本当に論理的な人の話はめちゃくちゃエキサイティングである

伝えたいこと

  • 本当に論理的な人の話はめちゃくちゃエキサイティング

  • ひとつひとつの論理の鎖は当たり前でも、それを繋げまくっていくと「!?」となる結論が導かれる

  • 論理力はどんな事象にも適用できるので、鍛え続けるに越したことはない

なぜそう思ったか

少し前のこと。とある超有名なビジネスパーソンの方から直接お話を伺い、いろいろと質問できる機会を頂いた。その方の話はめちゃくちゃ面白く刺激的だったが、かつびっくりするほど論理的だった。

  • 概要から詳細へ

  • なぜそれが重要なのか?

  • それは何を意味するのか?

  • それの構成要素は何か?

  • それを実現するには何が重要なのか?

  • それを実際に現場に導入するにはどのようなプロセスでやるのか?

  • そのプロセスをやっていくうえでの障害は?その原因は?どう解決するのか?

  • それでも解決できないケースはどうするのか?

ぼくはもともと感性派の人間だ。物事を数字や論理で捉えるというよりも、「面白そう!」「つまらなそう」で判断し、動くことが多い。だからこそ、新卒でコンサルティングファーム(アクセンチュア)に入ってしまい、めちゃくちゃに苦労した…が、そこで半泣きになりながら身に着けた論理力や、話の伝え方はその後の血肉になっている。

30を過ぎ、コンサルティングファームから事業側に転じたことで、仕事の中での論理力の重要性が薄れたように勘違いをしてしまったように思う。事業を動かす際、もちろん一定以上の論理性は引き続き必要だ。ただ、事業を回すとなると、日々のオペレーションや人間関係の重要性がそれを上書きしてしまう。どのようにみんなの仕事をラクにするか、どうやってカネを生み出すか、どうやって人と人の軋轢を解決するか。それにはもちろん論理力も求められるが、もともとの自分の強みだった感性やコミュニケーションがより求められるようになった。

これは自分にとってはとてもラクだった。事業側にも「元コンサルタント」的な人たちは少なくないが、どちらかというと論理に強みがある人が多かった。ぼくは「元コンサルタント」ではあるのだが、強みは論理にはなく、むしろ人なつっこさや感性の豊かさ側にあった。それゆえに、いろいろなタイプの人と「うまくやる」ことができ、それによって事業を前に進めることができた。

その後、現職のZenyum Japanの代表取締役となり、日本事業の立ち上げやオペレーションの構築、組織のマネジメントなどに奔走した。アイディアもない状態からスタートするのとはちょっと違い、すでに海外で回っているモデルを日本で立ち上げるというのがミッションだったため、感性やコミュニケーション、PMOスキルにより「うまくやる」という自分のスキルがここでも活かされた。

コンサルタントでなくなってから、自分は「論理」を軽視するようになってしまった。

  • 一定レベル以上の論理力は重要だが、それはすでにコンサルタント時代に会得した。もちろん、その筋の人たちには全くかなわないが、事業を回していくうえでは問題はない

  • それよりも、自分の強みである感性やコミュニケーションをフルに使い、「うまくやる」を続けていこう

これは100%間違いではないが、正しくもなかった。「答えがある」「難易度がそこまで高くない」という状況であれば、一定レベルの論理力 x コミュニケーションで「うまくやる」ことはできる。ただ、「誰も答えを持っていない」「難易度がクソ高い」という状況においては、それでパフォーマンスを出すことはできない。

というか、そもそも「うまくやる」というスタンスを取るということ自体がイマイチだったり。

  • 既存のものをスムーズに回していくことはできるかもだが、圧倒的スピードや価値を届けることはできない

  • 自分の労働価値を切り売りしているだけなので、労働時間を減らすことができない

先の話に戻るが、とある超有名なビジネスパーソンの方は本当に論理的だった。そして、論理的であるからこそ、その話にはグッと引き込まれた。論理的であること = つまらない、ではない。1+1 = 2、というシンプルな論理ひとつだけで人を驚かせたり楽しませることはできないが、その数式をどんどん広げていけば、誰も想像できなかった地点までたどり着く。しかも、それを解きほぐしていけば、ある一定以上の理解力がある人であれば、納得も得られ、結果として協力も得られる。

せっかくなのでトレーニング

ということを学び、それから自分を省みるようになった。日々の仕事はもちろん、社員のみんなとのコミュニケーション、自分自身のキャリア、自分の愛する趣味である卓球の上達の仕方等についても、今まで「なんとなく」で流したところに論理のメスを入れるイメージで考えるようになった。

例としてひとつ。自分自身のパフォーマンスについて、深堀して考えてみる。

課題:定期的に「谷」がやってきて、何もできなくなる

基本的には日々元気に楽しく過ごしているのだが、定期的に「自分はもうだめだ」「何もやる気が出ない」という状況に陥る。すぐ抜け出せるときもあれば、少し抜け出すのに時間がかかることもある。

要素分解

  • 谷状態 = 自身のエネルギー <<< 各事象をこなすのに必要なエネルギー

    • 自身のエネルギー = メンタル x フィジカル

    • 各事象をこなすのに必要なエネルギー = やりたいこと、やらねばならないことに必要なエネルギーの総和

解決方針

  • 谷状態を山状態にするには、自身のエネルギー >>> 各事象をこなすのに必要なエネルギー という状況にすればよい

    • 自身のエネルギーを上げる / 各事象をこなすのに必要なエネルギーを下げる

      • メンタルの回復

        • 家族と楽しい時間を過ごす

        • よく寝る

        • ぼーっとする時間を作る

        • モノを書く

        • 卓球をする

      • フィジカルの回復

        • よく寝る

        • 好きなものを食べる

        • マッサージに行く

        • 温泉に行く

        • 卓球をする

      • 各事象をこなすのに必要なエネルギーを下げる

        • 「各事象」がそもそも何なのか見える化する

        • 「各事象」の絶対数を減らす

          • 本当に重要なこと以外やらない

          • 誰かに頼む

          • 一番気になっていること = エネルギーを奪っているものから手を付ける

具体的なアクションプラン

次「谷状態」になりそうになったらどうするか?

  • 夜10時に寝る(メンタル/フィジカルの回復)

  • タスクリストの整理→周りにヘルプを求める(各事象の見える化&絶対数減らし)

  • 散歩してぼーっとする(メンタルの回復)

  • 卓球する(メンタル/フィジカルの回復)

  • 少しでいいので手を付ける(絶対数減らし)

とにかくまずは「寝る」でメンタルとフィジカルを回復させ、そこから他の対策を打っていく。そうすることで、いつの間にか「自身のエネルギー >>> 各事象をこなすのに必要なエネルギー という状況」になり、谷を越えられる。

それでもうまくいかないケースは?

あまりにも「各事象」が難解 or 巨大すぎて、自分のフィジカルやメンタルをいくら回復させても、すぐに「自身のエネルギー <<< 各事象をこなすのに必要なエネルギー」となってしまう可能性はある。

その場合、以下の二つのアプローチがある。

  • 諦める

  • なんとかする

本当に心身を害しそうであったり、「そもそもこれにそんな命賭けてやる必要あったっけ?」と冷静になってしまう場合、「諦める」アプローチはアリ。ただ、簡単に諦め続けると、周りからの信頼も、自分自身に対する信頼もなくなり、最終的に詰んでいく可能性が高まる。最終手段として「諦める」はアリだが、本当に最終手段。

「なんとかする」は、結局時間を取って現状を把握し、課題を言語化し、要素を分解し、解決方針を立て、具体的なアクションプランを作り、実行してみる以外にはない。ぱっと見めちゃくちゃ巨大で難解で圧倒されてしまうことでも、上記の問題解決プロセスを経ることで、「あれ、意外といけるかも?」となる。人はよくわからないことに対して恐怖を感じ、足がすくんでしまうが、分解・深堀をすることで意外と前向きになれる。

さらに、「よくわからない難しそうなこと」に対して、他者のヘルプを求めることは難しいが、ある程度自分で状況を整理できれば、他者に依頼する難易度も下がる。

おそらくさらに深く掘っていくこともできるが、こんな感じで考えていくと、ぼやっとしていた悩みを具体的な打ち手にまで落とし込んでいくことができる。今まで脊髄反射&感性爆発でやっていた意思決定に関しても、このように逐一論理をベースに深堀をしていきたい。

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