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羽生結弦ICE STORY "RE-PRAY"感想━11/5埼玉公演カーテンコールでの言葉の意味を考える

はじめに

 羽生結弦さんの単独アイスショー"RE-PRAY"の埼玉公演2日目に参戦しました。まず、すでにこの公演についてのネタバレはネット上にゴロゴロ転がっていますが、またご覧になっていない、この後のツアー公演を見たいと思っているかたには、ぜひこの記事を読まずにUターンしていただきたいです。演技についての感想というよりは、このショーについての私なりの解釈を書いてみようと思うからです。

 羽生さんのことなので、この後のツアー公演が「ネタバレ踏んじゃって面白くなかった」なんて内容には絶対ならないと思いますし、もしかしたら埼玉にはなかった仕掛けやサプライズをこの後どんどん出していく……なんて可能性もありますが、やっぱりまずはできるだけ多くの方にまっさらな状態で見ていただきたいショーだなと思っています。

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 いい意味で、これは、一体アイスショーなんでしょうか。前作"GIFT"もでしたが、物語性が強く、朗読劇とスケートを交互に見せられるような形で展開していく独特な進み方をします。

 スケートパートにはおなじみのプログラムも新作もあり、演技単体でももちろん感動できるのですが、全体として「スポーツ選手……とは……?」となるような"羽生結弦節"全開です。たしかに羽生結弦はこれまで競技者として前人未到の域に達するほどいろいろなものを競技者に捧げてきたはずなのですが、いい意味で競技に全てを注いでいたようには見えなくて、羽生結弦じゃないペンネームとかで文筆活動でもしてたんか?そっちもガンガンこれからやりたいんか??というかゲームをする時間とかも結構あったんだね?????いつ寝たの???おぬしはどこを目指してるんじゃ〜〜〜〜〜という感じのショーでした。

 新作のスケートプログラム「破滅への使者」は、もう競技者ではないのにそこまでやる…?と少し狂気すら感じました。これだけの世界観を詰め込んだショーという贅沢な細工の食器に、今から試合で前人未到のスコアを叩き出すべくカチコミに行くぜと言わんばかりのエレメンツを詰め込んだプログラムという最高級の料理を乗せてお出しされて、もう、あなた、相当欲張りだな!と思いました。

 演出もおしゃれすぎましたね……冒頭の布で囲われたスペースでの踊りとか、あの夏へのスモークとか、氷の上に映る影が白地に黒になったり黒地に白になったりの切り替わりとか、あちらこちらにある小さなスクリーンとか、1幕と2幕の関係性とか……1人のスケーターのために作られているにしては贅沢すぎるようにも思えるセットに呑まれず、演出をも従えていました。

「皆さんが主人公です」とは? 大袈裟に言うと突き放されたと思った人もいるのかも?

 さて。確かにスケートプログラムも素晴らしかったのですが、やはり今回のショーの中で最も印象に残ったのは、埼玉公演2日目の最後の最後の「これは僕の話じゃない、皆さんが主人公です」という言葉です。これについて話したいと思います。

 羽生さんは、「フィクションを楽しんでほしい」と言っていました。これにちょっと面くらい、少し大袈裟にいうと突き放されたような気持ちになったファンもいたのでは…?と少し思いました。

 なぜなら、前作があまりにも内省的な「僕から君への物語」とでもいうような"GIFT"でしたし、今回(勝手にこう呼んでいますが)朗読劇パートで流れるゲーム画面の「ドット絵ゆづくん」とでも呼ぶべきキャラクターは過去の羽生選手の衣装を着ていたからです。ロミジュリ、パリの散歩道といったかなり懐かしい衣装も出てきました。つまり、長く追いかけてきたファンほど、"GIFT"のように「ずっと追いかけてきた、大好きな羽生結弦くんの物語」として受け取っていたんじゃないかな、と思いました。

 この受け取り方を擁護というか、それでもいいと思う!という方向のお話です。ここからは私の解釈、私の意見、私の受け取り方が盛り盛りですので、苦手だなと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、一意見としてご容赦の上お読みいただければと思います。

作者・羽生結弦と主人公

 そもそも漫画にしろゲームにしろミュージカルにしろ、フィクションというのは作者の表現したいことありきです。著者:羽生結弦、シナリオライター:羽生結弦や脚本:羽生結弦と考えたらいいでしょう。シナリオライターや脚本家には志向や思想があり、くせがあり、作風があります。羽生さんの経験、思想があっていいし、それらはファンも見てきたこれまでの試合やショーから生まれてきたものも当然たくさんあるでしょう。ナウシカ=宮崎駿ではないし、ハリーポッター=JKローリングではないけれど、ナウシカやハリーの行動には駿さんやローリングのこれまでがたくさん詰まっているはずです。

 なので、"RE-PRAY"の物語を綴った羽生結弦の「これまで」は確かに"RE-PRAY"の主人公(羽生さんの声で朗読されていたゲームのプレイヤー、語り手)も持っているんだと思います。

 その上で、「主人公、プレイヤーはみなさんです」と彼は言いました。さらに、「解釈してみてください」とも言いました。これはかなりの信頼だと思います。一度書かれた物語は、誰かによって演じられたり、ファンアートを描かれたり、引用されたり、他の制作者に影響を与えたりと展開していくものです。どうぞあなたの手で、この話を持って帰って料理してね、というのは、ここまで伝えたいことを伝えきったという自信と受け取り手への信頼がないとなかなか大きな声で言えないことなんじゃないかと思います。

「考えてみてください」なぜなら共感してもらえると思ったから

 さらに、会場限定のQRコードを読み込むと見られる動画やカーテンコールの中で、彼は「考えてみてほしいです」という言葉を使っていました。誰かに「〇〇について考えてみてほしい」と伝えるときの〇〇って、かなり語り手にとって距離が近いものになると思います。

 うまい例えが思いつきませんが、保護猫や保護犬をペットとして飼い始めたひとが身の回りの人にも「犬猫の保護について考えてほしい」と言ってみるとか、旅行したことがある外国で痛ましい事件が起こったため身の回りにいる自国の友達に「あそこの国のこの事件について知ってほしい」と言ってみるとか、そんな感じです。自分がかなり心を寄せる関心事について「あなたも考えてみてください」と言いたくなるものだと思います。

 今回は、ゲームという建て付けで、選択をテーマに物語が進んでいきました。これは少なからず羽生さんが考えてきたことが反映されているのでしょう。なにしろ、羽生さんは長いこと、日本中の注目を集める競技者だった紛れもない事実があります。

 次の試合に出るのか、出ないのか。次の試合であの技に挑戦するのか、しないのか。競技者でい続けるのか、プロになるのか。一挙手一投足が誰よりも注目を浴びる中で、自分の決断なのか他の誰かのための決断なのかよくわからない決断をいくつも重ねてきたのではないかと思います。自分が押したコマンドが、自分の人生にはまったく影響のないゲーム内のキャラの運命だけを左右するかのように、画面の向こうにいる羽生結弦にむかってボタンを押す感覚で選択を躊躇わせる言葉を投げかける存在もあったのだと思います。

 こういった経験からの着想で書いた物語だが主人公は僕ではない、というのはあらゆる小説、ゲーム、映画、漫画と同じです。そんなに構えず、そっか!と受け取っていいと思います。

 羽生さんのすごいなと思うところは、常人離れしたジャンプやアイスショーをやってみせる割に、チョイスが庶民的なところがある部分です。みんな大好きなゲームや音楽をかなりお好きなようです。私は星野源さんのファンなので、羽生さんが源さんファンを公言しているところにかなり親近感をもっていますし、先日の「おげんさんのサブスク堂」でのトークでも「結構フツーの曲聴いてんだな!!」と思ったのですが、さらに今回のゲームというテーマでかなり浮き彫りになったかと思います。しがない会社員から見たら、プレイヤーとして遊ぶファイナルファンタジーⅩよりも羽生結弦の人生を本人として過ごす方がよっぽど刺激的でスリリングで恐ろしそうですが、ちゃんとみんなが好きなものをわかっていて、並み以上にご本人もそれらを好きだと思っていそうです。だれもしたことがないことをたくさんしているのに、ちゃんとみんなの気持ちをわかっている羽生結弦さんに総理大臣になってほしいくらいです。

 音楽やゲームに限らず、羽生さんは世の中で話題になっていることや、世の中とのコミュニケーション方法をかなりじっくり考えているように見えます。なので、1人の選択が他の誰かからいくつも影響をうけ、縛られ、一体自分の選択かどうかわからなくなる状況を大なり小なり経験している人が世の中に溢れかえっていることに対しても思うことがあるんじゃないかと思います。

 何にお金を使うか、どこに住むか、何を仕事にし、誰とどのように暮らすか。こうしたいと思ったことを口に出したり、SNSに書き込むと、思わぬ方向から自分の選択しようとした方向に進むのを躊躇わせるような言葉が飛んできます。こういうことがあちらこちらで起きている今に対してなにか思うところがあり、羽生さんが競技人生で考えてきたことを大なり小なりの似たような経験をもとに分かち合える、と感じて今回のようなショーを今回のような言葉を添えて届けてくれたのではないかと私は考えています。

まとめ GIFTよりもエンタメ度の上がった今作

 「これは僕じゃない」と言われたからといって、これまで応援してきた競技時代の羽生結弦の思い出を蘇らせたりしてほしくないというわけではないんじゃないかと思った、という話でした。

 羽生さんは、「エンターテイメントやっててよかったです!」と叫んでいました。これにはかなり、「おっ」と思いました。"GIFT"でも"RE-PRAY"でも一貫して、見にきてくれた人の力になりたいとか元気になってもらいたいといった想いを感じましたし、これは紛れもなくエンタメだとは思いますが、それでも私自身の中であんまり羽生結弦とエンターテイメントが結びついていませんでした。もっとストイックに、エンタメというよりは芸術といいますか、硬派な表現を志向されているのかと思っていた部分がありました。ですが、これをエンタメだと発言したことを踏まえて"GIFT"との違いを思い返すと、確かに今回はエンタメ志向度が上がっていたかもしれない!と思いました。

 私は、エンタメと芸術の差を「どれくらい受け取り手を意識するか、目配せするか」だと考えています。装置の派手さや音楽のチョイス、ファンサービスの度合いももちろんエンタメになるか芸術になるかを左右する要素としてはあります。しかし、1番「エンタメ化」を感じたのは、物語作りの変化でした。僕の物語を語っていた"GIFT"から、受け取り手の方に一歩踏み込んで、「こんな話をしたらわかってくれる人がいるかもしれない」と思って作られたように感じられる"RE-PRAY"への変化。羽生結弦は、一歩ファンの方へ足を近づけてきたように感じました。

 羽生結弦さんに限らず、世の中には複数のことを人よりも上手にできる人がたくさんいます。そして今はインターネットによってそんな人たちの存在を目にする機会がたくさんあります。そんな状況ですからうっかり忘れてしまいそうになるのですが、羽生結弦さんはこれまで誰も経験したことのない境地を切り開いてきたアスリートでした。羽生さんほどの元アスリートがプロのエンターテイナーになった時、表現する内容はアスリート時代の経験でいくらでも事足りると思うのですが、自分の物語を語ることをたった一作でやめて次のステージ、表現方法に進んだのは、末恐ろしさすら感じます。

 これほどのパフォーマンスを見ると、いつかここまで体が動かなくなったあとのこの人はどうするんだろう、なんて考えてしまいそうですが、もしかするといつか「羽生結弦」をオリンピック2大会連続金メダルのスーパーアスリートとしてではなく、彼のスタイルのエンタメを作る人として知る世代も出てくるのかもしれません。そんな世界も、かなり楽しみです。

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