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読書録018:反応しない練習

読書録018です。僧侶である草薙 龍瞬さんの「反応しない練習」です。

ぼくは現在外資系企業の日本法人の立ち上げおよび事業拡大をやっています。まだ日本法人の規模がそんなに多くないこともあり、意思決定だけでなく、プレイヤーとしてもさまざまな業務を実施しています。そんな中、どうしても追い込まれてしまって表情が消えてしまったり、体調を壊しかけることもありました。

その影響が自分だけであればよいのですが、人数が少ないこともあり、自分自身のコンディションがチーム全体にも影響を及ぼします。自分のコンディションに波がありすぎると、チームも不安になりますし、パフォーマンスも安定しなくなってしまいます。そのために、毎日起こるいろいろなことに対し、「どのように心穏やかに対処していくか」はぼくにとってとても重要な論点です。

この「反応しない練習」はブッダの知見を現代に合わせてわかりやすく&実践的に解説している本で、自分が今抱えている問題について、非常に良い指針になりそうと思い、手に取りました。

本書からの抜粋

  • 悩みの始まりには、きまって"心の反応"があるのです。心がつい動いてしまうこと―それが悩みを作り出している"たった一つのこと"なのです。だとすれば、すべての悩みを根本的に解決できる方法があります。それは―"ムダな反応をしない"ことです。

  • 勘違いされやすいのですが、反応しないことは、無理してガマンすることや、無視すること、無関心でいることではありません。悩みを増やしてしまうようなムダな反応を"最初からしない"こと。怒りや、不安や、「どうせ自分なんて」と暗い気分が出てきたら、すばやくリセット・解消することです。

  • もともと、ブッダの教えとは「心のムダな反応を止めることで、いっさいの悩み・苦しみを抜ける方法」のことです。その内容は大きく二つ―①心の反応を見ること、②合理的に考えること、です。

  • ブッダの考え方の特色は、「人生には悩み・問題がつきものなのだ」という現実を、最初に受け入れてしまうところにあります。私たちが日々感じている満たされなさ、生きづらさ、憂鬱といった思いを「ある」と認めてしまうこと。そのいさぎよさ、合理性が、仏教の特徴です。

  • 「満たされなさがある」「悩みがある」と理解してしまえば、「では、どうすれば解決できるか」と思考を一歩前に進めることができます。「ある」ものは「ある」と、まず理解すること。わたしには満たされなさ・未解決の悩みがある、と自覚すること。

  • ブッダは、悩み・問題の解決の手順を、次の四つにシンプルにまとめています。

    • 生きることには"苦しみ"が伴う。

    • 苦しみには"原因"がある。

    • 苦しみは"取り除くことができる"。

    • 苦しみを取り除く"方法"がある。

  • ブッダの考え方とは、悩みがあるという"現実"を見据えて、その"原因"を理解して、解決への"方法"を実践しようという、最先端の医学にも似た明快な処方箋なのです。

  • 「わたしには承認欲があるのだ」と、素直に受け入れてしまう。不思議なことに、それだけで、あれほどの不満―それまでの憤懣、物足りなさ、さみしさ―が収まっていくことがあります。承認欲という、それまでの「心の渇きの正体」がわかるだけで、その不満状態から抜けてしまうのです。

  • 人が苦しみを感じるとき、その心には必ず「執着」があります。本来心は、サラサラと流れ続ける小川のように、苦しみを残さないはずなのに、執着ゆえに、滞り、苦しみを生んでいるのです。苦しんでいるのが、自分であれ、相手であれ、誰かが苦しんでいるなら、何かが間違っています。「このままではいけないのだ」と目を醒ましてください。

  • 「かなわなかった過去の願い」が、苦しみを生んでいる。「失敗した」(こんなはずではない)という判断が、苦しみを生んでいる。「相手はこうでなければ」という期待・要求が、苦しみを生んでいる。これらの「執着」を手放さなければ―でないと、自分も相手も、苦しみ続けてしまう。

  • 本当は、「自分も、他人も判断しない」ことが、一番なのです。そうすれば、心を別の喜び・満足に使えるからです。素直で、ラクな自分になっていけるのです。

  • シンプルに「判断に気づく」ことです。「今日はついていない」「失敗したかも」「あの人は苦手、嫌い」「自分はダメな人間」といった思いがよぎったときは、「あ、判断した」と気づいてください。誰かのことを好きか嫌いか、いい人か悪い人かと「品定め」している自分に気付いたら、「あ、また判断している」と気づきます。

  • 「人は人。自分は自分」という明確な境界線を引くのです。この考え方ほど、大事なことはありません。世の中にはたしかに、判断好きな人がいます。しかし、自分も同じことをする必要は、ありませんよね。

  • 自分はエライ、正しいという"慢"の心に固まってしまうと、周囲との間に「壁」ができてしまいます。人とわかり合えなくなります。また、何か言われると自分を否定された気がして、逆上したり、落ち込んだりと、苦悩を溜めていきます。こうした苦しみは、周囲が問題なのではありません。「自分は正しい」という思い込みが、原因なのです。

  • 率直に言って、「自分は正しい」という思いなんて、あまりに小さな自己満足にすぎません。その思いが、誰を幸せにしているというのでしょうか。「正しい自分」でいるより、「素直な自分」でいるほうが、魅力的だと思いませんか。人の話をよく聞けること、ものわかりがよいこと、心を開いて話し合えること。そういう自分のほうが幸せになれると思うのですが、いかがでしょうか。

  • 仏教的な理解にてらせば、「自分を否定する」という判断に、合理性はありません。なぜなら、①その判断は苦しみを生んでいるし、②その判断は妄想にすぎない、からです。真実でも有益でもない判断は、必要がないというのが、ブッダの考え方です。

  • どのような状態であっても、自分を否定するという判断は手放すことです。むしろ、今何をすべきか、何ができるかという、「この瞬間」だけを考えましょう。

  • 人生に、あやまち、失敗はつきものです。ただ肝心なのは、そのとき「どう対応するか」なのです。落ち込まない。凹まない。自分を責めない。振り返らない。悲観しない。それより、今を見すえて、正しく理解して"ここからできること"に専念するのです。

  • 自信なんて、考えなくてよいのです。先のことはわからない。それよりも、今しておかなければいけないことがある―それが正しい考え方です。これは、仏教を持ちだすまでもなく、多くの人が共有している真実だろうと思います。

  • 「まだまだ」はやめましょう。「自信が欲しい」とも考えないでください。わたしはわたしを肯定する。そして、今できることをやっていこう、と考えましょう。

  • 「正しい」という判断は、本人にとっては間違いなく「正しい」のだから、相手の言い分は否定しません。「わたしのほうが正しいのだ、わかったか」という「説得」もしません。「あなたにとっては、それが正しいのですね」とただ理解するだけです。

  • 「つい反応してしまう」状況にあってこそ、あえて大きく息を吸って、吐いて、覚悟を決めて、相手を「ただ理解する」ように努めましょう。そして、心のもう半分を、自分の内側の反応を見ることに使うのです。

  • 相手との関わり方の原理原則をまとめてみましょう。

    • 相手のことを「判断」しない

    • 過去は「忘れる」

    • 相手を「新しい人」と考える

    • 「理解し合う」ことを目的とする

    • 「関わりのゴール」を見る

  • 「比較」というのは、実は、とても不合理な思考です。というのは、一つの理由は、比較という心の働きは、そもそも実在しない、バーチャルな妄想でしかないこと―だから、手応え(実感)を感じられません。二つめは、比較しても自分の状況が変わるわけではないこと―だから、いつまでも安心できません。三つめは、比較によって安心を得たいなら、絶対・完全に有利な立場に立たなければいけないが、それは実際には不可能であること―だから、つねに不満が残ります。こうしてみると、「比較する」というのは、かなり不合理な、不毛な思考です。

  • いったん作業を開始したら、もう他人の目を気にしたり、外の世界を妄想したりしてはいけません。取り組むときは「無心」でやる。いっときに、一つのモノゴトを、心を尽くしてやるというのが原則です。そのことで、ムダな反応が浄化され、心はどんどんクリア(透明)になり、「集中」による充実感と喜びが得られるのです。あとに残る実感が「納得」です。

  • そういう努力ができるようになったら、もう誰の評価も必要としません。集中すれば成果はおのずとついてくるし、結果的に、誰かに感謝されたり、賞賛されたりというオマケもついてくるかもしれません。しかし、「道の途中」―自分のモノゴトに取り組むプロセスそのもの―に納得しているのですから、そんなことはもう、どうでもよくなります。自分のなすべきことがわかっている。心をリセットして、集中する。やり遂げた後に、納得が残る。それだけですっきり完結です。

  • 「納得」を人生の方向性にすえるなら、あとは時間をかけて、近づいていけばよくなります。日々の仕事や家事も、「自身が納得できること」を基準にすれば、外の世界に振り回されることは減っていくでしょう。もちろん、ままならない現実、わかり合えない人間は、これからも現れてくるでしょう。しかし、そういうときこそ、いたずらに反応せず、ぐっと目を閉じて、心を見つめて、「正しい心がけ」に戻りましょう。そうすれば、「納得」が残ります。

  • 反応を見ること。よく気づくこと。そうしてムダな反応をせず、反応を解消できるようになれば、人は「苦しみ」から自由になれます。もちろん、生きていくうえで「問題」は生じるかもしれませんが、「苦しみ」はなくなるはずです。

感想など

非常に良かったです。

どうしてもビジネスの世界にどっぷりつかっていると、「あれもやらなきゃこれもやらなきゃ」「上に行かなければ」「素晴らしい人を採用しよう」などなど、判断や反応の連続になりがちです。その世界にい続けてしまうと、徐々に自分の魂が濁っていき、謎の疲れやストレスにさらされつづけている感覚に陥ります。

そうなると、どんどん余裕がなくなり、さらに外界の刺激に反応しやすくなり、周りの人とのコミュニケーションも上手く取れなくなり、パフォーマンスが落ち、さらに余裕がなくなり…という悪循環に陥ってしまいます。

そうならないように、「判断しない」「反応しない」「この瞬間だけを考える」「目を閉じて雑念があることを認識する」「無心で取り組む」などなど、日々強く意識しながら進めていきたいなと思いました。何回も読み返したいですね。

大変おススメです!ぜひ読んでみてください。

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