謎の多い物語「宝石の国」の裏側~漫画アシスタント物語~

 この考察は「宝石の国」原作を、別の方向から解釈したものです。
 勝手な妄想、下衆の勘繰りと言って良い内容なので、原作を楽しまれた上で、別の視点から見てみたいと思う方のみ、寛容なこころでお楽しみください。


 独創的なSFやファンタジーは、一枚めくれば、現実にフィルターを被せた結果であることがある。
 最初に類似点を見たのは「メイドインアビス」だ。

 メイドインアビスは、漫画創作という世界に、深く深く潜っていく物語だ。就職を諦め、結婚を諦め、社会的地位を諦めて、潜っていけば行くほど「いまさら戻れない」という上昇負荷が発生する。人生を投入して到達した深度が、深ければ深いほど、そのダメージは大きい。そのくせ、得られる遺跡の価値は、かならず人生を買い戻せるほど絶大ではない。途中で死ぬ者もいる。途中で、慕ってくるアシスタントの人生を使い潰して、自分だけ悠々と生活するボ卿のような人もいる。悲しい過去を背負った先輩に助けられることもある。

 漫画家の描く世界に、彼らの現実がオーバーラップするのは、当然のことだ。その観点から「宝石の国」をいま一度、読み解いてみる。

 いろんなものを失って怪物化していくフォスフォフィライトは、漫画の世界を深く潜りすぎて自分を失っていく人間の姿ではないか。
 先のメイドインアビスの解釈を補助線として、そう見当をつけてみた。

 しかし、フォスが市川先生本人であるとか、あるいは実在のモデルがいるとは思わない。それこそ、塀の向こうから隣家を除いて、憶測だけで住人をああだこうだと断じる愚行だ。これは、あくまで、ひとつの解釈。見当違いであっても、少し変化のある視点として、読み流して欲しい。

以下、期間限定で無料公開されている「宝石の国」を参考に、先の仮説にあてはめていく。

https://comic-days.com/episode/13932016480029605220

第一話 フォスフォフィライト

 第一話。草の中で珍しい植物を眺めていたフォス(いまのところ役に立たない漫画家志望のアシスタント)が、先生(漫画家)に呼ばれる。「戦争(作画作業)に連れて行ってくれるのかも」「んなわけあるか」そう返すモルガとゴーシュは、このとき先生のところに来ているアシスタントだ。「たまには先生にも楽させてあげなきゃ」は、先生の指示をまたずに原稿にベタなりトーンなりの仕事を入れようとしている勇み足。「ああみえて歳だから」というのも、若いアシスタントの気づかいっぽい。これが、担当する仕事がないフォスは面白くない。
「南に予兆の黒点」とは、編集からの修正連絡。当時どんな環境だったか分からないが、おそらくファックスか電話だ。メールかもしれない。
 フォスよりは画力のある二人のアシは、単独で修正作業をすすめる。彼女らの持つ刀は、作画作業と画力の象徴。これで修正箇所を一気に直していく。作業の末に、月人中央人物の顔を両断。しかし、敵は霧散しない。編集からのOKが出ない。断面から出てくる矢先。「このまえ捕まったヘリオドール」これは、修正前の原稿で彼ヘリオドールが作業した部分だろうか。彼はもうここにはおらず、つまり辞めたアシスタントかもしれない。あるいは、未来の彼らの姿だと、編集から連絡があったのかもしれない。(このへん、まだ妥当な解釈は浮かばない)

先生がフォスに「この国の成り立ち」について序文の暗唱を求める。6度の流星は6大出版社。小学館・集英社・講談社・秋田書店・少年画報社・白泉社。7度、と数えられて、6度に修正されているのは、角川か新潮社かもしれない。「痩せ衰え」とされるのは、漫画雑誌の乱立によって、アシスタントが足りなくなったか、あるいは出版不況の比喩かもしれない。陸がひとつの浜辺となったのは、先生にようにアシスタントを教育しながら育ててくれるような作家が一人きりになった、という意味かも。すべての生物が海へ逃げたのは、漫画家を志す者が「食っていけない」「やっていけない」と判断して社会に帰っていった、という状況だろうか。

 貧しい浜辺に現れた不毛な環境に適した生物は、安い原稿料で描かされる新人漫画家やアシスタントたち。逃げ遅れて海に沈んだ者は、社会に居ながら進学も就職もせずに漫画家を選んだ者。「沈んだ」「海底に棲まう」は底辺自虐か。(海の象徴がハッキリしない)
 ふたたび、漫画家の執筆環境という浜辺に打ち上げられた。それが「我々」=宝石であり、アシスタントたち。そして、アシスタントや若い漫画家の卵の人生を削り取って装飾品(漫画作品)にするため、編集部から無数に訪れる編集者もしくは修正ファックスに対して、戦うのは少数のアシスタント達なのだ。

 皆それぞれ一つか二つの得意な役割、担当作業がある。医務は人体デッサンの狂いを修正、戦略計画はスケジュール管理、服飾織物は服を描き、意匠工芸はトーン貼り、武器製作は戦闘シーンなど高画力を求められる作画だろうか。しかしフォスの不器用さでは、背負わせる作画作業がない。原稿をやらせて、というフォスに、それだけは諦めなさい、という先生。

 ふとみると、月人は、モルガとゴーシュの破片を集めている。先のヘリオの変わり果てた姿(矢先)に似ている。二人の未熟な作画作業が通用しなかった結果だ。これを送り返しても、また修正項目の矢となって、ファックスが送られてくるだろう。しかし先生は指先ひとつで、それを消し飛ばし、霧消させる。修正完了。
「あ、やべ」と、みっともない姿の二人。「敬老の精神か。まだ早いわバカモノ!」という先生の一喝は、勝手に原稿を直して不完全なものを編集に送ろうとした、先走ったアシを叱る声。直接作画したわけでもないフォスは、しかしそんな声にも自身(自信)を砕かれてしまう。
 彼女たちの身体は、画力であり自信だ。フォスはひときわ脆い。硬度は画力の象徴。「三半」はかなり低い。

 そこで先生に頼まれたのが、おそらく資料さがし、もしくは、漫画のアイデアやネタを集めること。地味だが、未来の不意に備える作業。作画作業で、急に「あの資料がいる!」というときがある。そのための作業だ。重要かつ創造的で知的な仕事だと先生は言う。「まず観察眼を養いなさい」も、それらしい。フォスは画力を期待されてはいない。しかし、その正直さが愛されている。

 フォスの画力は貧弱だ。「右足と左足を逆につけた」というフォスは、たぶん左右の足を逆に描いた(観察眼が養われていない)失敗があったのだろう。
 医務担当のルチルのところで、ヘリオの復活について話がされた。アシさんたちの中にはインクルージョンが閉じ込められている。それは漫画家になりたいという夢、こころざし。これが原動力となって自分たちを動かしている。画力が通じなくて自信が打ち砕かれても、ある程度の枚数の絵を描いたり、漫画に触れていれば「やっぱり、漫画っていいよな」と思って生き返る。たとえ粉になって土に紛れ、海に沈もうとも・・・とは、漫画家をあきらめて社会に戻ったとしても、だ。漫画描きの魂は死なない。稼げる漫画家になれずとも、漫画描きとなったものの活動休止は、仮死にすぎないのだ。他の生物にはない、つまり、普通の人にはない、すばらしい特性。ただ、この性質のために、漫画家の道を、彼らは諦められない。

ルチルは白粉(おしろい)を塗る。つまりホワイト、そして修正担当。モルガとゴーシュが失敗した原稿を、彼女は綺麗に修正した。「持ち場にもどるか」と言う画力7の先輩。フォスは「手伝わせて」と言って断られる。フォスのめげないメンタルの強さ。画力がないのに、自信が打ち砕かれない。
 冗談で先輩は「僕と替わる?」と誘ってペンを差し出した。おそらく完成原稿への加筆。遠慮するふりして、原稿にペンをいれようとするフォス。あやうく大事故になるところだったが、資料あつめの仕事が何か関わって、ギリギリ無事に終わる。自分の不足を思い知り、フォスにできるのは資料あつめだけだと納得して、一話が終わった。

https://comic-days.com/episode/13932016480029605249
第二話 シンシャ

 冒頭、博物誌とは何だろう、と思案顔のフォス。原稿は真っ白。「巨大構想を練っているの!」ということは、先生の課した「博物誌を編む」とは自分のネームを切って見せに来いとか、そんな宿題かも知れない。
「役に立つものはもうよく知っているから、知らないもの?」というゴーシェナイトの言う限り、いまこの仕事場に無い資料あつめかもしれないし、よくある漫画の定型ではなく「誰も読んだことの無いストーリー」のことかもしれない。

 さて、独創的なストーリーと言えばシンシャであるらしい。フォスが「近寄れもしない」というシンシャは、おそらく、毒舌で毒を吐きまくるアシスタント。コミュニケーションもその調子で、他のアシさんとは時間帯を分けている。
 シンシャを探しに行く行程で、椅子のデッサンを手伝えとか、ポーズのモデルを頼まれるフォス。レッドベリルは服飾担当なので、服のシワなどのモデルだろう。紙を無駄にするな、というのも、漫画環境で言われそうなことだ。
 ところでルチルは医務担当だが、先回も書いたとおり、白粉を使う担当なのでホワイトとか修正を任されているのかもしれない。その技が「奇跡の手」と言われている。

 シンシャに内在する毒。しかしその毒は、普通の人が思いつくこともできない物語を「夜のかすかな光を集める」ように結実できる。
 月人の襲来が修正ファックスや連絡だとすると、それを、他のアシさんがいない時間にも待機しているとか、そんな役割なのかもしれない。
 彼の毒に触れると、他のアシは自信をなくす。削り取るしかない、忘れるしかないほど、その毒は強烈で、おそらく反論しようもないほど正論なのだろう。彼の毒舌は、おそらく本質を突く。それで、嫌われている。
 しかし、そのへんフォスはメンタルが強いし、もとより画力も低い。フォスは彼に協力を依頼し、手懐け、部下にせんとたくらむ。資料集めか、斬新なネームか、あるいは両方を完了させ、アシ仲間に賞賛され、画力もきっとすごいことになる、と夢に見る。最後のは飛躍だ。
 ベニトが言うには、シンシャは毒液を制御できない。口に衣を着せることができないのだ。会えば人を傷つける。彼の毒舌は呼吸と同じ。迷惑をかけたくないと思ってはいる。でも、普通のアシさんは、隣にいるだけで落ち着かないのだ。

ところで、フォスの薄荷色は、月人の好みであるという。画力などの能力とは関係なく、編集部ウケはいい愛されキャラ、ということかもしれない。それを象徴してか、このときフォスのところに月人の矢が飛来し、シンシャがそれを防ぐ。彼は自分の毒を恥じるが、その戦闘力は絶大だ。「戦いたくない」と言いながら、圧倒的な能力で月人を片付けてしまう。画力7の先輩2人が返り討ちにあうような仕事を、一人でやりとげる。
 月人を撃退したシンシャは、戦闘の勢いのまま空中で、先生のいる島の突端に手をかける。しかし「いいか」と言って彼はその手を放した。彼女が「このまま」落ちていこうとしたのは海。先述の推測が正しければ、漫画家になろうと思わない人々が逃げ込んでいった世界。自分もそこに。
 しかし差し出された博物誌の仕事を綴じたバインダーを、シンシャは掴む。これは何の象徴だろう。フォスはシンシャの重みだけで、両腕をもがれてしまう。結果として海に落ちたシンシャは、しかし自力で戻ってきた。

 ところでシンシャの硬度は二だ。フォス以下の画力である。つまり、ものすごくド下手くそな絵描きなのに、恐ろしいほどのネーム才能や、ストーリーテリング能力を持っている。たまにいる、個性的すぎる天才漫画家の卵だ。「非常な才気と戦闘力を持ちながら、何もかもダメにしてしまう」と作中でも言われている。
 シンシャは自分の存在に疑問を抱いてしまう。漫画をやめよう、あるいは入水自殺しよう、そう思ってしまうのを、過酷な仕事がつなぎとめている。
「解決」とは、道が決まること。漫画家として身を立てるか、あるいはもうやめるか。それを決めきれない間、シンシャの使い道は、アシさん達の仕事部屋でも難題なのだろう。
 シンシャがいた海は、ヘリオもさらわれた場所。ファックスが置いてある部屋だろうか、あるいは電話のかかってくる部屋だろうか。さらわれるのを待っている、というのは、先述とは意味が違うが、編集部に見つけてもらうことかもしれない。そういう意味では、ファックスではなく、電話番かも。
 ただ「月に行くなんていうなよ」とフォスは言う。望ましい結果ではないはずだ。月に行く、とはアシ部屋から出て行く、あるいは、漫画家の夢をあきらめる、という意味かも知れない。

 シンシャが、フォスの忘れていった博物誌のバインダーを見つける。運命をはこぶ風がバサバサとシンシャを呼ぶ。やめたいと思っていた自分が、たしかにすがった証がべっとりと付着して見える。
「夜から出たい」と素直な気持ちを思い出すシンシャ。あのとき、たしかにそう思ったのだ。海に落ちることを拒んだ。だから掴んだのだ。頬を染めて流したものは毒液ではなく、涙だ。それをぬぐった左手が折れて落ちる。

 戦闘直後、フォスに伸ばして折れた腕を、毒液で作ったいびつな形の手で掴んだように、ここでも彼の毒液を黒く醜い腕として、つまりシンシャは、綺麗な手では無く、毒液の手で、彼女の才能そのもので、フォスの申し出に応えたのだ。

 以上、とりあえず二話までの解釈。
 しかし解釈として成立きらない破綻もたくさんある。市川先生のインタビューを読むと、こうした背景があるようにも思えない。
 だが、創作者がインタビューに素直に答えるとも限らない。そしてもちろん、こんな勘繰り妄想が正鵠を射ているとも思わない。

 それでも、この観点が物語の核をかすめているのなら、このあと度々でてくる意味のわからない演出や、デザイナー出身者の絵でしか語らぬ意図が、少しだけ呑み込みやすくなると思うのだ。

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