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カズは魔法使い 第四話

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日曜日。
 和人は結局、村木の呼び出しに応じる形で活動センターへとやってきた。
 当初は呼び出しなど無視するつもりだった。だが、一真と陽平との会話から、村木とは一度しっかりと話をする必要があると感じていた。仮に今回の呼び出しを無視したとして、また生徒経由で何か言われるようなことがあれば面倒になる。
 今後生徒には変なことを言わないようにしてほしい。さらに言えば、自分に関わらないでほしいということを伝えるつもりでいた。なおかつ、なるべく穏便な形で済ませなければならない。例え変人でも、飽くまでご近所さんだ。この狭い町で遺恨を残してしまっては、自分だけではなく実家の家族にとっても、今後の生活に差し支えが出る恐れがある。
そんなことを考えながら、和人はセンターの受付窓口へと向かった。
「あのー、村木さんはもういらしてますか?」
「村木さん? あぁ、さっきまでそこに……あ、もう会議室のほう行ってるみたいですね」
 和人の問いかけに対し、受付に座っていた女性は一瞬怪訝そうな表情を浮かべたが、一度奥のほうを振り向いて確認してから答えた。
「二階の第二会議室にいると思いますよ」
「わかりました、ありがとうございます」
 和人は礼を言い、スリッパに履き替えて階段へと向かった。振り向きざま、対応してくれた女性が奥にいる女性に話し掛けているのが視界の端に見えた。今日の夕方頃には、和人が活動センターを訪れたことが町中に知れ渡っているかもしれない。
 階段を昇り、それぞれの部屋の扉に掲げられているプレートを見ながら二階の廊下を進んだ和人は、非常階段への扉がすぐ先に見える奥まで進んだところで、目的の第二会議室を見つけた。第二会議室は、おそらく10人程度で使うことを想定されているであろう、小さな部屋だった。
 一瞬の逡巡ののちに扉をノックした和人は、中から聞こえてきた「どうぞ」という声を聞いて扉を開いた。
 第二会議室には、長方形のテーブルがふたつ、向かい合わせに並べられていた。入り口から向かってテーブルの左右に椅子が3脚ずつと、いわゆるお誕生日席にそれぞれ2脚ずつ、あわせて10脚の椅子が並べられている。テーブルの幅には若干余裕があり、会議室の隅には予備用と思しき数脚の椅子が重ねて置かれていた。
 会議室で待っていたのは、村木の他にも二人、合わせて三人の男だった。いずれも村木と同じくらいの年齢に見える。三人は、会議室の入り口から向かって右側のテーブルに並んで座っていた。
「まぁ、座りなさいよ」
 てっきり村木が一人で待っていると思い込んでいた和人は、驚いてしばし立ち尽くしていたが、村木に声を掛けられて歩を進めた。
 和人は、向かって左側の一番手前の椅子に腰掛けた。対面には、背は高くないががっしりとした体つきの老人が座っていた。
「とりあえずまぁ、自己紹介でもしとこう。僕は村木」
「あっ、はい。先日はどうも」
「うん」
 優しげな口調で淡々と挨拶をした村木は、続けて他の二人の紹介へと移った。
「僕の隣にいるのが、岡島くん」
「岡島大介。電気店をやっている」
 岡島と呼ばれた男は、腕組みをしたまま低い声で言った。あまり抑揚のない平坦な声だった。和人はその声音や表情から感情を読み取ることができず、無表情が貼り付いて固まったような印象を受けた。そういえば近所に“岡島電気”のような名前の店があったな、と和人は思い浮かべた。まだ小さかった頃に、家のおつかいで電球などを買いに行ったことがあったかもしれない。
「それで、端っこに座っているのが田嶋さん」
「田嶋充です。もう引退してますが、消防のほうにいました」
 村木に促され、田嶋と呼ばれた男が挨拶をした。
「まぁ、引退なのかお役御免なのか、って話なんだけどね」
 冗談なのかよくわからないことを人当たりの良さそうな笑顔で言いながら、田嶋はテーブル越しに、握手を求めるように手を差し出した。反射的に和人が手を出すと、田嶋は力強く和人の手を握った。勢いに引っ張られ、思わず和人は中腰の姿勢になった。
「よろしく!」
「あ、えと……よろしく?」
 気圧されて困惑しつつも、椅子に座り直しながら和人は返事をした。
 村木、岡島、田嶋という3人の男を前に、和人は居心地の悪さを感じ始めていた。村木は微笑を浮かべ、岡島は無表情、田嶋はにこやかだ。少なくとも敵対的な態度ではなかったが、友好的すぎて逆に若干の気味の悪さを感じていた。
「それで、お話というのは……?」
「あぁ、うん。早速本題に入ろうか」
 遠慮がちに言った和人に、村木が返した。
「結論から言うとね、君には僕らの仲間になってほしい」
「えっと……宗教か何か?」
「村木さん、その言い方はマズいよ! ははは」
 怪訝な声で訊き返した和人に続けて、豪快に笑いながら田嶋が言った。
「はは、言い方が悪かったね。宗教とかじゃあ、ないんだ」
 苦笑いしながら、村木が続けた。
「順を追って話そう。まず、僕らが何者か、ということだ」
「はぁ……」
 自己紹介ならついさっき聞いたばかりだな、と和人は思ったが、それとは違うニュアンスを感じて口を挟まなかった。
「僕らはね、和人君。君と同じように、特殊な力を持っている。そして、そういう者達を集めて、ある組織を作っているんだ」
 村木の言葉をにわかには飲み込めず、和人の思考は固まった。他の2人を見ると、岡島は相変わらず腕組みをしたまま無表情。田嶋も腕組みをしていたが、うんうんと深く頷いていた。
「まず、この能力が何なのか、和人くんは理解しているかな?」
「ええと……そもそも、能力って何のことですか」
 内心気まずさを感じながら、和人はとりあえずとぼけることにした。和人が手を触れずに物を動かせることを、この3人は知らないはずだ。いや、これまでの経緯から知っているかもしれないが、確信は持っていないはずだった。
「僕はね、君も能力者だってことを確信してるんだよ」
 見透かしたかのような村木の言葉に、和人の心臓が鼓動を早めた。返す言葉を見つけられずに和人が黙り込んでいると、村木は話を続けた。
「簡単に言うとね、僕らはみんな童貞なのさ」
 村木の言った言葉を聞いて、和人は信じられないものを見たような気分になった。
 前に村木が自宅を訪ねて来た時にも、村木は和人のことを童貞だと断定していた。
 だが、それに加えて「僕らはみんな童貞」などと宣言されては、ましてや相手が自分よりもずっと年上の男達ということが、和人の心を否応なく揺さぶった。
「ま、そういうことだ」
 低い声が静かに響いた。和人が声の主のほうを向けば、岡島が腕組みをしたまま、少しうつむいていた。そのまま田嶋のほうへ目をやると、田嶋は照れくさそうな顔で肩をすぼめ、左手で耳の後ろを掻いていた。
「いやいや、さっぱりわかりませんよ……それと、その、能力と、何か関係が?」
「科学的な根拠があるわけじゃないんだけどね」
 途切れがちに和人が返すと、穏やかな調子で村木が答えた。
「僕らも、たまたまお互いに超能力みたいなものが使えるということを知ったんだけどさ。これがまた全員、女っ気の無さばっかりが共通していてね」
「私ぁ、学生くらいの頃はモテたんだけどねぇ」
「何年前の話をしてるんだ」
 弁明するように話す田嶋に対して、岡島が鋭く言い放った。
「とはいえ、童貞だからってみんながみんな能力を得るわけじゃない。その辺は、僕らもよくわかっていないんだよ」
 二人のやり取りには取り合わずに、村木が話を続けた。
「まぁ、だいたい30歳くらいだね。巷じゃ、童貞のまま30歳になると魔法使いになるって言うじゃない。その説を、僕らも支持してるんだよ」
 呆気にとられて頭が回らなくなっているのを自分でも感じながら、和人は必死に考えをまとめようとしていた。童貞、30歳、魔法使い? つい先日、塾で生徒たちに言われたようなことを、こんなところでまた蒸し返されている。
「……だからと言って、僕が魔法使いだ、ということには、ならないですよね」
 ゆっくりと言葉を選びながら、和人は質問した。だが、村木は間を置かずに答えた。
「君が超能力のような力を使ったのを見た、という噂を聞いてね。それで、突然和人くんの家を訪ねたわけだけど、実際に君のことを見て確信したんだ」
 和人は、塾で生徒に言われた言葉を思い出していた。村木は、一真と陽平を介して「よろしく」と言ってきた。つまりおそらく村木は、一真が和人の能力のことを口にしたのを聞いたのだろう。
「和人くん。君はね、僕らによく似てるんだよ」
(冗談じゃない……)
 和人の頭の中は相変わらず混乱したままだったが、60過ぎであろう童貞老人に「似てる」と言われ、反射的に和人は拒絶感を抱いた。
「冗談じゃない、という顔をしているね」
「!」
 またしても和人の心を見透かしたかのような言葉が村木の口から放たれ、和人は声にならない声を上げた。村木の顔は微笑みを浮かべたままだったが、目は全く笑っていないように見えた。
「話を戻そう」
 村木の声は、若干トーンが下がっているように感じられた。
「一般的に、魔法なんてものは存在しない。僕らの能力は、いろんな物事や法則を無意味にしてしまう。だから、僕らが魔法使いだということは、秘匿すべき事実だ」
 和人は黙って話を聞くことにした。既に、村木の中では和人が魔法使いだということは覆しようのない事実になっているらしかった。
「だけど、僕らの能力は社会にとって有益でもある。だから、無闇に使うものではないけれど、使うべき場面では、適切に使うべきだ」
「俺たちは、それで10年以上やってきた」
 いつの間にか腕組みを解いていた岡島が、両手の指を組んで肘をテーブルの上に乗せ、若干身を乗り出しながら静かに言った。
「そう。だから、能力の存在を隠すため、僕らは口裏を合わせる。そして、私利私欲のために能力を使わないよう、お互いに監視……というと言葉が悪いけど、見張ることだってできる」
 村木は、和人の瞳をまっすぐ見つめながら言い切った。
「つっても結局は、個人の自制心次第の口約束みたいなもんだけどね!」
 和人が答えあぐねていると、田嶋があっさりと言い放った。だが、田嶋が言った言葉に和人も同じ思いを抱いた。
 口で何を言おうと、結局のところ個人の裁量次第だ。影でどう能力を使おうがバレなければ問題ないし、いくら制止しようとも、誰かが公衆の面前で魔法を使うことを止められるものでもない。法で裁けない行為を、どうやって抑止するのか。
 はっきりと考えがまとまっているわけではなかったが、和人は口を開いた。
「そもそもの話になりますが……私は超能力を持っていませんし、皆さんが超能力者であるということも信じられません」
「いやいや、いまさら恥ずかしがってもしょうがないでしょ」
「恥ずかしいとかじゃなくてですね……」
 苦笑いをしながら口を挟んできた田嶋に対し、和人は思わず呆れたような声を出した。
「恥ずかしいというなら、怪しげな集団の仲間だと思われることのほうが私はよっぽど恥ずかしいんですよ。面倒なことには巻き込まないでほしいというのが、正直な気持ちです」
「ふーむ……」
 和人の言葉を聞いて、村木は顎に手をやりながら唸った。岡島は相変わらず腕組みをしたまま、何を考えているかわからない無表情。田嶋は参ったなあとでも言わんばかりの苦笑いを浮かべている。
 壁に掛けられた丸時計の秒針の音だけが、会議室に響く。自分でも気付かないうちに中腰になっていた和人は、ゆっくりと椅子に腰をおろした。
 誰も喋らないまま十数秒が過ぎたところで、村木が口を開いた。
「僕らだけが菅原くんの能力を知っている、というのはフェアじゃないね。まず、僕らの能力についても説明しよう」
「いや、そういう問題では」
「まぁまぁ」
 反論しようとした和人を制するように片手を挙げ、村木が続けた。
「僕らだって最初は混乱したし、わからないことだらけだった。まずは誤解や疑問を解くところから始めよう」
「はぁ……」
 落ち着いた村木の声に、和人は不思議と言い返す気がなくなっていくのを感じた。
 思えば、わけもわからずこんなところに呼び出された挙げ句、仲間になれなどと突拍子もない話をされたのだ。あまりのことに圧倒されてしまっていたが、冷静に考えれば自分以外にも能力者がいるということを初めて知ったという状況でもある。加えて、村木の言葉を信用するならば、30歳で能力を獲得した彼らは(推定)20年以上は能力者として先輩だ。話を聞くだけならば損はないのではないか、と思い始めていた。
 和人が話を聞く態勢になったのを確認したのか、村木が口を開いて話し始めた。
「まず僕の能力は、菅原くんや他の皆のようにわかりやすいものじゃないんだ。簡単に言うと、人の気持ちがわかるっていうのかな。最近の言い方だと、空気が読める、っていうのかな。まぁ、それだけなんだけどね」
 片手で胸を抑えるようなジェスチャーをしながら話す村木に、和人はただうなずいた。それを能力と呼べるのかは正直微妙なところだと思うが、本人が言うのならそうなのだろう。
「微妙だな、って思ってるでしょう」
「は? あ、いえっ……」
 胸の内を見透かされたような気がして、和人は思わず胸の前で手の平を左右に振った。そういえば、さっきも考えていることを言い当てられたような気がする。何を考えているのかまでわかるとしたら、確かにそれは立派な能力だ。
「いやいや、別にいいんだよ。それに、僕は他人の考えていることが細かくわかるわけじゃないよ」
 和人の考えていることを知ってか知らずか、村木は和人の頭に浮かんだ疑問にまで答えた。背筋に冷や汗が流れるような気分がして、思わず和人はツバを飲み込んだ。うかつな事は考えまいと、話を聞くことに徹することにした。
「もうちょっと言うとね、相手が今どんな気持ちなのかなーとか、何を言ったら説得できるかなーとか、なんとなくわかるんだよね。人の顔色ばかり伺って生きてたもんだから、もともと空気を読むのは得意だったんだけど、30歳過ぎてから余計に、ね」
「そうなんですか……」
「村木さんがいると場が荒れないし、話し合いもちゃんとまとまるんだよ。君だって、話を聞く気になっただろ?」
 横から口を挟んだ田嶋の言葉に、和人はハッとした。言われてみれば、いつの間にかすっかり空気に流され、話し合いのテーブルにつかされている。空気を読むのが得意、とはずいぶん控え目に言ったものだ。まるで場の空気まで村木の意のままだ。
「いやいや、そんなに褒められたもんじゃないよ。我を忘れて暴れてる人を諌めることなんてできないし、人の考えてることがなんとなくわかるってのも困りものだよ。女の人が僕に気がないってことがわかっちゃうんだよ。おかげでこの歳まで童貞さ」
「そこまで言う必要はないだろう」
 にこやかに告白する村木に、隣に座っている岡島がいささか不機嫌そうな声で口を挟んだ。
「はは、そうだね。それじゃ次、岡島さんね」
「俺は……」
 村木に促され、岡島が口を開いた。
「電流を放出できる」
 抑揚のない低い声で、岡島が言った。そして、それきり黙り込んだ。
 和人を含め他の3人は次の言葉を待ったが、数秒経っても岡島は腕組みをしてうつむいたまま、微動だにしなかった。
「って、それで終わりかいっ」
「岡島さん、もうちょっと何か話しましょうよ」
 まるで漫才のようなツッコミを入れた田嶋に続き、村木も諭すような声を出した。それを受けて岡島は一瞬顔をしかめたが、仕方がないといった様子で話し始めた。
「使い道のない力だよ。体から電気を出せたところで、安定した電流が作れるわけでもない」
「たしか、携帯電話の充電しようとして壊したことがあったとか」
 横から田嶋が口を挟む。
「あれは、もう使わないやつで試した時だな。劣化してたせいもあるのだろうが、バッテリーが破裂してエラい目にあった」
 岡島の答えに、田嶋が声を上げて笑った。眉をひそめて横目で田嶋をにらむ岡島の顔を見ながら、和人は呆気にとられていた。バッテリーが爆発するともなれば、静電気どころの話ではないだろう。その力を人に向けたら武器になってしまうのではないか。だがそれと同時に、和人自身の能力も、もし人に向ければ危害を加えてしまうことになるのではないか、という疑問も浮かび上がった。
「俺の話はもういいだろう。田嶋さんの番だ」
「田嶋さん、お願いします」
 和人の疑問をよそに、岡島と村木が続けて田嶋へ話を振った。豪快に笑っていた田嶋は姿勢を正した。
 和人もひとまず自分の疑問は置いておき、話を聞くことにした。田嶋もまた、妙な能力を持っているのかもしれない。
「私は、ささやかながら傷を治す力を持っているよ」
「……」
 案の定、わけのわからない能力だった。何も言えないでいる和人をまっすぐ見ながら、田嶋が続けた。
「生き物の回復力を促進する、みたいな感じかな。といっても大きかったり深かったりする傷はどうしようもない。まぁ応急処置くらいのことしかできないけど、これはこれで重宝するんだよ。火事の被害が人にまで及ぶことは滅多になかったけど、火傷の跡とか多少は少なくすることができたからね」
 そういえば、田嶋は消防士だったと言っていたか。もし田嶋の言うことが本当なら、他の二人と違ってずいぶんと役に立ちそうな能力である。
「ちなみに、私の場合は若い頃は本当にモテたんだけど、昔から男同士でバカやってるのが好きだったからね。女性と話すのが苦手で避けていたら、いつの間にか歳をとってしまったよ」
 そこまで聞いていないし、どうでもよかった。

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