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「タイパ」と「コスパ」と「徒労感」
へいへい。
久しぶり。
パーマ当てても美容師に「最後に写真撮ってもいいですか?」って言われなかったので俺はブサイクです。
何のためにパーマ当てたん、無駄やんけ⁉️
最近、タイパとコスパについて考えることが多く、その"タイパあるある"が自分に当てはまるので、議題としてみた。
代表的なのはYouTubeのショート動画やInstagramのリール動画を漁って満足してる時。
作り手に対するリスペクトが薄いなと反省。。。
話は戻し、タイパとコスパについて色んなネット記事を読み漁るきっかけとなったのがこれ。
とにかくまとめると『手っ取り早く仕事に役立つ教養を身に付けたい』という若者が増えているというお話。
時間対効果を重視するのは、時代の潮流を鑑みると仕方ないが、、、。
「無駄を排除しよう」という考え方は、少し危険ではないか。
「成果主義」がコスパ重視人間を増やし、
「行き過ぎた成果主義」がタイパ重視人間を増やしてるんじゃないのかと少し危惧してるというわけです。
なんで危惧するのかっていうと、「大体の面白いもの・コトは無駄から生まれる」と信じてやまないから。
職場でも可視化される成績が評価される感丸出しだし、同じような事がこの世にはごまんとあるだろうが、少し悲しい。。。
正確に言うと、その成績だけしか評価できないように勘違いしてる人が増えてたら、悲しい。。。
最短距離で届きたいと願うものの、そこに囚われたりして壊れたらキツい。さらに、他人に対しても、最短距離だけが全てで遠回りは悪、といったような事は言いたくない。
自分なりに出した答えを試す時、先輩や上司の「とりあえずやってごらん」の一言で救われる事は全然あるんじゃないかと思う。この際、結果はどうだっていいという先輩や上司の心が伝わると最高。器を知れるから。
賢い感じはしないのに気を衒ったセンスで、本質に到達してしまう、何故か魅力的な憎めない奴。
そういう人こそ、自分には出来なかった苦い経験をポジティブに捉えている気がする。
さらに言えば、そういう経験は出来ればしたくないが、自分では気づかなかった遠回りが生む灯台下暗しな本質に辿り着いてることに嫉妬すら覚える。
その瞬間、タイパに囚われた人たちに対して生まれるクエスチョンと、自分もタイパに囚われてたのではないかという認めたくない疑いが自分を襲ってくるような感覚に陥る。
ファッションや音楽、芸術など、カルチャーなのかアートなのか一緒くたには出来ないけれど、そういったものに人生を捧げてる人たちにどうしても憧れてしまうわけだ。
とはいえ、仕事は成果・パフォーマンスが評価を左右することは事実。
だからこそ、私情で付き合うラブリーな友達に対しては、タイパを求めたくないと思ってしまった。
あまり言いたいことはまとめれなかったが、これすらも無駄だなと嘲笑しながら読んで頂けると最高なエクスタシーなので、周りの無駄好きに対して懐疑的な眼差しは控えて欲しいと思う。
笑っちゃうことのほとんどは、どうでも良い無駄から生まれてると信じているので、、、。
そういう訳でパーマを当てた事は後悔してない。
今回はタイパとパーマについてなので
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えぇー、タイパーマ😊
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