ぼくに残された時間はあと2,500週。

この本、「限りある時間の使い方」の原題は、「FOUR THOUSAND WEEKS - Time Management for Mortals」である。直訳すると「4,000週間 - 死すべき者の時間管理」みたいな。

4,000週間 / 48週(=1年) = 83年。もう少し長く生きる可能性ももちろんあるけれど、83歳で死んでも誰も不思議には思わない。

ぼくは現在34歳で、来月には35歳。だいたい残された時間は50年、2,500週となる。「それしかないのか…もっともっと頑張って、何かしら世界に爪痕を残さなければ!」と今までだったら思っていた気もするが、、、うーん。

今までたくさんの人たちが現世に生を受けてきた。その中で、本当の意味で歴史に名を残した人は本当に少ない。とてつもない才能、着眼点、努力、運、そういうものが揃いまくった人たち、さらにその上澄み中の上澄みの人たちだけが、今でも語り継がれている。

冷静に考えて、そういう人になれる可能性は限りなく低い。もちろんゼロではないと思うが、ほぼゼロといっても差し支えないぐらいの確率。人は、あまりにも高すぎる目標や低すぎる可能性を信じることはできない。なんとなく言葉にすることはあるかもしれないが、それを心から100パーセント信じることはできない。

 心から信じていないにもかかわらず、ぼくたちは「いつか世界に大きなインパクトを与える日」が来ることを信じて、常に準備をする。ムダなことを削ぎ落とし、仕事に邁進し、一生懸命勉強をする。しかし、その日が来ることはおそらく一生ない。そして、老境に入ったときに、「あれ、なんかおかしいな?」と気づき、後悔するのかもしれない。

そんな低すぎる可能性に、自分の2,500週を使うというのは、あまりにも理屈にあっていない。2,500円しかもっていないのに、当たる可能性がほとんどないギャンブルに突っ込むというのは、あまり賢いやり方とは言えない。

  • 死ぬまでの時間は2,500週

  • 世界に大きなインパクトを残せる可能性はほぼゼロに等しい

  • ほぼゼロに等しいもののため、死ぬまでの時間を突っ込むのは理屈に合わない

整理すると当たり前に思えるが、これに気付くのにはなかなか時間がかかったように思う。「自分が歴史に名を残せる確率は、限りなく低い」というのは、あまり向き合いたくないのが正直なところで、ずっとそこから目を背けていたのだと思う。ただ、事実は事実として受け止めなければならない。

次に考えるべきは、「じゃあどうするか?」だ。別にみんながみんな世界にインパクトを与えるような歴史的人物になる必要はないが、その場合、自分の2,500週の意味は何なのか?

残念ながら、特筆すべき意味はない。

特に何もせず無為に過ごしてもよいし、仕事に打ち込み続けてもよいし、家族との時間を中心にしてもよいし、趣味に使ってもよい。仕事と家庭を5:5の割合としてバランスを取りつつ、子どもが家を出て仕事も落ち着いたら、趣味に振り切った人生とするのも良い。

ただ、ぼくがいつも陥りがちなワナがある。それは「常に準備をしてしまうこと」だ。

子どもの頃は、面白い小説を読んだり、外でみんなでカラーボール野球をしたり、弟や妹とスマブラをしたりしていた。それは何かの準備ではなく、それ自体が目的だった。ただそれをやっていることが楽しかった。

ただ、いつの間にか「準備」をすることに、多くの時間を費やすようになってしまった。中学校受験の準備、大学受験の準備、就活の準備、次のプロジェクトの準備、MBA受験の準備、転職の準備などなど…それ自体を楽しめるように工夫はしていたが、本質的には「何かを手に入れるための準備」だった。

それらがまったくムダだったとは思っていない。むしろ、それらの準備をこなしたことで、今の毎日があるというのも正しい。だが、その準備をこれからも続けていくのか?というと、違和感がある。

準備を続けたところで、自分は世界に名を残すような人にはおそらくなれない。それがわかっているにも関わらず、Todoリストを膨らましまくり、休日も「あれが終わってない、これもやらなければ」とピリピリすることに何の意味があるのか。

使い古され過ぎている風刺として、「メキシコの漁師とMBA持ちのエリートビジネスパーソン」がある。

とても魚釣りが好きな漁師がいました。
漁師は好きな時間に起きて、釣りをして、子供や友達と遊んで楽しく過ごしていました。

ある日、あるビジネスマンがその漁師のそばにやってきて言いました。

男:「やあ、すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの?」
漁師:「そんなに長い時間じゃないよ」
男:「へぇ、君は魚釣りが得意なようだね。せっかくならもっと働いてみたらどうだい?」
漁師:「自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だよ」
男:「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの?」
漁師:「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」
男:「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、
きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。部下を雇ってもっと売り上げがでたらボートも買おう。そうしたら仲介人に魚を売るのはやめて自前の水産品加工工場を建てて、ビジネスを大きくする。その頃には村を出てロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ。そうすれば老後もお金ができるよ」
漁師:「なるほど、そうなるまでにどれくらいかかるのかね?」
男:「20年、いやおそらく25年でそこまでいくね」
漁師:「へぇ、それからどうなるの?」
男:「そしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。 どうだい?すばらしいだろう」

【原文】メキシコの漁師とMBA持ちの男の話(和文・英文)

「本当にやりたいことが見つからない」という悩みは多くの日本人に共通していそうだが、あまりにも大上段に構えすぎではないか。「一生かけて達成したいやりたいこと」がある人はめちゃくちゃ少ないし、実際にそれを達成できる人はさらに少ない。確かにそのような遠大なものを持っている人はカッコいい。人は自分に持っていないものを持っている人に憧れる。ただ、そうでない人がダメというわけではない。

ぼくも、正直なところ「人生を賭けて、一生をかけて達成したいこと」はない。結構長い間探したし、いろんな経験もした。その中でそれが見つかるといいなと思っていたが、今のところ見つかる気配はない。

とはいえ、やりたいことやほしいものはある。

  • 家族との時間・経験

  • 社会にプラスになり、やっていて楽しい仕事

  • 友人たちとの談笑

  • 健康

  • 美味しいものを食べること

  • 卓球

  • いい感じの住まい

  • 読書

  • 執筆

これらを楽しむことができれば、世界にインパクトを与えることができなくても、「良い人生だったな」と笑って人生を終えることができそうだ。そして、そのためにはもちろんある程度の収入や資産を得る工夫も必要だ。

20代の頃は、ぼくはほとんどすべての時間を仕事に費やしていた。優秀な部類にはどうしても入れなかった自分が、「ある程度の収入や資産」を築くためには、仕事のメカニズムを理解し、役に立つ人材にならなければ…という強迫観念が背景にあったように思う。

そのような生活をこれからあと30年、40年と続けるのか?というとそれは違う気がしている。もちろん仕事でパフォーマンスを出せる人ではありたいし、そのための努力は引き続きしていきたい。ただ、仕事のために家族や健康、趣味、友人たちを犠牲にするのはどうしても違和感がある。

卓球に関わらずすべてのスポーツで共通すると思うが、「力み」は大敵だ。力が入るとボールをうまくコントロールできないし、すぐ疲れる。球のスピードも遅くなるし、連打もできない。

仕事もおそらく同じスキームが適用される。右も左もわからないときは、とにかく力んで量稽古をこなし、コツを掴んでいくのは大事だ。ただ、コツを掴んだら、力みを取りながらやっていくほうが、良い結果も出やすいのではないか。

仕事も大事だしお金も大事だ。それを担保するために自身の能力を磨くことも大事だ。ただ、それにすべてを費やしたところで、自分が大きく世界を変えることはできない。できないことのために準備をし続けるのはバカげている。

「あれもしなきゃこれもしなきゃ」という怯えから卒業し、ゆったり構えながら、自分がやりたいことを毎日楽しんでいく、そういう風に残りの2,500時間を使っていきたい。

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