シュタイナー/パリ・シンジケート

(日々好日)7月16日



シュタイナーがベルリンでジャーナリストとして活躍していた20世紀初頭…。

ロシアは日本との戦争を始める。
日露戦争だ。
これがロマノフ王朝の悲劇の発端となる。
イギリスの思惑が見え隠れする。
日露戦争の戦費は戦時国債によって賄われた。これにはマクロ経済の原則が適応される。
当時の日本にある資産の流失に釘を刺すカタチで国内資産の、悪い言い方をすれば『凍結』を山本権兵衛は宣言している。


キャピタルフライトのことだ。
日本の通貨『円』が嵐で飛び散らないようにしなくてはならない。
円が海外に流失すれば、つまり、円の価値が下がる。
さらに1戦毎に高橋是清が海外で売りさばいた国債の買受率が変動する。

この時期を前後にパリで金融シンジケートが活発に動き始めていた。
つまり、オーストリア・ハンガリーを分断すれば利益が出ると…。

これは、予期せぬ形で現実のものとなる。
この当時からユーゴの情勢は不安定一辺倒だった。ここでオーストリア皇太子が暗◎される。
フェルディナント皇太子はバルカン半島情勢をひとつの連邦国家を築くことで安定化させようとしていた。
これが彼の死によってご破産となる。
オーストリアは戦争に突入する。

ドイツのウィルヘルム2世はまさかロシアが動くとは考えていなかった。

『とう国はオーストリアを支援するつもりである…』 

ウィルヘルム2世は建前で対応した。
メンツが立てばそれでいいだろう…。
軽い感じだった。
が、
この結果、ロシアとフランスが動き始める。
かたや、イギリスは中東の石油を狙っていた。




この時代、すでにプロイセンはビスマルクの時代は終わり、ウィルヘルム2世が国内を動かしていた。
ビスマルクは、外交のカードを駆使してフランスとロシアを牽制していたが、

ウィルヘルム2世の時代からドイツの生存圏は狭すぎる…という地政学的な思想が広まっていく。


これが後に、カール・ハウスホッファーの地政学となる。
シュタイナーがベルリンとオーストリアで活躍していた時代より20年後に、
エルウィン・ロンメルがドイツ機甲師団を率いて、アフリカ戦線でカイロのイギリス第8軍本営を『抜こう』としたのがエル・アラメインの戦いである。
ロンメルはハウスホッファーの地政学に深く共鳴していた。


『アラメインを抜けばカイロは陥落する』

ここで、エジプトから中東の油田地帯、さらにはクリミア半島一帯までが一瞬にして…ハーケンクロイツの旗が立つ…と考えた。

ヒットラーがシュタイナーの前に登場するのは、1920年だが…。
ここで、トゥーレ協会が産声をあげる。
このトゥーレ協会の中にいたのが、後にヒットラーの教育係となる、ルドルフ・ヘスである。

ヘスもまた、ハウスホッファーの信奉者で、ドイツの生存権を実はウクライナに求めた。

つまり、19世紀、ポストフランス革命の時代にうまれた無神論が、
実存主義の解釈をめぐって、
無神論と唯心論(あえて心とする)に分裂した。



シュタイナーのゲーテに関する膨大な考察は、なおヨーロッパは懐疑的であった。


人間は生きている中で
一瞬の輝きを見る、
その瞬間こそ尊い


ワーズ・ワースの『草原の輝き』という詩がある。
すでに朽ち果てた花は、なんのためにこの世に出てきたのか?
ただ、咲きほこりたい…という限られた一瞬のために、花は咲くのだ。

かけがえのない想い。
そのために人はこの世に生きている。




ユーミンの『カンナ8号線』に、

…チェックのシャツが、風にふくらむ
後ろ姿を…波をバックに焼き付けたかった…

ここでは、かつての二人がもう、今はそうではなくなってしまった諦観を
『じゃあ、また。あえるといいね』
そんな一言で別れる夏の一瞬を
フラッシュバックで描かれる。

あの一瞬を胸に焼き付けて、
私は笑顔で…彼のもとを去る

この苦い想いをどうすればいいか?



鮮やかなものは、いつも苦い。
このアンビバレンツを胸の中に刻みつけるのが、詩である

小津安二郎の『東京物語』の終わりで、笠智衆が原節子に…あんたは、本当に優しいね…と語りかけるところがある。

この『優しいね』には深すぎる戦後のメタファーがある。
小津安二郎は『風の中の雛鳥』といえ問題作をつくっていた。
これとの対比において、『東京物語』は戦後の哀しいドラマを手掛けている。

人はメタファーの中で生きている


シュタイナーはそのことを語っていた。




イギリスのアニー・ベサントは彼に、ドイツの不安定な情勢を仄めかした。
そして、彼女はベルリンを去った。

パリのシンジケートが神智学協会の分断を狙っている…。
解釈の仕様によっては、これが第二次世界大戦の予言ともとれる。

ベザントはかくしゃくたる老婦人である。
彼女はこの時、ブラヴァツキーの神智学協会の未来も曲解とともに終わるのかもしれない…と思っていたのだろうか?



ここで、ミュンヘンにトゥーレ協会の影が見え隠れする。



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