考えてること書き散らし 手段と目的/ボイコット/パワハラと指導/スポーツと感動

 去年の10/7前に会ったきりの、半年ちょいぶりに会ったディズニーオタクと話をした。ボイコットやイスラエル、パレスチナについては話さないまま、ただOLCの愚痴やパークの思い出話しかできなかった。少し無力感が残った。

 ボイコットは完璧じゃなくたっていい。ボイコットは手段であり、目的ではない。

 数年前に就職祝いでもらったルイヴィトンの鞄を愛用している知人に、これを持ってるのはいけないことかと聞かれた。イスラエルの利益になり攻撃や違法入植を続ける原資になってしまうのがまずいのだと説明した。鞄やPC(ヒューレットパッカードがボイコット対象なので例に出した)など、しばらく買い替えないものを今持ってることを気にしたってどうにもならない。数年前でもガザが必ずしも平和だったわけではないが、今早急にイスラエルに経済的ダメージを与える必要がある。すでに持っているものを使い続けるのはいいかもしれないが、例えばその商品をSNSに載せたり、人が見て購買意欲を掻き立てられるような状況で使うと微妙かもしれない、と言った。

 実際私はディズニーが大好きなので、ディズニーランドに行ったりディズニーの新商品を買うことは最近は全くないが、すでに持っている大量のディズニーグッズがある。家で使っている茶碗やバスタオルや化粧品を整理するケースにミッキーマウスが書かれていても、私以外は見ない。それを見てディズニーグッズが欲しい!と思う人はいない。ただ、キーホルダーやスマホケースなど人目につくものだったら話は別かもしれない。

 ボイコットできない会社もある。Googleをボイコットできる人が何人いるだろう。それならその分他の会社をボイコットしたり、より多くの人がパレスチナに目を向けて緩やかでもボイコット的なことをしてくれるように呼びかけて足りなさを補えばいい。

 手段と目的をごちゃごちゃにしてしまう人を、SNSではたくさん見かける。

 宝塚パワハラ問題の時にも思った。一歩間違えると危険なことも多い舞台上での統率力や連携を目的にした厳しい指導のはずが、いつしか「厳しい指導」の方が目的化しちゃったんだろうな、元の目的の存在感や、目的の共有をしましょうという意識が薄くなったんだろうなと。そしたらもうパワハラだよね。

 オリンピックの報道を見てても思う。メダルはただ、結果を残した人がもらえるものだったはずなのに、いつしかメダルの数を期待し競うような報道になっている。

 自分の目標のために頑張るスポーツ選手をみていたら自然と感動が湧いてくるものだったはずなのに、スポーツ選手までもが感動を届けたい!とか言い出す。おかしい。スポーツ選手が自分の目標のためだけに頑張る訳ではなく余計なものを背負わされているのを見るのが苦手だ。痛々しい。日本なんて、メダルの数なんて背負わなくて良くない???興行、人気商売の側面が多少あるのは仕方ないよ??スポンサーとかつかないと、報道がないとビジネスにならないから。声援があって頑張れる側面があるのもわかる。けど過剰じゃないかなって思う。感動を与えたいなんて思わなくていいはず

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