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カズは魔法使い 第八話

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「……出てきませんね」
 岡島の家の扉の前で、和人が言った。岡島の家は松方地区の中でも新興住宅地にあたる地域にあり、比較的新しい建物だった。出入り口は和人の実家のような引き戸型の玄関ではなく、ドアノブの付いた洋式の扉だ。先ほどから何度か村木が呼び鈴を鳴らしていたが、扉は沈黙を守ったままだった。
 村木と合流した後、和人たちは揃って岡島の家まで歩いて来た。当初村木は和人と一緒にいる生徒たちを見て戸惑っていたが、ともすれば走り出しそうなほどそわそわしている生徒たちをにこにこと眺めながら、一緒に歩いてきたのだった。村木の吐息が若干アルコールくさかったこともあり、おそらく晩酌でもしていたところだったのだろう、と和人は想像した。
「電気は点いてるし、いると思うんだけどねえ。スーパーも閉まってるだろうし」
 扉から一番離れた位置で、田嶋が呟いた。和人たち5人が岡島の家の前まで来た時には、既に田嶋は到着していて表で待っていたのだった。生徒たちは田嶋のことを知らないようだったが、田嶋の方は生徒たちのことを何度か見かけた記憶があったらしく、気楽な感じで声を掛けていた。都合、老若男女合わせて6人が、岡島の家の玄関前でたむろしていることになる。
「コンビニ行くくらいなら車出しますもんねえ。駐車場、車ありましたよね?」
「うん」
 和人が誰にともなく問い掛けると、田嶋が頷いた。岡島の家の位置からは、買い物に行くならスーパーが一番近い。だが、21時を回った現在はもう閉店しているはずだ。松方地区にもコンビニは数軒あったが、最寄りでも徒歩では20分くらいかかる場所にある。そのコンビニは(23時に閉店するが)自動車約20台分の駐車場があるため、もし行くなら車に乗って行くのが自然だ。
「ちょっと電話掛けてみる」
「お願いします」
 田嶋は和人に向かって頷いて見せてから携帯電話を取り出すと、2、3操作したあとで耳に当てた。岡島の家の中から固定電話の鳴る音が聞こえたが、数コール鳴っても人の動く気配はしなかった。
「うーんダメか。携帯にかけてみよう」
 田嶋は独り言を言いながら、一度呼び出しを切って再度電話をかけ始めた。建物からは何の音も聞こえてこなかったが、おそらく数コールほど鳴った後だろうか、岡島が電話に出たようだった。
「あ、岡島さん? あのね、今岡島さんの家の前に来てるんだけどさ、ご不在? あ、家にいる? 防音室?」
 その場にいる全員が注視する中、田嶋が電話で会話をする。どうやら岡島は家の中にいたようで、そのうちに建物の中からバタバタと物音がし始める。
「実は岡島さんとはバンドの仲間でね、たまに練習に防音室使わせてもらってるんだよ」
 おそらく防音室にいたから呼び鈴にも固定電話にも気付かなかったのだろう、と周囲に向かって言いながら田嶋が電話を切ると、少し経ってから扉の鍵が開く音が聞こえてきた。
 扉が開き、中から顔を出した岡島の表情は、心なしか疲れているように見えた。
「いったい何事だ、これは」
 岡島は思ったよりたくさん人がいたせいか一瞬面食らっていたが、すぐに気を取り直して先頭の村木に話し掛けていた。
「夜分遅くに申し訳ないね。いやね、実は中学校の生徒が一人行方知れずになっちゃったらしくて、探してるんだけど……」
 そうして、村木は事情を話し始めた。沙織里が行方不明になっていることや、それを探して全員で手掛かりを探しまわっていること。まずは知人関係に心当たりがないか聞いて回っている、といったようなことを説明していた。岡島のことを疑っているような素振りは見せず、適当に誤魔化しているようだった。和人は横で村木の話を聞きながら、いささか説明不足な感を受けていたが、岡島は黙って聞いているようだった。
「……どうした、陽平?」
 村木と岡島が話しているのを聞きながら、和人は何か考え込んでいる様子の陽平に気付き、小声で話し掛けた。
「防音室……って、監禁するのに都合が良いと思いませんか?」
「え……」
 陽平も村木たちに聞こえないよう小声で答えてきたが、その答えに和人はどきりとして言葉を失った。行方不明に続き、監禁という聞き慣れない物騒な単語。突飛な発想のようにも思えるが、否定する材料を持ち合わせていない。
 思わず、村木と話している岡島の方に目が向く。村木から電話で連絡を受けた時、岡島は不自然な様子だったと言っていた。そして、目の前で村木と会話をしている岡島は、よく知らないとか心配だなあといったことを言っているが、たしかに記憶にある姿よりも不自然に口数が多いように見えた。表情が疲れているように見えるのも気になった。
「俺、ちょっと家の中を見てきます」
「は? おい……」
「え、陽平?」
 陽平は早口で告げると、和人の制止を待たずに扉のほうへと向かっていった。すぐ横で、汐梨も同じように目を丸くしている。
「……俺もよくは知らない。いなくなってしまったというのは心配だけどね。ん?」
 村木と話していた岡島も、家に入ろうとする陽平にはすぐ気付いたようだった。
「おい、何してるんだ」
「……お邪魔します」
 岡島の問い掛けを無視し、ほとんど誰にも聞こえないような小声で呟くと、陽平は岡島の横を通り過ぎようとした。つい先程まで岡島と話していた村木は、呆気にとられて口を開けたままその様子を眺めている。
「こら!」
 ほとんど全員が呆然としている中で岡島だけは素早く動き、一喝しながら陽平の右腕を捕えていた。陽平はなおも家の中へあがろうとし、自由なままの左腕で靴を脱いだ片足だけ家の中に踏み込んでいたが、岡島の手を振りほどくことはできず、それ以上は進めないようだった。町の電機屋をやっているだけあって、岡島の腕力は中学生に劣るものではないらしい。
「何を勝手に上がり込もうとしとるんだ!」
「おい、どうしたんだよ!」
 陽平に向かって岡島が叱り付けたのと、一真が気を取り直して問い掛けたのは、ほぼ同時だった。その場にいる他の人間も状況を理解し始め、口々に制止や疑問の言葉を言い始める。
 陽平はしばらく周囲の制止も聞かずに岡島の手を振りほどこうとしていたが、気付けば岡島から羽交い締めにされるような格好になり完全に身動きを封じられていた。村木も扉の内側へと歩み入り、暴力はよくないといったようなことを二人に向かって言っていた。どちらかといえば、陽平への注意という意味合いが強い雰囲気だった。
「ええとね、君は……脇本さんちのお孫さんだったかな? 陽平くんだったっけね。こういうのは、きちんと話をするべきじゃないかな」
「……」
 完全に動きを封じ込められて抵抗をやめていた陽平だったが、村木の問い掛けには何も答えずに黙り込んでいた。陽平の身体を抑えている岡島の顔は疲労感が濃くなったようで、その額にはうっすらと汗が浮かび、照明の光を反射して輝いていた。
「おい、一真!」
 岡島に動きを止められたまましばらく沈黙を守っていた陽平だったが、急に一真へと声を掛けた。それまでとは打って変わって、家の表にまで響くような大きな声だった。
「ちょっと中行って見てこい! この人絶対なんか隠してる!」
「え、お、俺?!」
 呼ばれた一真は明らかに戸惑い、きょろきょろと周囲を見回した。汐梨と目が合い、和人と目が合い、田嶋と目が合った。視線が合った田嶋はゆっくりと首を振って見せたが、次に一真は陽平と目が合った。睨みつけるかのような陽平の目に、一真は思わず視線を外せなくなる。陽平の瞳は、いいからとにかく行け、と言っているような気がした。
「いやいや、一真くんね……って、ちょっと?!」
 他の人間と同じく一真の様子を見守っていた村木だったが、様子の変化を感じ取ったのか一真に向かって制止する手を差し出そうとした。だが、次の瞬間には一真は姿勢を低くし、村木の手を躱して家の中へと向かっていった。
「お、おい、一真……」
 和人も一瞬遅れて止めようとしたが、後ろからではもう届かない位置に一真は移動していた。一真が動き出したのを見て、陽平は自分の体重を後ろに預け、自分を羽交い締めにしている岡島のことを壁に押し付けようとした。そのまま、一真に向かって怒鳴った。
「この人は俺が抑える! 行け!」
「こ、こら、お前ら!」
「お邪魔します!」
 岡島も怒声を上げていたが、いくら中学生とはいえ全体重を掛けられてはすぐに押し返すことはできないようだった。一真は律儀に挨拶をし、家に上がる前に靴を脱ごうとしていたが、焦っているせいか、なかなか脱げずにいた。陽平は岡島の妨害を防ぐことに集中して一真のことを視界に捉えてはいなかったが、もたもたしている様子を察したのか「早くしろ!」と小さく叫んでいた。
 次の瞬間、布を引き裂くような音がその場に響いた。一拍遅れて、どさりという物音と共に陽平がその場に倒れる。すぐそばに倒れ込んできた陽平の身体に、一真は驚いて尻もちをついた。
「だめだと、言ってるだろうがー!」
その場にいる全員の鼓膜を、岡島の叫び声が通り抜けた。
「よ、陽平!」
 他の全員が動けないでいる中、汐梨が小さく叫び、和人と村木のことを押しのけて陽平のそばにしゃがみこんで膝をついた。どうやら、陽平は意識を失っているようだった。
「岡島さん!」
 村木が声を荒げて、岡島の名前を呼んだ。村木の声には怒気が含まれ、今まで見せたことのないような表情をしている。だが岡島は荒い息遣いのまま、村木の呼びかけを無視して一真に歩み寄っていた。へたり込んでいる一真をまたぐように立って、一真の頭上の壁に手をつく。岡島の体で照明の光が遮られ、一真の顔に影が落ちた。一真が見上げると、肩で息をしている岡島と目が合う。思わず、一真は小さく悲鳴を上げた。
「ちょっとこれ、どうしよう……先生!」
 汐梨は、完全に気を失っているらしい陽平の様子に、和人へと助けを求めて振り向いた。だが、あまりのことに動揺し、和人の身体は硬直してしまっていた。おそらく岡島が電流を発する魔法を使ってしまったのだろうということはわかる。だが、子供とはいえ、人が気を失うほどの威力になるものか。
「どいて!」
 扉から離れた位置にいた田嶋が、棒立ちになっている和人を押しのけて家の中へ入っていった。そのまま汐梨の横にかがみ込んで膝立ちになり、陽平の背中側から脇に手を入れて上半身を起こしながら、汐梨に向かって話し掛けた。
「お嬢ちゃん、外に出ていたほうがいい。彼のことは私が看よう」
「えっ……」
 田嶋は汐梨の返事を待たずに、陽平の身体を腰が浮く程度に持ち上げ、家の外に向かって運び始めた。中腰の姿勢で運びながら、村木に向かって声を掛ける。
「村木さん、無理矢理にでも家の中は見たほうが良いかもしれない。これはもう、仕方がない」
「そうですね」
 村木は小さく頷いた。
「おい」
 ぐったりしている陽平のことを運びながら、田嶋は通り過ぎながら和人にも声を掛けた。
「何ができるのか、何をすべきなのか考えろ。大人がしっかりしなきゃ、いかんだろう」
 それは、呆然として何もできないでいる和人に対する叱咤だった。田嶋の言葉に、和人ははっとした。岡島の家に来てから今まで、何もしていないのは和人だけだった。
 和人は気を取り直して周囲を見渡した。汐梨は陽平を運び出した田嶋を追って、庭の方へと向かっている。たしか庭には芝生があったはずだが、田嶋はそこに陽平のことを寝かせるつもりかもしれない。
 あらためて扉の内側に目を向けると、岡島が一真に向かって、早く出て行けというようなことを言いながらすごんでいた。村木は説得を試みようとしているのか、何度も岡島に向かって声を掛けている。
 状況が状況なだけに、岡島の家の中に何かがあることは間違いないだろう。それが沙織里なのかどうかはわからなかったが、もし締め出されて鍵を閉められてしまっては、窓を破壊でもしなければ何もわからなくなってしまう。なにせ防音室があるということだ、家の外からでは中の様子がわからなくなってしまう。先ほど田嶋が村木に向かって言っていた通り、無理やりにでも中を見なければならない。
「岡島さん」
 意を決して和人は、扉の内側に一歩踏み込んで岡島に呼び掛けた。
「……なんだお前。いたのか」
 予想外の客に驚いたのか、それまで村木の呼びかけを無視し続けていた岡島が反応した。その反応に気圧されながら、和人は続けた。
「何もなければ、家の中を見ても問題ないはずです。なぜそんなに拒むんですか」
「勝手に家の中を見られて、気分が良いわけないだろうが」
「ぐっ……」
 低い声で凄まれて、和人はたじろぎ、言葉に詰まった。だが、会話に応じ始めた岡島の様子を見て、今度は村木が話し始めた。
「それは平時の話でしょう。今は子供が一人いなくなってるんです。奥にいるんですか?」
「……」
 村木の問い掛けに、岡島は黙り込んだ。そのまま数秒が過ぎる。岡島、村木、和人が動かずに見合っている中、座り込んでいたままだった一真がゆっくりと動き始める。岡島の顔を窺いながらこっそりと靴を脱ぎ終わった一真は、そろそろと家の中へ上がり込もうとしていた。
「おい」
 だが、さすがに気付かれずに進入することはできず、岡島に見咎められた。一真に向かって伸ばされた岡島の手から、ばちっという音と共に電撃が走る。陽平を昏倒させた時と比べて威力は抑えられているようだったが、目に見えるほどの電撃は一真の肩のあたりに向かって走り、一真を飛び上がらせた。
「いたっ! なんなんだよこれもう! っていうか陽平に何したんだよおじさん!」
 中腰のまま後ずさった一真は、喚きながら立ち上がり、和人の横に並んだ。電撃を食らった肩を反対の手で押さえていたが、どうやら怪我などはしていないようだった。
「中に、沙織里がいるんですね?」
「岡島さん……それは、立派な犯罪だよ」
 和人と村木が、続けて言った。岡島は、両手を拡げて和人たちの立ちはだかっている。威嚇のつもりなのか、時折手の平のあたりからばちばちと音が鳴っていた。
 おそらく、無理に突破しようとすれば陽平と同じように気絶させられてしまうのがオチだろう。下手をすれば命にも危険が及ぶかもしれない。陽平は無事だろうかと、和人は思った。
「いる。沙織里という子は、奥にいる」
 岡島の言葉に、和人たち三人は揃って目を見開いた。
「だが、明日になったらちゃんと帰す。だから今日はあんた達、みんな帰ってくれないか」
 驚いて固まった三人に向かって、岡島は言葉を続けた。
「は?」
「何言ってんですか!」
 岡島の言葉に対して、和人と一真が反応したのはほぼ同時だった。二人揃って、何を言っているかわからないという表情をしていた。一拍置いて、村木が言う。
「岡島さん……それはちょっと、無理があるでしょう」
「無理はない。俺は、約束は守る男だ」
「いや、そういうことじゃなくて……」
 頭痛でもするかのような仕草で、村木は自分の額に手を当てた。だが、そんな村木の様子を無視して田嶋は一歩、前へ足を踏み出した。
「無理じゃない。俺がお前らを追い出すことに、無理はない」
「え……」
 ゆっくりと近付いてくる岡島に、和人は一歩後ずさった。心なしか、岡島の手だけではなく、体中からもばちばちと音が聞こえるような気がする。だが、このまま扉の外に出るわけにはいかなかった。それこそ、岡島の思うツボである。
「ちょっと岡島さん、冗談はほどほどに……あっつ!」
 岡島に向かって手を伸ばした村木だったが、その手が肩に触れようとした瞬間に、岡島の肩から村木の手に向かって電撃が走った。村木は思わず手を引っ込めて後ずさっていた。どうやら、体中からばちばちと音がしていたというのは気のせいではなかったらしい。電流が服を貫通している理屈はよくわからないが、もし全身凶器状態になっているとしたら、触れるだけで危険な状態だ。
 両手を拡げてにじり寄ってくる岡島を見ながら、和人は田嶋が言った言葉を思い出していた。
 何ができるか、何をすべきか考えろ。
 そして、自分だけが取れる選択肢に思い当たる。接触すれば危険な相手ならば、触らずに動きを抑え込むことができれば良い。手を触れずに物を動かすという和人の魔法は、そういうことができる能力なのだ。
 一真に魔法を見られてしまうことは、この際気にしていても仕方がないと思った。既に岡島がわけのわからない力を見せてしまっているのだ。軽い物しか動かしたことはなかったから賭けのようなものだが、やらないよりはやったほうがマシだ。和人は覚悟を決め、右手をゆっくりと差し出し、手の平を岡島に向けた。
「……なんのつもりだ?」
 自分に向けられた和人の手を見て、岡島は足を止めた。そして、あざ笑うかのようにうっすらと唇の端を持ち上げた。
「それこそ、無理というものだろう」
 岡島は小さく呟くと、再びゆっくりと前に進み始める。岡島の身体は、いまだにばちばちと危険な音を立てている。
 だが和人は集中し、自らの魔法を使い始めた。空気中を自由に飛び回っている分子の流れを、一方向に揃えるイメージ。空気が、揺らぎ始めた。
「え……風?」
 一真が、異変に気付いて呟いた。開け放たれた扉から、外の冷たい空気が家の中に向かって流れ込み始めている。村木は様子を察したのか、和人から一歩離れ、壁際に身を寄せていた。
 構わずに、和人はイメージを膨らませていく。一度に動かす空気の範囲を拡げていく。ただ一点、岡島の身体めがけて分子の流れをぶつけることができれば良い。扉が開きっぱなしになっているのは好都合だった。一度に大量の空気を動かせる。とにかくたくさんの空気を、ぶつけられれば良い。
 操作する空間のイメージを十分に膨らませ、和人は岡島に向けた右手を握りしめた。その瞬間、風が止んだ。
 そして和人は、人差し指を岡島に向けた。
(思い切り、ぶつける)
 和人は、イメージを爆発させた。溜め込んだ力を一気に岡島に向けてぶつける。突風を、扉からなだれ込ませる。和人のイメージに呼応して、周囲一帯の大気が急速に動き始めた。
 この時和人の脳裏には、扉から吹き込んだ突風を受けた岡島が、吹き飛ばされて壁に押し付けられている姿が映し出されていた。
 そして、風は吹き荒れた。入り口の前に立っていた和人の背中へと向かって、自然ではありえないほどの大気の奔流が、突風となって叩き付けられた。

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