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小説 誕生日 第8話

「そう、別に赤ちゃんにも異常はないんだけど、あるのよね、そういうこと。もうクタクタだった」

 山内先生は首を大げさに傾けた。

「妊娠、出産って本当に個人差があるから、初産でもスッと生まれる人もいるしね。命と引き換えに出産ってこともゼロじゃないしね。思っている以上にいろいろあるのよね。畑先生の奥さん、入院した、って言ってませんでした?」

 僕を通り越し、僕の隣に声を掛ける。教科書に目を通していた畑先生は「えっ?」と山内先生の方に顔を上げる。

「畑先生の奥さん、妊娠中に入院した、って言ってませんでした?」

「ああ、二人目の子の時にね」
 そう言って畑先生は教科書を閉じた。

「切迫流産になって、予定よりかなり早く産まれてきそうだったから、入院して安静ってことになってね」

 畑先生は中学生と小学生の子どもがいる。

「入院することってあるんですか?」

「そうなんだよ。僕もびっくりしてね。一人目は普通に出産してたから尚更ね。だから最初は大げさなって思ってたんだけどね」

「そうですね、妊娠中に入院するイメージ無いですもんね」

 まわりでそういう話を聞いたことが無かった。

「でも見舞いに行ったら、結構たくさんの妊婦さんが入院してるんだよ。あれはびっくりしたな」

「持病が無い人でもいろいろな症状になったりするみたいね」

 山内先生が神妙な顔になる。畑先生はうんうんとうなずいた。

「よく、妊娠と出産は病気じゃない、って言うじゃない?でもお腹の大きな妊婦さんが点滴のチューブをつないだまま廊下を歩いているのを見かけたりすると、なんか気の毒でね。妻に聞くと、いろいろな病気があるみたいだよ」

 点滴をしないといけない症状になることもあるのか……。僕は胸の辺りが細かいやすりでこすられている気分だった。

「あれって違うらしいですよ」

 僕の斜め前、山内先生の前の席の宮脇先生がさりげなく会話に加わる。二年の担任のこの六人の固まりは何となく相性がいいのか、たわいのない話でもみんなで話すことがある。世間話が気軽にできる間柄だと、生徒に関することも気兼ねなく話せるので都合がいい。

「私も妊娠がわかった時、姑に『妊娠と出産は病気じゃないからね』って言われたんです」
 
 宮脇先生は小学生の子どもがいる。

「厳しいこと言うわね、お姑さん」

 山内先生の言葉には同情の念がこもっている。

「私も嫌なこと言うな、って思ってたんですけどね。私がつわりでキツイってことを夫から聞いた時に、姑がいきなりうちのマンションに来て――」

 ドラマでよく見る嫌味な姑を想像した。

「ちょうど夕食が終わって、私は洗い物をしていて、夫はテレビを見てたんです。姑がいきなり夫に向かって『妊娠は病気じゃない、って私言ったよね』って、なんか怒った口調で言うんですよ。夫は『うん。だから加代もいつも通り……』って言ったら――。『そういう意味じゃないでしょ!何を自分の都合のいいように解釈してんの、このバカ息子が!』ってすごい怒ってて」

「えっ、じゃあどういう意味?」

 山内先生がすぐさま聞いた。僕も同じことを聞きたかった。きっと畑先生はもそうだろう。

「“妊娠と出産は病気じゃない”っていう本当の意味は、病気じゃないから調子が悪くても薬で治らない。だからいつも以上に体を大事にしなさい、っていうことらしいです」

「えっ、そうなの?」
 目を大きく見開き、山内先生が大げさなまでに驚きを表現する。

「らしいですよ。私も夫も“病気じゃないから、しんどくても甘えるな”っていう意味だと思ってたから」

「そうよね、たいていはそう思っているわよね」

 山内先生の言葉に僕と畑先生は何度もうなずく。

「でも確かに、つわりがひどい時でも病院で出してくれたのは漢方薬ぐらいで、あまり効かなかったんですよ。それに時期を過ぎたらケロッと症状なくなっちゃうし。あんなに気持ち悪かったのに、えっ?って自分でも不思議なくらい――」

「うん、そうね」

「私も元々体力には自信があるから、つい無理をしそうになっちゃうんですよね。でも姑の言う通り、それからはいつも以上に気をつけるようにしましたね」

 宮脇先生は体育の教師である。

「姑さん、いい人だったんだ」

 山内先生と同じく、勝手に意地悪な姑をイメージしていた僕も訂正をした。

「そうなんです。その時もタッパーに何種類もお惣菜を作って持ってきてくれていて。『加代ちゃんは食べられるものだけでも口に入れて。あんたはこれを食べて、しっかり家事しなさい!』って夫に言い残して帰っちゃいました」

 宮脇先生はうれしそうに顔をほころばせた。

「病気じゃない、っていうのはそういう意味だったんだ……」
 誰に言うでもなく、しみじみと畑先生が繰り返す。

                        ( 第8話 終わり )

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