日記から入る

日記から入るぜ!だがしかしなんだろう、この「けつまずく感」。

せっかくnoteでライター修行ぽいことをしようと思ったのにだわ。
下書きがたまってる。うまくかけないので、文章について考えながら練習してみる。
ああ、人になにを伝えようか、順を追って流れるようにコミュニケーションをとるように文章をつくりたい。

僕は日頃専門書のようなものはよく読むのですが、文章というものそれ自体のおもしろさを感じ取るようなことはありませんでした。
専門書を読んでるときというのは、今自分の知らない世界や観点がその本の、その書き手が持っているのか、書いてあることから自分はなにか気付きを得られるのかということを考えています。もちろん、情報そのものがどういうものなのかという理解も含めてですが。


そんな具体的な情報ありきな情報体験のなか、僕の最近のマイブーム気付きは

「ギャップ」

人と人がコミュニケーションをとるということは、知らない情報を埋め合うこと、コミュニケーションギャップを減らすということ。

世界で「仕事」が発生するのは、お腹が減っているところから満腹にするギャップを満たすため、モノの位置的ギャップを埋める必要があること、知らない人が知らない何かのギャップを埋めるために誰かが知を提供するということ。
逆に人が一人ではできないことを集団で行うことで可能になってくる「未来価値」と「現状価値」とのギャップをつくりあげ、そしてそのギャップは適切に集団を運用することで埋める。あらゆるギャップをコントロールしたり扱ったりするのも組織の仕事。文化的芸術的な「創造」も建設的に+のギャップをつくりあげるギャップそのもの。

という具合にことあるごとにギャップに結びつけて、ギャップにおける真理ってなんなのかと考えてみたり()


僕にとって情報は、体験としてではなく事実でしかありませんでした。
だから小説や物語系の本はあたまに入らない、読めない。
でも漫画は大好き。漫画はテンションあがる。どういう違いなんだろう?
僕は場面を想像する力がすっかり受動的になってしまっていたのか。
登場人物に感情移入する、物語に魅入る、そういう楽しみ方はできてる。

先に挙げたギャップについて。
文章を書くというときに、ギャップを見つけるところまでは今までと同種のものだとして、これからは紐解いてきたものを演出し、構成する。そういう技術をみがきたいと思います。
文章を書くのが下手だということに対して、これが僕の客観的な分析のつもりです。それを免罪符としてうちたいわけではなく、今じぶんが自覚して立っている場所を晒しておきたかったのです。

豆腐メンタルで怠け者ですが、これからも地味に構成、演出の技術を養っていきたいと思います。同時にコミュニケーションと探る技術も欲しい。そんで街場家として街の魅力に気づき、それぞれの人、いろんな人に伝えたい。

どうぞよろしくお付き合いくださいますようお願い申し上げます。(今日の日記おわり)

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