情報過多すぎる時代にこそ読まれる文章の特徴

って何だろう…と考えることがある。

ぼく自身の仕事は経営者であり、ライターでも著者でもない。とはいえ、機会を頂いてWeb媒体で文章を書いたり、本を出させていただくこともある。それに、今ここで書いているように「文章を書くこと」は日常の中にあり、なるべくその力は磨いていきたいと思っている。

ぼくは絵を描くことも、新たなサービスをプログラミングを使って組み上げることも、家を設計&建築することもできない。とはいえ、現代資本主義社会で生きていくためには、「何らかのアウトプット」をすることが必須条件である。何もアウトプットしないで生きていくのであれば、100年間食いつぶしても問題ないレベルの財産を有している必要がある。そして、残念ながらぼくはそのような財産を有していない。

一方で、「文章を書くこと」という、アウトプットの中でも非常にハードルの低い作業は、どんどん競争が激しくなっている。ChatGPTなど文章を自動生成できるツールの活用は日常茶飯事になってきているし、日々出版される本やWeb記事は掃いて捨てるほどある。一方で、受け手側の集中力や時間は昔と何ら変わることはない。書き手としては、限りある受け手の集中力や時間をなんとか引き付けようと、さまざまな努力をしなければならない。

では、どんな文章であれば、この情報過多の時代でも読んでもらえるのだろうか?

答えは明確で「読んでトクする文章」なのだが、そのトクにも2つある。それは、

  1. エンタメ

  2. 実利

だ。

エンタメ的に面白い文章は、「文章として面白い」「ネタとして面白い」の2つある。

前者の「文章として面白い」はなかなかハードルが高い。そこらへんにある日常や自分の妄想を面白く昇華する、というのは、やってみるとわかるが絶望するほどに難しい。ぼくも試みたことがないとは言わないが、残念ながら「いやさすがにムリだな…」となった。だからこそ、長年活躍しているエッセイストや小説家の方々は心から尊敬する。エッセイストや小説家といっても、日々の活動や刺激の量や質にそんなに圧倒的な差はないはず。平々凡々とした活動の中でも、自身の思考や文章力で「面白い文章」に消化させていく、それはまさにプロフェッショナルとしての仕事といえるだろう。

後者の「ネタとして面白い」のほうが、まだ余地がある気がしている。「普通ではうかがい知れないような業界や会社、事件の裏側」を知ることができれば、ある程度稚拙な文章力でも読んでもらうことができる。最近でいえば、ビッグモーターの店長さんが赤裸々な暴露文でも書けば、多くの方に読んでもらえることだろう。そこまでのホットトピックの渦中にいなくとも、意外と読んでもらえたりする。この「ネタとして面白い」の弱点としては、「通常ではうかがい知れないような情報」は、基本的には外に出しちゃダメな種類であること。なので、特定につながる情報は伏せたり、意図的に事実とは違うエピソードに改変したり、そもそも書く際に偽名/匿名を使うなどの工夫を凝らす必要がある。そこらへんのコンプライアンス意識が吹っ飛んでいる場合、それこそリアリティ満載でめちゃくちゃ面白い文章になると思うが、その後いろいろと怖いことが待っていそうである。

2の実利的な文章だが、これがどんどん難しくなっているように思う。ある程度のノウハウはググれば出てくるし、YouTubeもどんどん教育的コンテンツが増えている。「英語力をどうつけるか」みたいなコンテンツはもう星の数ほどあって、今から参入したところで伸びる気はしない。実利的な文章を書いて注目されたい場合は、今までとは段違いのクオリティのノウハウを自身が有しているか、それかノウハウ自体は通常レベルだが、「1.エンタメ」の要素を入れて読者をぐいぐい引き込むような、そんな工夫をする必要がある。

このエンタメと実利を両立している本としては、三枝 匡氏の企業変革シリーズや、夏海 公司氏のなれる!SEシリーズがある。濃いノウハウに感情を揺さぶる臨場感、キャラ立ちがすごい登場人物たちなど、どんどん引き込まれていく。

ただ、このレベルの文章を書き続けるというのはなかなかにハードルが高い。ぼく自身も、できることなら多くの人たちに楽しんでいただけ、かつ有益なよい文章を書きたいと思ってはいるが、本業の傍らそれをするのは結構大変だ。自分としては、あまり気負い過ぎず思ったことを書いていくスタンスでいきたい。ただ、その中でも「これは読んでいて面白そうか?具体的には、エンタメ性か実利は読み手に与えられているだろうか?」「エンタメ性として、具体的エピソードは盛り込まれているか?それに自身の感情や考えは含まれているか?読んでいておお!と引き込まれるか?」という自問自答はしていきたい。

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