見出し画像

死ぬまでにつくりたい10の本と"埋名著" =my名著 Epi.6 都知事選の武蔵と小次郎

小池百合子と蓮舫の〝巌流島対決〟で盛り上がる東京首長選

 
 今年(2024年)後半は、東京都知事選(7月)、自民党総裁選(9月)、アメリカ大統領選(11月)と、日本の将来にとって重要な選挙が続きます。

 7月7日の東京都知事選は、新聞やテレビなど各メディアが〝七夕決戦〟と煽り、現職都知事の小池百合子と参院議員から急遽出馬表明した蓮舫との〝元キャスター対決〟の構図に仕立てます。

 小池は自民党と公明党、蓮舫は立憲民主党と共産党、それぞれの出身母体の支援を受け、保守VS革新の対決図式も明らかになりました。今まで保守の岩盤支持層に左右された都知事選ですが、自民党政権の政治不信が加速したこともあり、久しぶりに対立候補者同士の力が均衡した戦いになる予感がします。

 数々の傑作コピーを生み、マスコミの帝王と呼ばれた評論家・大宅壮一は、自民党一党支配の危険性を指摘してきましたが、活躍した全盛期の昭和30~40年代には、権勢を誇った政治家や財界人に対して辛辣な評価を下してきました。

 今回は昭和42年(1967年)の都知事選の論評を紹介します。

巌流島の東京都知事選
 東京都知事選挙の候補者が正式にきまった。自民・民社推薦の松下正寿氏、社会・共産推薦の美濃部亮吉氏、公明党推薦の阿部一氏と、三派鼎立(さんばていりつ)の形となっているが、実質的には松下、美濃部両氏の決戦ということになる。 将来日本で首相もしくは大統領の公選がなされる とすれば、これはその16ミリ版予行演習と見られないこともない。
 日本政界の〝多党化時代〟が、早くもこういう形で実現したというところに興味がかかっている。この政党コンビは、地方選挙を通じて、多少の例外はあるとしても、当分このまま定着するのではあるまいか。
 この点からいって「民社党は第二自民党である」という佐々木社会党委員長の発言は〝暴言〟でも〝放言〟でもなくて、そのものズバリということになる。ということは、民社が〝第二自民党〟だとすれば、社会党は〝第二共産党〟であることを裏書きしたということだ。ただし、自民党と民社党のコンビにおいては、民社党は自民党の衛星的存在にすぎないことは明らかだが、社会党と共産党のコンビにあっては、どっちがヘゲモニーまたはイニシアチブをとることになるだろうか。
 国会の議席の数からいうと、社会党一四〇にたいして、共産党はたった五にすぎない。 しかし、保守勢力への抵抗または威嚇の強度——階級性や革命性の点では、共産党のほうがはるかに上位にある。自民党が議席数においてのみならず、保守性においても、民社党をはるかに引き離しているのと事情を異にする。そこで民社党は名実ともに〝第二自民党〟といえないこともないが、社会党と共産党の関係においては、逆に量的には圧倒的優位にある社会党が〝第二共産党〟の名に甘んじなければならぬという見方も成り立つわけだ。
 もっとも、近年、世界の革新陣営が二元化し、革命性において北京がモスクワをリードしていること、そして北京への距離が、日本では共産党よりも社会党主流派のほうが近いということが正しいということになると、日本共産党は〝第二社会党〟となるわけだ。 これが誤解もしくは曲解だとしても、近年イデオロギー的に目ざましい躍進ぶりを示している社会党主流派にとって〝第二共産党〟といわれることは、それほど〝不名誉〟とは思えない。 共産党と社会党主流派の距離は、自民党と民社党の距離に比べて、果たしてどっちが大きいであろうか。

タレント対教育起業家
 この疑問をとく手がかりの一つは、こんどの都知事候補者の選考に示されている。自民党の単独候補となっていた鈴木副知事と、民社の単独候補となっていた松下氏、共産党の単独 候補として予定されていた米原昶氏と、社会党が選んだ美濃部氏というよりも、その背後に ひかえている大内兵衛氏を中心とする旧〝人民戦線派〟系学者グループ——これら二対のコ ンビのイデオロギー的距離または近似性を、このさい測定してみるのも無意義ではない。           
 そういっためんどうなことはぬきにしても、こんどの松下氏と美濃部氏の対決は興味津々たるものがある。宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の決戦を思わせる——というと少々大ゲサになるが、この二人のコントラストは注目に値する。 どっちも〝学者〟ということになっているが、松下氏はどっちかというと、大学の経営者、教育企業家としてなみなみならぬ手腕を示している人であり、美濃部氏はとくに女性の間に人気のあるテレビ・タレントである。自分でも、
「私、テレビ・タレントとしては、なかなかのものらしいです」
と自信ありげにニッコリ語ったという(二月二十五日毎日新聞)。 

巨大な円の中の同心円
 松下氏も美濃部氏も〝学者〟としてはどの程度の実績があるのか、私にはわからない。私の受けた印象からいうと、松下氏はキリスト教の信仰と世俗的成功を巧妙に両立させている常識人であり、美濃部氏は育ちのよさと如才なさをミックスした典型的なインテリ・エリートである。いずれも政党の求めに応じて〝 学問〟への執着をふりきり、都知事のイスに晩年をかける決意をしたところをみると、前者は東京都というマンモス企業を自分で経営してみたいという野心、後者は「テレビなどを利用した〝都民との対話〟をひんぱんにやりながら、都民の生活に密着した全都民の利益代表としての都政をやりたい」というビジョンにひきずられたのではあるまいか。
 これまで私は、美濃部氏とはテレビなどでしばしば顔を合わせてきたが、氏の話をきくたびに、いつも対照的に私の頭に浮かんでくるのは、同じ経済評論の小汀利得氏である。 小汀氏の景気観測は、いつでも楽観論で、強気一方である。これに反して美濃部氏の場合は、つねに悲観説で終始している。 小汀氏の説にしたがって株を買って損をしたものが全国にどれだけあるか、私にはわからないが、美濃部説のとおりに日本の経済が進んでいたならば、これまでに日本の財政が何度破産していたかわからないという気がする。前者が資本主義的楽観論の、後者が社会主義的悲観論の、いずれも日本における選手権保持者ということになる。 そこで、この二人が保守、革新両陣営の代表者として、都知事選挙に打って出ることを私はかねがね望んでいたのだが、それが実現しなかったのは残念である。
 それはさておいて、東京都は、人口の点でも財政の点でも、全日本の十分の一だというが、 都知事の自由になる予算は、せいぜい百億円程度だという。その他は一二〇名の議員族と官僚陣にガッチリおさえられているのである。しかも、日本政府という巨大な円のなかに、小さな同心円としてスッポリとおさまっているのが東京都だ。たとえば水道の水がとまっても、 政府の援助を受けないとどうにもならぬ〝自治体〟である。
 自民党が松下氏を推薦したのは、この体制をくずされる恐れがないと見たからであろう。
 この申し入れを無条件で受け入れた松下氏を「学者の風上にもおけない」とタンカをきって、赤サヤの大刀を背負い、スケジュール闘争で都民の足を奪うことを年中行事としている ような総評や社会党の声援のもとに、都知事候補に踏み切った美濃部氏のサッソウたる姿は、 まさに巌流島の佐々木小次郎そのものである。               (昭和42年初出)

『大宅壮一全集 第8巻「サンデー時評Ⅰ」』(1980年、蒼洋社)

美濃部亮吉が勝利し、福祉政策を強化していく東京都

 この1967年(昭和42年)の都知事選は、美濃部亮吉に軍配が上がり、1979年(昭和54年)まで3期12年務めます。このころ私は東京都民でしたが、まだ選挙権がなく、1991年に横浜へ引っ越すまでは、元官僚で自民党が推薦する鈴木俊一が、都知事として4期16年の長期政権を維持し、革新を応援し続ける私は、常に死に票を投じていました。

 まだ投票前の大宅の論評では、美濃部を佐々木小次郎としており、松下正寿が勝つと予想していたのかもしれません。

 小池百合子と蓮舫の一騎打ちの様相が強まる都知事選ですが、果たしてどちらが宮本武蔵で、どちらが佐々木小次郎なのか、決闘の行方に注目が集まります。

 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?