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鈴木宗男さんのロシア擁護について

3月7日付のAERA記事が、ロシア擁護論としてひととおり纏まった寄稿なので、これについて感想を述べる。ムネオ氏はこう書いている。

 私は今回のロシアの侵攻、力による現状変更、主権侵害は認められるものではないという前提でお話ししています。ただ、ここに至るにはそれなりの経緯がある、ということを知ってもらいたいのです。

背景を語るのはまだ時期尚早で、今は目先の惨劇を一秒でも早く止める時だ。それでも、上の大前提さえ押さえてくれているのなら話を聞いてみようという気にはなる。

■ムネオ氏のナラティブ

 1989年にベルリンの壁が崩壊し、ブッシュ(父)米大統領とゴルバチョフ・ソ連書記長の間で東西ドイツの統一に向けた議論が始まりました。その時、北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大はしない、と米国はソ連に約束しました。
 文書化されていませんが、当時のベーカー米国務長官の回顧録『シャトル外交 激動の四年』(新潮文庫)にも、1990年2月9日のベーカー国務長官とゴルバチョフ氏の会談で「1インチたりとも拡大しない」と伝えた場面が紹介されています。
 ゴルバチョフ氏は西側を信頼し、ワルシャワ条約機構を91年に解体したのです。
 この頃、KGB職員として東ドイツにいたのがプーチン氏でした。ところがNATOはその後、東方拡大を進めました。

オーソドックスな見解だろう。要するにNATO不拡大の約束をなし崩し的に破ってきたのはNATO側であり、プーチンは堪えに堪えてきたのだと。一方的にプーチンを「悪」に設定するのは違うだろうとムネオ氏は言っている。

ちなみに'89の合意についてムネオ氏は”文書化されていない”と言っており、一般的にも単なる口約束と言われているが、「密約」としてジョージ・ワシントン大学のアーカイブに収録されている。ミンスク合意、ミンスク2も然り。

■ゼレンスキーの過ち

 この和平合意を履行しなかったのは、19年に大統領に選出されたゼレンスキー氏です。彼は、自分はミンスク合意に署名していないと言い始めたり、昨年10月に攻撃ドローンを飛ばしたりしたことが、現在に至る緊張状態の発端になっています。米国も今年に入り「ロシアは明日にも侵攻する」といった情報を世界に流し続けました。

ムネオ氏はゼレンスキーの方がプーチンを挑発したという見方で、これも突飛な意見ではなく、ここに至る経緯の中ではゼレンスキーに未熟さがあったのは事実だ。「ミンスク合意の場に(自分は)居なかった」という言い分も「国家の連続性」から(韓国以外の)国際社会では通らないものだ。ただし、プーチンの言い分である'89年のNATO不拡大の密約の場にゼレンスキーが居なかったのは事実だ。そればかりか密約はNATOとソ連の問題であり、ウクライナは無関係。密約に固執するプーチンを擁護するのならば、ヤルタ密約に則って瀕死の日本に宣戦布告し、北方領土を強奪した彼らの行為もまた擁護することになるが。

何にせよ、このような背景事情は事が一旦終息して、振り返りの役に立つだけであり、情状酌量の範囲でのみ検討される性質のものだ。

■ムネオ氏の結論

 長い目で見れば、中国の東アジアでの覇権主義的な動きを抑えられるのは米国ではなく、ロシアではないでしょうか。ロシアは世界一のエネルギー資源大国です。2050年のカーボンニュートラルに向けても、当面はロシアのLNG(液化天然ガス)が必要です。
いかほどの経済制裁をしても事態は収まりません。いま必要なのは一にも二にも話し合いです。

この度、露中を接近させたのはバイデンの失策だが、対中という視座から言っても日本は、ロシア擁護をしたくてもできる状況ではなく、それをすれば日本はベラルーシになり、再び「枢軸国」に舞い戻って戦後積み上げてきた努力が水の泡だ。これまでならトランプ前大統領がやって来たように(警戒しながらも)敵対せぬよう上手に関係構築しながら付き合うのが上策だった。ところが米露双方の失態によって日本は旗色を鮮明にせざるを得ない立場に追い込まれた。今この瞬間に求められているのは旗幟鮮明であり、これが正解であるとともに、別のオプションは残っていない。今後、欧州がエネルギー事情ゆえに日和る可能性は残っており、情況は刻一刻と変化するので予断を許さないが、少なくとも日本が態度を軟化させるのは今ではない。

ムネオ氏は事が起こった今となってもまだ話し合いと言う。むろん話し合いの命綱を繋ぐことは大切であり、3月9日現在、トルコやイスラエルに加えて中国まで仲介に入るというが、終息の見通しは立ってない。話し合いを提唱するなら言う相手はプーチンであり、武力を行使されたウクライナではなく、ましてや日本に向かって言うことではない。

■私の感想

ムネオ氏が訴えるとおり、背景を一切考慮せずにロシアを絶対悪視するのは間違っている。行為の裏には背景も動機もある。しかし(ムネオ氏も認めているように)どんな動機があろうと21世紀の今、「力による現状変更、主権侵害は認められるものではな」く、背景は後日、情状酌量の範囲でのみ検討されるべきものだ。

余談になるが、眼下のウ露戦争を小ぶりに例えるなら、'85の豊田商事会長刺殺事件のようだ。これは悪徳商法の加害者(悪者)が被害者(ヤクザ者)に刺殺されたアウトレイジャスな事件なのだが、特筆すべきは、殺人がマスコミのカメラが居並ぶ中で起こったということだ。加害者が被害者に近づき、凶器を取り出し、その刃が被害者を貫き血に染まるまで、一部始終をカメラは捉え、殺人現場でフラッシュが焚かれ続けた。悪いヤツなら目の前で刺されて当然なのだろうか?

ゼレンスキーは未熟ではあっても豊田商事会長の如き悪者ではない。DSの手先論に至っては根拠がない。仮に悪者だったとしても国土を一方的に蹂躙されて惨殺されてよい筈はない。この先、結果責任を問われることがあったとしても、問うことができるのはまずウクライナ国民であって我々が先ではないだろう。

話を戻して。「力による現状変更は許されない」、このフレーズをこのところ本音のロシア擁護を隠すレトリックとして免罪符か厄除けのおまじないのように使う者が現れ始めている。その手の人間の動機は、そう言わないと世間で通らないからにすぎず、言葉の本気度は主張全体から推し量ることができる。ムネオ氏の本音は「プーチンは悪くない」「悪いのはゼレンスキー」だ。

ムネオ氏を擁護できる点はといえば、処世術ではない点だろうか。逆風でも行く正直さは鈴木宗男氏の持ち味であり、こういう彼の人間性を私は好きだし、もしも「ロシアを擁護する資格」試験があったなら、これまでの来し方によってトップ合格するのではないか。意見には賛同しないけれど、情況に流されず一貫性を見せる様は、人として信用できるが・・・人情家の日本人ムネオ氏はプーチンの冷徹さによって裏切られそうだ。

第三者側として、プーチンのとった今回の行動に”限定”するならば、プーチンへの非難は当然であり、なおかつ今は”限定”した話をするべき時だ。ロシア擁護はまだ時宜を得ていないし、悪戯な援護はむしろ「力による現状変更」の帰結--秩序の破壊と国際社会の大混乱、何の罪もないウ国民の受難--に対する、感度の低さを露呈させるのであり、責任をゼレンスキーに問うのは見当違いだ。

今現在、喫緊の課題は露による武力攻撃を一刻も早く止めさせて撤兵させることであり、情状酌量の時ではない。目的の正しさも動機の正しさも、手段の正しさを意味しない。