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認知症の母がホームに入るまで①~認知症の始まり

「あんたにお金なんて渡す必要無いわ」
と母はわたしを睨みつけながら言った。

十年ほど前のことである。母は膝を痛め手術が必要になり、自宅近くの病院に入院することになった。当時母は80歳になったばかりで、実家で一人暮らしをしていた。わたしは実家からバスで一時間くらいのところに夫と小学生の子供と一緒に暮らしていた。

母は孫が生まれた時からたびたびおかずやお菓子などを持って車で我が家にやって来て、半日ほど喋って帰って行く。わたしは母と幼少期の頃からの葛藤があったから、母のことはさほど好きではなかったが、それでも孫可愛さにやってくる母を追い返すほど嫌いでもなかった。

母は
「あんただけならこんなとこ来ないけど、孫は可愛いからね」
とわたしに何度も言った。わたしは、
(なぜこんな言わなくてもいいことを言うのだろう)
とその都度イラッとしたが、まあ母の性格には慣れっこになっていたので適当に聞き流していた。そのくらいわたしも母に対し冷めていたのである。

入院する日、わたしは母に付き添った。その後も欲しいものを聞き、それらを持って毎日様子を見に行った。心配だったこともあったかもしれないが、子供としての義務感からの部分が大きかったと思う。

母はいつもの図々しい態度の母と違い、とても気弱になっているように見えた。
「いろいろしてくれてありがとうね。こんなに世話になるとは思わなかった。退院したら1日1万円日給払うからね。10日だから10万円かな」

(この人はわたしがお礼が欲しくてやっていると思っているのかな)
と呆れたが、母に何を言っても無駄なことはわかっていたし、まあお金をくれるんならもらっておこう、と思い直し、そう、ありがとうとだけ答えた。母は貧乏な育ちだったから、お金への執着が凄まじいことは知っていた。
(この人は全ての人がお金で動くと思っているんだろうな)
と感じる場面が今までに幾度もあったのだ。

経過は順調で、母は予定通り退院した。

その2、3日後わたしは母の様子を見に行った。母はわたしの顔を見るなり冒頭の言葉を言い放ったのである。

「よく考えてみたらあんたにお金を渡す必要なんて無いわ。今迄育ててやってずいぶんお金かかってるんだから。入院中にあれくらいして当たり前だわ。まだもらおうなんてあんたは本当に図々しい」

わたしは自分から入院中の日給を欲しいなどとは一言も言っていなかった。母が言い出すまでこちらから言うつもりもなかったし、母が言わなければ言うつもりもなかった。
わたしは母の言葉と睨んでいる形相にあきれ果て、ものも言わずにそのまま帰った。

元々母として問題があった人だとは思う。それは育ってくる過程での過酷な状況の影響があっただろう。自分が与えられなかった愛情を子供に与えるのは難しいことなのかもしれない。でもわたしはあまりの言葉に怒りを感じた。

しかし今にして思えば、この時が認知症の始まりだったのだろう。

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