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認知症の母がホームに入るまで⑤~一人暮らしの限界

ある日実家に行くと、母はまたお金が無いと怒り、通帳を返せとどなった。

わたしは引き出しと財布を確認した。お金はやはり無かったが、財布には1枚のレシートが入っていた。それは近くの食堂のレシートだった。たまには外食でもして母の気をまぎらわせようと思い、最近二人で出かけたのである。母は喜んでいたかのように見え、レシートを頂戴と言うので渡したのだった。

そのレシートには母の震える筆跡で、
「バカと食事」
と書いてあった。

わたしは怒りを通り越して虚無感に襲われた。こんなに時間とお金とエネルギーを使い母の一人暮らしを続けるために頑張っても、母は少しも幸せではなく、母にとってわたしは「バカ」と罵らずにはいられない憎い対象なのである。

その頃母の妄想も始まっていた。
「向かいの人がいきなり怒鳴りこんできた」とか、
「近所の人が家に火をつけにくる」
などとあり得ないことを口走るようになった。怯えながらそんな妄想を繰り返し訴える母に、わたしは一人暮らしの限界を感じていた。しかし母をわたしの家に引き取ることは全く考えられなかった。

母はわたしの家族と仲が良くなかった。夫は母を嫌っていた。それは夫とわたしが婚約時に家を新築する際、勝手に建設会社に行き、自分の部屋を作るよう設計を変更してくれと無断で頼み込んだことに端を発している。その後も何かにつけて支配的に行動する母に夫はゲンナリしていた。
そして母をたまに家に連れてくると、中学生になっていた子供に「勉強しなさい」「勉強しないと良い大学行けないよ」などと度々説教していたから、子供は母がいる時は部屋から出てこなくなっていた。
こんな状況でとみに攻撃的になっている母を引き取れば、母はわたしの家庭をひっかきまわし、家庭が崩壊することは目に見えている。母のためにそこまで自分を犠牲するつもりはわたしには無い。

元々わたしは母に愛情はさほど感じていなかった。母は教育熱心で、とても厳しく姉とわたしを育てた。父とは不仲で、夫に向けるべき関心を全て子供の教育に向けていた。
小学生の頃いじめにあい学校に行きたくないと言うわたしに、事情も聞かず、
「学校に行け!勉強しろ!学校行かないなら家に帰ってくるな!」
と言い、深夜まで家から閉め出されたこともあった。わたしは家にも学校にも居場所が無くなった。

姉はわたしと違い成績が良く自慢の娘だった。そんな姉が社会人になったばかりの頃急死した。母は嘆き悲しんだが、ある時ポツリと本音を言った。
「あの娘にはたくさんお金をかけて、これから返してもらうはずだったのに」と。
そしてわたしに内緒でわたしに多額の死亡保険金をかけた。それを知った時、わたしは母と自分は決して相容れない存在であることを悟った。

勿論育ててもらった恩はある。だからこそこれだけサポートしているのだ。だが母の状態が進むにつれ、時々冷ややかな目で母を見ている自分に気づく。
もちろんわたしと同じように育てられても親の介護をしている人はいるだろう。そういう人はすごいと心から思う。でもわたしにはできない。冷たい娘だと思われても、自分と家族を守るには引き取るという選択肢は無かった。

わたしはケアマネジャーさんに施設入所の相談をした。


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