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和辻哲郎 『日本倫理思想史』巻頭言(前半)

『日本倫理思想史 上下/巻頭言の前半』(和辻哲郎)より

政治的あるいは軍事的な大事件が起こった際に、学問や芸術に携わる人々が、事件の刺激に興奮して『仕事が手につかない』ということを時々聞かされる。平生は十分に意義を認めているこれらの仕事が、事件の前に急に意義を失うように感ずるというのである。しかし事件が重大であればあるほど、この種の仕事に関して己の任務を見失うような興奮は戒心されねばならぬ。

日本は近代の世界文明の中にあってきわめて特殊な地位に立っている国である。二十世紀の進行中には、おそかれ早かれ、この特殊な地位にもとづいた日本の悲壮な運命が展開するであろう。あるいはすでにその展開が始まっているのであるかもしれぬ。日本のこの特殊な地位は世界史的に規定せられているのである。

世界史上にこれまで高貴な文化を築いたものは、西アジア・ヨーロッパ文化圏のほかインド文化圏、シナ文化圏を数えることができるが、近代以後に
あっては、ヨーロッパの文明のみが支配的に働き、あたかもこれが人類文化の代表者であるかのごとき観を呈した。従ってこの文明を担う白人は自らを神の選民であるかの如くに思い込み、あらゆる有色人を白人の産業のための手段に化し去ろうとした。もし十九世紀の末に日本人が登場してこなかったならば、古代における自由民と奴隷との如き関係が白人と有色人との間に設定せられたかもしれぬ。

しかるに日本人は、永い間インド及びシナの文化の中で育ってきた黄色人であるにかかわらず、わずかに半世紀の間に近代ヨーロッパの文明に追いつき、産業や軍事においてはヨーロパの一流文明国に比して劣らざる能力を有することを示した。さらに精神文化においても、インド人やシナ人自身がすでにその本質的な把握を失い去っている高貴な古いインド文化、シナ文化を、今なお生ける伝統として血肉の中に保存し、これに加えてギリシャ文化の潮流に対しても新鮮な吸収力を示した。この現象が、ヨーロッパの文明の
みを人類の文化の代表と考え、白人を神の選民とする近代ヨーロッパ人の確信に、不安な動揺と脅威とを与えたのである。

だから、二十世紀が「黄禍」という標語とともに幕を開いたのは偶然でない。近代文明の点においてはなおきわめて幼稚であった四十年前の日本の勃興が、ジンギスカンのヨーロッパ席捲を連想せしめたごときも、日本人の能力がいかにヨーロッパにとって予想外であったかを示しているのである。

日本人のつとめたこの役割は、本質的な方向から言えば、十億の東洋人の自由の保証である。この自由なくしては、公正な意味において、人類の文化を云々することはできない。しかしながら、この新しい事態は、白人の希望に反して目前に成熟しつつあるのであって、いまだ十分にその承認を得ていない。

白人は本能的にこの事態を好まないのみならず、また彼らの産業の利害がこの承認を拒否する。(中略)もし近代文明の方向が護り通さるべきであるならば、危険なる日本は抑圧せられねばならぬ。この点において白人の国々は既に連係して日本に対抗していたのである。世界大戦後の平和会議において日本の提案した人種平等案は、世界史上画期的な意義を有するにかかわらず、できるだけ小さく取り扱われた。そうしてその後まもなく、ワシントンの軍縮会議は、世界平和の美名のもとに、シナを媒介に用いつつ日本を抑圧することに成功した。日シ間の離間はこの時以来拍車をかけられたのである。

英人がインドの資源を開発し、米人がアメリカの資源を開発することは、すべて文明の進歩を意味したが、日シ提携の下に日本がシナの資源を開発することは、あくまでも妨害さるべきことなのである。シナにおける抗日の激成は日本を抑圧する最も有効な手段として、シナ側の以夷制夷と相表裏しつつ、きわめて巧みに推し進められた

日本が発展することは常に抑圧に価する。発展の度が高まれば抑圧の度も高まるであろう。これが日本の運命なのである。日本人がその発展を断念しない限り日本人は悲壮な運命を覚悟しなければならぬ。

軍事的な運動を始めると否とにかかわらず、この運命は逃れられない。しかもこの運命を護り通すことは、究極において十億の東洋人の自由を護るとき
である。その実現は容易でないにしても、方向はそれを目指している。人類の文化が正当に云為され得るのは、かかる自由が保持された上でなくてはならない。

*和辻哲郎:1889年(明治22年)-1960年(昭和35年)、哲学者、倫理学者。

*『倫理学』と並ぶ和辻哲郎の主著。古代から近代に至る倫理思想の展開とそれを支える社会構造の変遷を、宗教から文学まで視野に収めた壮大なスケールで描き出す試みは、日本思想の通史としていまだ唯一のもの。戦後まもない1952年に刊行された本書は、これ自体が近代日本の思惟の可能性と困難を照らす生きた史料である。(注・解説=木村純二)(全4冊)