レヴィ・ストロースの"交換"から考えるタスク管理 4:55:17 12/11 (金)
そうではなくて、そもそも社会とは、コミュニケーションの仕組みそのものだ、というのだ。 社会がコミュニケーションなら、何のためにコミュニケーションがあるかという問いは、いみをなさなくなる。たとえばなぜ人間は、言葉を話すのだろう。言葉を話さないでも人間でいられるものなら、それは××のためさ、と答えてもいい。しかしそうでない以上、これには答えようがない。むしろ、言葉を話すのが人間、なのじゃないか。同じように、女性を交換したり物財を交換したりするのも、なんのため、と答えられない。そうするのが人間、なのである。
出典 : はじめての構造主義 橋爪大三郎 Kindle版 位置: 1,064
レヴィ・ストロースは、社会とは交換のシステムであると主張したそうです。
私たち人間は、何かが価値があるから、それを交換するのではなく、交換していると、その交換するものに価値が生まれる。つまり、価値が先にあって、交換をするのではなく、交換が先にあり、価値はあとから生まれるというようなことを言っています。
つまり私たち人間は、他者と何かを交換したい、と思う生き物であり、交換することで社会が成り立っていることになります。
この視点からタスク管理を見てみると、タスク管理は他者と交換するよりも、交換しないことを良しとする色が強いような気がします。
たとえばタスク管理で、自分とのアポを取る、という手法があります。
これは、ある一定時間は自分とアポイントメントを取っているという体で、誰からのコミュニケーションも断つ、その結果、集中して作業できる時間を確保するというテクニックです。
仮に時間を他者との交換物だと考えると、上記の手法は、他者との時間の交換を拒絶し、自分のためだけに使うという捉え方もできます。交換のシステム=社会を拒絶しているようにも見えます。
タスク管理とは、何か目標があり、それを達成するためのテクニックなので、このような社会性の観点は完全に無視されます。
自分自身を定めた目標一点だけを達成するための道具のように考える手法なので、目標達成以外の観点がすっぽり抜け落ちるのです。
人は社会的生き物であるのに、それで本当に大丈夫なのか?幸せになるのか?
そういう視点も必要かも知れませんね。
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