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『仮面のロマネスク』『Gato Bonito!!』感想

千秋楽おめでとうございます。全国ツアーを追いかける中で感じた心震える「何か」を残しておきたくて、書き始めた感想です。最初に言っておくが、とんでもなく長い。


『仮面のロマネスク』感想

古典作品の「賞味期限」というものを、たまに考えたりする。
古典文学であれ、お芝居の演目であれ、時代にそぐわないという「賞味期限」がおそらく世の中のどこかにはあって、「賞味期限」が切れている作品だと、人によっては美味しくなかったり風味が落ちているように感じることもある。それでも、その作品が読み継がれ受け継がれていく理由は、現代にも通じる人間の真実が描かれているか否かということなのだと私は考えている。

朝美さんと夢白ちゃんのお二人が表現されるヴァルモンとメルトゥイユの根底には、現代に通じる感情があって、どこか新しいと思った。知った作品だけど、自分がこんな気持ちでこの作品を観ることになるなんて想像してもいなかった。朝美さんのヴァルモンはずっと寂しそうで、何もかも失ったような顔で恋をしている。これまで大袈裟だなと思っていた(こら!)主題歌の「鼓動も止まり涙も止まり孤独の中でただひたすらに〜」の意味が初めてわかったのだ。

「仮面のロマネスク」に登場するヴァルモンとメルトゥイユ夫人が何やりたいのか全く共感できないからこそ、二人がどんな気持ちなんだろうと朝美さんと夢白ちゃんのお芝居を見るのが楽しい。ヴァルモンもメルトゥイユ夫人も誰かに見られていることを意識する人物という役作りなのが面白い。他の登場人物の視界に入らなくなったほんの一瞬のうちに素の表情が覗ける。けれど、それが計算の芝居で出された素顔ではなくて、その時に思わず溢れ出たものに見えるから朝美さんと夢白ちゃんのお芝居は不思議だ。

例えば、恋の駆け引きの相談をしてヴァルモンがはける時にメルトゥイユ夫人へキスするけど、直後は嫌そうな顔をしているメルトゥイユなのにヴァルモンの姿が見えなくなってから暗転直前に嬉しそうな乙女の顔で微笑んでいて「好きやん!?!?めっちゃ好きやん!?!?」と心の中で私は大騒ぎしてしまう。

ヴァルモンも、セシルへお手紙を渡した後にセシルの視界に入る時はにこにこ人の良いお兄さん顔をしているのに、セシルが自分に対して背を向けた瞬間に値踏みするような目を向けている。
多分、この写真の時がそのお顔です→ https://shop.tca-pictures.net/shop/g/g2240431301040/

この二人は貴族社会の中で、立身出世のためにも、「誰かに見られている自分」を常に意識せざるを得なくて、その結果、自分の素直な感情を出せず、仮面をつけて自分の可視性をコントロールするしかなくなってしまったのかなぁと思う。

(場面は前後するけど)最初のメルトゥイユ夫人邸で「ジェルクール…」と暗転してヴァルモンとメルトゥイユだけが照らされる時、他の客たちには二人の姿は見えていなくて二人だけの世界になるという演出なのだと思う。このタイミングで交わされる静電気が流れるような眼差しのやりとりが、いつも自分がどのように見られるかということを意識して仮面をつけている二人なのだと思い知らされる。お芝居の序盤に朝美さんと夢白さんがこの眼差しだけで、作品の世界観を提示してくれるのですごくわかりやすく作品を観られた。共感はできないはずなのに、この二人を見ていると自然と心が粟立つ。

冒頭の「僕は…今…ちょっとねぇ…」や「(ご褒美は)わ…た…し……」といった吐息で話す声のトーンもぴったりで、この美しい二人は似た者同士だけど、似た者同士過ぎて心の中を明かしあえない。そういう関係性なのかなぁと台詞にはないことまで容赦なく伝わってくる二人の作中での存在の仕方が素晴らしい。

言うまでもないことですが、美貌による圧がすごい。腰を抱いてくるくる回るみたいな振りのところ、美人が出てきたと思ったらまた美人…みたいな…。だってあの軍服が朝美さん以上に似合う人はこの世にいないし、あの肩出しドレスが夢白ちゃん以上に似合う人はこの世にいないでしょ!?!?(暴論)

(ちょっと話は逸れましたが)多分、現代人も「誰かに見られている自分」というのを意識しない日はなくて、いつも自分の感情の赴くままに素直に生きられるという人は少ないだろう。恋愛ゲームを始めて人の心を弄ぶヴァルモンとメルトゥイユ夫人は悪い大人なはずなのに、いつも素直になれない二人に観客が少しでも同情してしまった時からこの物語は始まっているのだと思う。

夢白ちゃんの演じるメルトゥイユ夫人からは純粋な恋心が感じられて、「自分が思っている自分」とは「異なる自分」として他人から見えているアンバランスさが不安でヴァルモンと別れてしまったのかな、となんだか憐れになってくる。メルトゥイユ夫人はヴァルモンへの想いから、自分を失い溺れてしまうのが怖くて素直になれないのかなぁ…なんて。

Twitter(X)で「てろてろシャツが〜」と騒ぎ続け、友人に会う度毎に「てろてろシャツが〜」と騒ぎまくっている私なのですが、どうしてこんなに第10場(B)が好きなのかということを冷静に考えた時、白シャツのところはヴァルモンの仮面を外した素顔が見られる数少ない場面だからではないかと思う。

この仮面外すという行為にもいくつか段階があって、ざっくり3種類くらいあるのかな…
①貴族としての仮面(甥としての仮面や、ダンスニーやセシルに対して良い大人としての仮面も含む)を付けている状態
②過去の恋人の前で見せる、素の自分に近い仮面を付けている状態
③誰にも見られない時の、仮面なし素顔の状態

時には一つの場面で、瞬間的に仮面の付け外しが行われる細やかな表現力から目が離せない。

プログラムに「心象風景」と書いてあった白いてろてろシャツ場面()は、トゥールベル夫人やセシルと一緒にいるにも関わらず、心の中の世界であって誰にも見られることはないから珍しく感情を表に出している。誰かに見られることを計算して仮面をつけた表情ではなく、③の状態での苦悩や困惑の表情を見られるのはこの作品の中で珍しい気がする。(あと単純に朝美さんが苦悩する演技がすごく好きです、この場面の舞台写真を4種類も出してくださってありがとうございます🫠)
メルトゥイユ夫人を見つけた時の一瞬のきらめきのような仮面を外した表情を、夢の中だけでなく本人に見せられたらいいのにと、もうすっかりヴァルモンに同情してしまっている私はいつも考えています。

仮面の取り外しの細やかな瞳のお芝居が凄まじくて、朝美さんの目のハイライト調節機能はどうなってるんだ?ここぞという時にだけ、光が入る瞳。メルトゥイユ夫人を見つけた時と、仮面舞踏会でトゥールベル夫人を捨ててメルトゥイユ夫人を選ぶ時にだけ光のある瞳になっていて、ヴァルモンにとってのメルトゥイユ夫人は「太陽の光」のようなこの世でたった一人のお方なんでしょうね…ヴァルモンからの純愛も目だけで示されていてすごい。

ラストシーンの二人だけの舞踏会でも、窓辺に登場した時はまだ仮面を外し切れてはいなくて②と③の間くらいな気がする。
包容力たっぷりで多幸感に溢れたデュエットダンスはとても素敵だけど、フランソワーズ(メルトゥイユ夫人)に最期に見てもらいたい姿であって、ジャンピエール(ヴァルモン)の素顔ではないのでは?と私は疑ってしまう。ヴァルモンの幸せそうな表情は偽りではないと思うけど、好きな女性の前ではかっこつけたいヴァルモン様、愛おしいですよね…。(ダメですよ、同情したらもうヴァルモン様の術中に嵌ってますよ…それに、朝美さんのお芝居の沼に嵌ってますよ…と自分に言い聞かせながら……)
最後の最後にフランソワーズを抱きしめて、彼女の視界に入らない場所では苦しげで切ない悲痛な焦燥を見せる。最後の幕が降りるその刹那だけが、ヴァルモンが本当に仮面を取り去ることができた瞬間なのだと私は思っています。

二人の恋の行く末に共感しているかと言うと難しいけど、この世界の中で、この輝くように美しい二人だけがわかりあっている世界があってもいいな、一生に一度の恋を見せてもらってありがとうございますと謎に感謝してしまうほどの説得力とカタルシスをもって幕が下りる。 

どんな場面でも、どんな役でも、魅力的にみせる朝美さんの惹きつける力にすっかり惹きつけられてしまって困ってます、ええ。一回だけの観劇でも十分理解できるし感度できるけど、観れば観るほど楽しい奥深いお芝居なのもありがたい。

宝塚を観ていてラブシーンがあると、その作品の中で絶対にオペラをあげてしっかり見なきゃ!みたいな使命感に駆られるけど(え?私が変態なだけ?)、実は世間の目を欺く緊張感溢れるラブシーンがこの作品の一番の醍醐味ではないのかもしれない。どうしても過去の恋人との繋がりを失いたくなくて恋の駆け引きに参加せざるを得ないヴァルモンはどこか寂しい人だし、トゥールベル夫人を失っても全てをメルトゥイユ夫人のせいにはできない自縄自縛に囚われて苦しむのも、朝美さんのヴァルモンはあんなに完璧な見た目をしているのにどこか危うくて人間臭い。

仮面を外すことができず一番に愛する人と分かり合えないヴァルモンの心の暗い部分に根ざす孤独のようなものは、いつの世にも通じる人間の本質なのだと思った。そこに光を当てて2024年の雪組の「仮面のロマネスク」はある意味、新たな物語として現れたと思う。物語を始めて、そして、ちゃんと物語を終わらせてくれる朝美さんのお芝居が大好きだなぁと実感した作品でした。

『Gato Bonito!!』感想


ショーの感想って書くの難しくないですか?
『Gato Bonito!!』の感想を乱暴にひとことにまとめると、「宝塚楽しい!という感情が全て。」です。

さっきまでヴァルモンの声で熱っぽく歌っていた人が、突然「朝美絢」の声になってまた別の意味で情熱的に歌い始めるので、何度観ても朝美さんの声の幅にびっくりする。再演の作品ではあるのだけど、朝美さんの踊りも歌も全ての魅力が全国の方々にきっと存分に伝わる演目で本当にありがたいです。

順番無視して好きな場面から書きますが、クンバンチェロで朝美さんの個性が光り輝いていて「朝美絢が朝美絢している」というよりほかない歌唱だと思う。こんな風に場を支配するところを見てみたかったという夢を叶えてもらった気持ちです…

朝美さんの情熱とタンゴの相性が最高に良くて、もっとたくさんこういう場面が見たいなと思う。バンドネオンと朝美さんの声質が合うのは何故なのか…?朝美さんが空気を震わせたり、弛ませたりして歌う技術(?)と、空気を出し入れして音を鳴らすバンドネオンと何かが似ているのですかね…?誰か詳しい人いたら教えてください笑

それから、驚いたのだけど、夢白ちゃんってこんな熱い方なんですね。朝美さんと夢白ちゃんの個性と個性がぶつかり合って、新しい景色を見られた気がする。二人で今この瞬間を楽しんでいることが伝わってきて、観ていて本当に楽しい。特にデュエットダンスはご本人たちが今この舞台を楽しんでいることが伝わってくる。猫らしいジャンプや腕の伸ばし方目の使い方など、表現力が磨き抜かれていて台詞や歌がない中でも雄弁なデュエットダンスだと思った。何度か観劇して様々な入りのリフトを拝見したけど、美しさに胡座をかかない努力と根性のコンビでますますもっと観たいという気持ちになりました。

二人の相乗効果でどんどん「熱く熱く熱く」なっていくので、心の底から手拍子や拍手が湧き出てくるし、観客の私まで「熱く」なってしまう。

朝美さんのことは元から好きですが、夢白ちゃんのことも大好きになってしまってどうしよう。もう夢白ちゃんが映っている舞台写真全部買っちゃったじゃないですか…とりあえず「あやちゃん」とお呼びしてもいいですか…??

すごく長くなった割に、まとまらずに終わります。朝美さんと夢白ちゃんを中心に感想を書きましたが、この方がよかった…という感想が他にもたくさんあって書ききれないので、Twitter(X)に投稿していこうと思います。

読んでくださった方、ありがとうございます。

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