先行きがわからないからこそ「生き方」を考える。

大学生のとき、自分は何をしたいのか、何のために生きるのかわからず、日々を無為に過ごしていました。大学を卒業してからは、とにかく毎日生きるのに必死で、そのようなことを考える時間があまりありませんでした。

  • 仕事がちゃんとできるようになりたい

  • 世の中を生き延びる力をつけたい

  • できれば家族が欲しい

そんなことを考えつつ、毎日苦しみながらも仕事を頑張っていました。

そんなこんなで10年以上社会人をやってきて、ふと気づくと、ありがたいことにある程度上記の願いをかなえることができていました。

「仕事がちゃんとできるようになる」という定義は難しいですが、社会のためになると信じられるサービスの改善、拡大をすることができています。コンサルティングや経営企画、海外発ビジネスの日本での拡大という文脈では、おそらく現職以外にも求めていただけることはある気もします。20代後半に結婚もして、2ヶ月前にはとても可愛い娘も生まれました。

社会人なり立てのときに欲しかったものは、ラッキーなことにある程度手に入れることができたような気もします。

とはいえ、まだまだ人生は続きます。「人生100年時代」を真とするのならば、ぼくはあと70年弱生きるのです。70年、シンプルに長い。なんとなく過ごすには長すぎる時間です。

「何のために生きるのか?」

節目節目でふっと浮かんでくるこの本質的な問いに対して、自分は今までちゃんと向き合えていなかったように思います。今まで、この問いについて考えてきた方はたくさんいらっしゃいますし、それぞれ納得感があります。

――「生きる意味」とかって考えたりしますか?
ひろゆき氏:うーん、と。虫や細菌に生きる意味がないのと一緒で、地球上の生物は地球の熱循環のシステムの一部としての機能を果たしているだけなので、意味とかないと思います。
――身も蓋もない……(笑)
ひろゆき氏:結論みたいなものを言ってもしょうがないですかね。そしたら、「死ぬまでにできるだけ楽しく暮らす」ってのを目標にするといいんじゃないかと思っています。

ダイヤモンド・オンライン:ひろゆきに「生きる意味」を聞いたら意外な答えが返ってきた

あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。ほかのことは二の次で構わないのです。

日本経済新聞:「ハングリーであれ。愚か者であれ」 ジョブズ氏スピーチ全訳

ブッダはこう考えました。私たちは苦しみに満ちた輪廻世界を、誰からも助けてもらえず、いつまでも巡り続けねばならない。その原因は私たちの心にある。私たちの心が作り出すさまざまな悪心、悪行がエネルギー源となって輪廻が続くのだ。したがって、輪廻を停止させ、永遠に変化しない絶対安穏な状態になるためには、私たち自身の心の中にある悪い要素(これを煩悩という)を完全に断ち切らねばならない。自分自身の努力によって心の煩悩を断ち切ること、これこそが一切皆苦のこの世界で真の幸福を手に入れる唯一の道だ──。

この世は苦しみだらけ——佐々木 閑さんが読む、ブッタ『真理のことば』③【月曜日は名著ブックス】

上記、自分が見聞きしてきた中でよく目にする「生きる意味」を上げてみました。

ひろゆき氏は、「人生に意味はない。どうせ意味はないのだから、楽しくゆるく幸せに過ごしていこう」という考え方。

ジョブズ氏は、「今日が人生最後の日だと思い、自分の心や直感に従え。本当にしたいことをしろ」という考え方。

ブッダは、「人生は基本苦しいもの。その苦しみ連鎖から抜け出すには、自身を磨き、煩悩を断ち切ること」という考え方。

どれも正しいと思います。どのスタンスを取るかは、個人の自由です。

ひろゆき氏の考え方は、現代に非常にマッチしている気がしますが、個人的にはあまり好きではありません。「一人の人生に意味などない」はその通りだと思いますが、それをまるっと認めて自らの快楽のみを追求しても、なんというかあまりカッコよくはないと思うのです。ぼく個人の価値観として、「カッコよくあること」は結構重要で、それを捨て去る考え方に依拠したくはないなと思います。

ジョブズ氏の考え方は本当にカッコいいですし、それに啓発されて毎日圧倒的な熱量で「自分のやりたいこと」に全速前進している人は素直に尊敬します。ぼくもそうなりたい!!!と結構な間思っていましたが、これがなかなか難しい。毎日「今日が人生最後の日だ!」って思い続けながら過ごすというのも、なかなかしんどいものではないでしょうか。ジョブズ流でゴリゴリ行ける人、カッコいいしすげーなと思いますが、ごくごく一部なのでは…。

仏教の考え方はかなり好きです。「人生のデフォルト設定は苦しみである」という概念を取り入れることで、日々の生活や仕事への期待値が下がり、結果そこそこ幸せに過ごせます。また、その苦しみから抜け出すために、日々自分を磨いて煩悩を断ち切る、というのもストイックでカッコいい。自分には向いている考え方だなと思います。でも、ちょっと暗いんですよね…。

そんな中、今まで手に取ることがなかった稲盛和夫氏の「生き方」を読んでみました。

個人的に「そうだよな…」と頷けるポイントが多々あり、自分の残り70年をどう使うか、非常に良い指針となりました。生きる意味や生き方に自信を持てない人は、ぜひ一読してみると良いかと思います。以下、勉強になったポイントを抜粋&コメントしていきます。

「生き方」より抜粋&コメント

私たち人間が生きている意味、人生の目的はどこにあるのでしょうか。もっとも根源的ともいえるその問いかけに、私はやはり真正面から、それは心を高めること、魂を磨くことにあると答えたいのです。

稲盛和夫:生き方

シンプルですが、これ以上ない答えだなと感じます。ただ幸せの総量を増やすためでもなく、やりたいことに邁進するでもなく、自身の心や魂を磨いていくこと。お金や地位、名声に汲々とするのではなく、人として正しい行いをして、自分自身を向上させていくこと。それが人生の意味なのではないかと。

それでは、人格を練り、魂を磨くには具体的にどうすればいいのでしょうか。山にこもったり、滝に打たれたりなどの何か特別な修行が必要なのでしょうか。そんなことはありません。むしろ、この俗なる世界で日々懸命に働くことが何よりも大事なのです。

稲盛和夫:生き方

昨日の自分よりも少しでもマシな自分になる。自分自身に恥じない行動や言動、生き方をする。そのために最も大事なことは、「日々懸命に働くこと」だと稲盛氏は述べます。

言われてみると、仕事は確かに自身を磨くのに絶好の修行です。大変なこと、イヤなことが仕事にはたくさんあります。また、いい仕事をするためには、他の人が何を求めているかしっかりと把握し、それを満たす必要があります。それを高いレベルで実現するには、「修行」と形容してもよいレベルの努力が必要になります。

 企業経営でも、新規の事業展開や新製品開発などでは、頭で考えればたいてい、これは無理だろう、うまくいかないだろうと判断されることのほうが多いものです。しかしその「常識的な」判断にばかり従っていたら、できるものもできなくなってしまう。本気で何か新しいことをなそうとするなら、まずは強烈な思い、願望をもつことが不可欠なのです。
 不可能を可能に変えるには、まず「狂」がつくほど強く思い、実現を信じて前向きに努力を重ねていくこと。それが人生においても、また経営においても目標を達成させる唯一の方法なのです。

稲盛和夫:生き方

いろいろな経営理論を学ぶのももちろん重要ですが、経営者としてもっとも優先すべきはここで述べられている「強烈な思い、願望をもつこと」だと思います。ここが弱々しいと、いくらロジックを立てたところでうまくいきません。単発でうまくいくことがあったとしても、それを長期的に継続することはほぼ不可能です。大きなことを為しえた起業家、経営者は、例外なく強い思いやビジョンをありありと描いていたはずです。

正直に白状すると、ぼくはこの力があまり強くありません。誰かが強く思い描いたものを実現するために頑張ることは得意なのですが、自ら強く思い描くことがニガテですし、今までもあまり経験がありません。ただ、そうもいってられないので、「強烈に思う」「狂ったように思う」を実践していきます。

 「手の切れるような」という形容は、幼いころ私の両親がよく使っていた言葉です。目の前に理想的な完成品が具現化されているとき、人間はそれに手をふれるのもためらわれるような憧憬と畏敬の念に打たれるものですが、両親はそれを手の切れるようなと表現していたのです。
 それが私の口からもついこぼれ出たのです。「もう、これ以上のものはない」と確信できるものが完成するまで努力を惜しまない。それが創造という高い山の頂上をめざす人間にとって非常に大事なことであり、義務ですらあるのです。

稲盛和夫:生き方

「手の切れるような」というワーディングは独特ですが、求められているレベル感を非常にわかりやすく表しています。具体的なモノ以外にも、サービスや人の立ち居振る舞いにも使える言葉だと思います。幸運なことに、「手の切れるような」という形容ができるモノ、サービス、人に今までの人生でたくさん出会ってきました。自分自身も手の切れるような人材になること、またそのようなサービスを生み出せるように日々精進する必要があります。

 短兵急をめざしても、まず今日一日を生きないことには明日は訪れません。かくありたいと思い描いた地点まで一瀉千里に行く道などないのです。千里の道も一歩からで、どんな大きな夢も一歩一歩、一日一日の積み重ねの果てに、やっと成就するものです。
 しかし、そうして今日一日をないがしろにせず、懸命、真剣に生きていけば、明日は自然に見えてきます。その明日をまた懸命に生きれば一週間が見えてくる。その一週間を懸命に生きれば一か月が見えてくる……つまり、ことさら先を見ようとしなくても、いまという瞬間瞬間に全力を傾注して生きることによって、そのとき見えなかった未来の姿がやがて自然に見えるようになってくるものです。
 私自身もまさに、そういう亀のような歩みでした。地味な一日の集積と継続によって、いつしか会社も大きくなり、私を現在の位置にまで到達させたのです。

稲盛和夫:生き方

先述の「強烈な思い、願望をもつこと」とセットで語られるのが、この「地味な一日の集積と継続」です。非常に強く将来を構想しつつ、それを実現するために毎日の真剣な継続が必要になる。いくら強烈な思いがあっても、毎日の集積と継続がなければ絵に描いた餅ですし、逆に強い思いなしに毎日コツコツ頑張っても大したことは成し遂げられません。ぼくはコツコツ何かを継続することは比較的得意で、そのおかげもあって20代前半に欲しかったものはある程度手に入れられました。このコツコツ力はそのままに、狂ったように強く思うこともやっていきたい。

 彼らのような平凡な人材を非凡に変えたものは何か。一つのことを飽きずに黙々と努める力、いわば今日一日を懸命に生きる力です。また、その一日を積み重ねていく継続の力です。すなわち継続が平凡を非凡に変えたのです。
 安易に近道を選ばず、一歩一歩、一日一日を懸命、真剣、地道に積み重ねていく。夢を現実に変え、思いを成就させるのは、そういう非凡なる凡人なのです。

稲盛和夫:生き方

自身の平凡さに絶望することなく、今日一日を懸命に生き、それを愚直に積み重ねている人は多くはありません。ただ、そのような人は1年経つと本当に大きく変わります。決して派手なスキルがあるわけでも口がうまいわけでもないのですが、辛いことがあっても黙々と業務をこなし、新しいことを学び、素直にミスを認めて改善し…というサイクルをこなすことで、圧倒的エース人材になっていく人を今までもたくさん見てきました。自分自身もそうありたい。

 では、自分の仕事がどうしても好きになれないという人はどうすればよいか。とにかくまず一生懸命、一心不乱に打ち込んでみることです。
 そうすることによって、苦しみの中から喜びがにじみ出るように生まれてくるものです。「好き」と「打ち込む」はコインの表と裏のようなもので、その因果関係は循環しています。好きだから仕事に打ち込めるし、打ち込むうちに好きになってくるものです。
 ですから、最初は多少無理をしてでもいいから、まず「自分はすばらしい仕事をしているのだ」「なんと恵まれた職業についているのだろう」と心の中でくり返し自分にいい聞かせてみる。すると、仕事に対する見方もおのずと変わってくるものです。
 どんな仕事でも、一生懸命打ち込めばいい成果が生まれ、そこからしだいに楽しさ、おもしろさが生じてくる。おもしろくなれば、さらに意欲がわき、またいい成果を生む。その好循環のうちに、いつしか仕事を好きになっている自分に気付くはずです。

稲盛和夫:生き方

これは今までずっと意識してきたことですし、「好きな仕事を探してジョブホッパー」的なキャリアを描いている人には強くお勧めしたいスタンスです。仕事は基本的につらいし大変だし面倒なものです。どんなに楽しそうでキラキラしていても、知的好奇心を刺激されそうでも、実情は9割めんどくさいことで構成されます。ただ、「好きこそものの上手なれ」とはよくいったもので、めんどくさいことをめんどくさいままにして、片手間でこなしてしまうと、「手の切れるような仕事」はできません。

じゃあどうすればいいかというと、稲盛氏がおっしゃるように「無理やりでもいいから一生懸命に、一心不乱にやること」だと思います。どんなイヤな仕事でも、めんどくさいことでも、全集中100%でやってみる。その中から、ちょっとずつ楽しさを見出していくと、いつのまにかめんどくさい仕事が好きなことに変化していきます。

読んでみて思ったこと

「生き方」、非常に良い本でした。奇をてらった記載はありませんが、日本で有数の名経営者である稲森氏が語ると不思議な説得力があります。

一昔前であれば、ぼくのようなビジネスパーソンの「生き方」はここまで多様ではなかったのだと思います。大手企業に入り、そこで一生懸命勤め上げ、うまくいけば役員になれるし、そうじゃなくてもそこそこのポジションで退任できる。その中で家族を作り、養い、退職金を貰った後は奥さんと一緒に余生を送る…一億総中流と言われた世界線の中、特に疑問も抱かずに過ごしていたかもしれません。

ただ、現在はそのようなわかりやすいストーリーは描きづらくなっています。ぼく自身、キャリアのスタートが外資系だったこともあり、なかなか先を見通すのが難しいというのが正直なところです。

そんな状況だからこそ、「自分は何のために生きるのか?」という骨太で本質的な問いに向き合う必要がある、と思っています。それがないと、目先のお金や美味しい話に飛びついたり、本当に大事なもの(家族や自身の価値観)をないがしろにした行動をとってしまったりしてしまう危険があります。

そんな中、この本を読めて本当に良かったと思います。日々自分の心や魂を磨くこと、そのために手の切れるような仕事をすること、そのために狂ったように強い思いを持ち続けること、毎日毎日真剣に一生懸命に取り組み続けること。当たり前のようで当たり前にはできない、そのような「生き方」を続けていきたいものです。

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