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僕とAI

AIについて色々考える人、使う人、脅威を覚える人、様々な思いがある。

基本僕は門外漢とはいえ、映像やCGなどのクリエイティビティに関わるお仕事をし、なお新卒時代(25年ほど前)ITがマルチメディアと呼ばれていた頃からデジタルの専門分野、先端教育に少し拘らせていただいた身として、個人の思いを吐露するならば。

いいんじゃないかな。AI。

何を呑気なこと言うておるんだと言われそうだが、まあちょっと待て。

まず前提として、仕事やめようよ。労働やめようよ。僕の思想の根幹はそこからだ。

それがたとえ知的労働であっても。「誰かに価値を生み出す生産物」をつくることもぜーんぶAIに任せちゃえ。とりあえず早く確定申告を一瞬でできるAIをだな(略)できれば税金を(略)脱(略)。後は確実に毛が生える方法を(略)。今の選挙制度や民主主義で解決できない場合の確実な国家転(略略略)

この辺りが成立するまで僕はAIの実力を認めない。

話が逸れた。

じゃあどうやって飯を食うのかって?

その前提は「人と会って面白い会話をしてたら酒くらいご馳走になるだろう。人間が好きな方はこちらから心開けば近寄ってくれる」という性善思想だ。

AI使って資本家になる人もいるだろう、農業はなくならないだろう。資本家一人で食べられる飯の量にも限りはある。どこかで飯はまわりまわる。今と違う形になったとしても、まわる経済の中で生きる道はあるだろう。今更ながらだが、僕は経済学者ポールディングの贈与経済が加速すると思っている。それゆえの芸人思想にたどり着くのだ。

労働せずとも飯を食う。労働をもう少し解像度下げて「人の役に立つこと」と考えれば、何か芸をして楽しんでもらってお駄賃もらうことくらいできるだろう。なんだ今の僕と何にも変わらないじゃないか。

AIはAIだ。役に立つ。僕はそこまで役に立たない。でも僕はAIと別軸に楽しいと思うよ。僕を楽しいと思ってくれる人に囲まれて生きていればいいんじゃないかな。

映像、動画。多分あと3年もしたらAIが作ってくれるだろう。

商品を販売するのに最前の写真をチョイスし、素敵なコピーライトを作って、過去のデータから最も効果的に販促できるCM映像を勝手に編集・生成してくれることだろう。それどころか、10年もしたら(そこまでいらないかもしれない)脚本から(架空の)演者から全てAIが生成して、面白いコンテンツも作ってくれるだろう。

最高じゃないか。

僕が必死に「マーケティングリーチできる動画」なんてもの作らなくていい世界が来るじゃないか。

僕の好き放題な映像を撮って、僕の好きな人に見せてニヤニヤするだけの世界が来るじゃないか。

仕事以外で「役に立ったりマネタイズを一切考えなくて良い」映像作れる時間が増えるじゃないか。

僕の根幹は多分中学生時代だ。

同級生とみんなでゴロゴロしながら、ジャンプ読んだりファミコンやったりしながら他愛もない会話をして自転車乗って河川敷行って走ってなんかよくわからないものを作ってゲラゲラ笑って寝る。

もう一度その世界に戻れる可能性があるなら素敵じゃないか。

大人の責任?いや、はい、ごめんなさい。5歳児なもので。

もともと、僕「が」作る動画にニーズある方と一緒に仕事をしているとは思っていない。

僕「と」一緒に作ること自体に喜びを感じてくれる方と一緒に仕事をしていると思っている。

それが事実だったかどうか…をAIが判断してくれる世の中になると僕は思ってます。

その結果「お前いらない」と言われたらどうしようかな…某さんと一緒に秋葉原駅前で包丁売ったり、宗教作ったり、個人的季刊雑誌作ったりしようかな。楽器めっちゃ練習しようかな。DJ AKKYとVJ地方ドサ周りしようかな。あ、お祭り参加しなきゃ。

なんだまだまだやることあるじゃないか。

楽しんでるうちに、気がつけば死神さんも迎えに来る時期になるだろう。

要らない人材…であれば、それはそれで腹を括らなきゃ。

でも、僕が坂本龍一や筒井康隆に憧れたように…中学生時代の僕がAIに憧れることはできるかな。藤沢秀行や小池重明みたいな苛烈な刺激を僕に与えてくれるかな。

僕の生き様が、誰かに刺激を与えられれれば、そこにAIとは別の価値を生み出せるんじゃないかな、と甘く考えています。

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