもどうやって?

姉貴はどんな風に感謝しているのだろう。肉屋のおばさんや酒蔵のおじさんにするのと同じやり方か?信号待ちをしている間考えていたが、思い浮かばなかった。

 交差点を左折しようと、ゆっくりハンドルを切る。前方に小学三・四年生ぐらいの二人の女の子が見えた。ブレーキを踏み彼女たちが過ぎるのを待つ。急き立てるようにチクチクとウインカー音が車内に響く。そんなことは知らぬ顔で女の子達はお喋りに夢中なまま横断歩道を渡って行く。

 そうだ、この際だから、ほたるに聞いてみよう。小学生に聞くなんて情けない話だが、ほたるならバカにしながらも教えてくれるだろう。ケーキと引き換えなら、もしかすると快く話してくれるかもしれない。

 そのまま左折をして道なりに進む。住宅が少なくなり、一面に薄暗い空間が広がった。田んぼや畑、雑木林だ。大きく開かれた空では、紫色の雲が幾重にも重なりながら光を覆いかぶそうとしている。

 そういえば、僕は三十二年前の今日、何時頃に産まれたのだろう。もうこの時間には産まれていたのだろうか。

 そしてその時、僕を産んだその人は笑っていたのだろうか……。

 右前方にライトに照らされた四角い建物が見えた。白い壁、緑色のテント。宮脇先生に聞いていたケーキ屋があった。

 店の横の駐車場に車を停めた。大きな窓から明るい光があふれ、店内が見えた。客は誰もいないようだ。白いドアを開け中へ入る。
   
 思わず頬が膨らみそうな甘い香りに満たされた。「いらっしゃいませ」と声を掛けたのは茶色のハンチング帽に茶色のシャツの女性店員だった。

 正面に大きなガラスケースがあり、彩り豊かなカットしたケーキが並ぶ。視線を右に移していくとホールのケーキが二種類、対の置物のように静かに座っていた。白いショートケーキとほたると約束したチョコのショートケーキだった。全体がチョコレートのクリームで覆われ、ケーキの丸い形に沿ってイチゴが等間隔で行儀よく並んでいた。

「このチョコの、お願いします」
 ガラスケースを指差し、店員に注文をした。

「ロウソクとチョコプレートを無料でお付けできますけれど、どうなさいますか?」

 にこやかな表情で好意的な口ぶりだった。プレゼントだと思われているのかもしれない。ホールのケーキはそのほとんどがお祝い用だろう。確かに僕の誕生日ではあるが、ロウソクに火をつけ、吹き消し、姪っ子に拍手をしてもらう、そんな絵は描けない。
 
 そうだ、ほたるにロウソクを消させてやろう。誕生日ごっこではないが、ほたるなら喜びそうだ。

「ロウソクを九本お願いします」とほたるの年齢分を頼んだ。
 
「チョコプレートはどうなさいますか?」

 どうせならチョコプレートもつけてもらった方が、雰囲気も出る。

「お願いします」と僕が頼むと、「ではメッセージをお入れしますので、ここにお書きください」とメモ用紙のような白い紙とボールペンを渡された。

 すでにメッセージが書かれたチョコプレートがあるのかと思っていたので、僕は一瞬戸惑った。誕生日でもないほたるのに、わざわざメッセージでもないし。誕生日ごっこだから、お誕生日おめでとう、にしようか――。

 少し考え、僕は紙にメッセージを書いた。そしてその紙を店員に渡した。「かしこまりました」と店員は紙を受け取り、ガラスケースからチョコレートケーキを取り出し、その紙と一緒に奥にある厨房へ持って行った。

 一・二分後、ケーキだけを持ちカウンターに戻って来た。

「これでよろしいですか?」
 確認のためか、チョコプレートが載ったケーキを僕に見せた。

 チョコレートケーキの上にイチゴに囲まれ、白いチョコのプレートが載っていた。プレートにはチョコレートの茶色い文字で『ありがとう』と書かれてあった。

 僕は「はい」と答えながら、心の中でつけ加えた。

『僕を産んでくれて』と。

                  ( 第10話 終わり )



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