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カズは魔法使い 第五話

「いくつか疑問はあるのですが……」
 田嶋の最後の話は無視し、和人は話を切り出した。
「まず、皆さんがおっしゃった能力が本当にあるのかというところです」
「うん、なるほど」
 応じたのは村木だった。
「確かに、菅原くんにとっては君以外の魔法使いを見るのは今日が初めてだったよね。かといって僕の力はわかりづらいし、田嶋さんのは……わざと怪我するのもアレだよね」
「やっぱ岡島さんのが一番わかりやすいよ」
 両脇から村木と田嶋に見られ、岡島が腕組みを解いた。
「まあ、仕方がないな。よく見ておけよ」
 そう言いながら岡島は、右手をテーブルの上に差し出した。握りこぶしに近いような形だが、親指と人差し指の先をくっつけている。まるで指を鳴らす直前のような形だったが、そのまま指の先同士を擦り合わせ始める。
 岡島はしばらくその動作を続けていたが、やがて動きを止めると親指と人差し指を離し、アルファベットのUのような形を作った。
 次の瞬間、岡島の指と指の間に静電気のような光が何本か続けざまに走った。同時に、和人は新聞紙が破けるような音が聞こえた気がした。おそらく静電気が起きた時のような音だったのだろうが、あまりにも連続で鳴ったため別の音に聞こえたのかもしれない。
「いや、それ危ないでしょ!」
 和人はしばらく呆けていたが、ふと我に返った瞬間、思った言葉が口をついて出た。
 ただの静電気では、ああいう風にはならないだろう。もはや、彼らが魔法と言っている能力を疑うことはできなかった。
 しかしながらそれとはまた別の問題で、あんな電撃を食らったら、痛いだけでは済まないのではないだろうか。岡島本人は、なぜ平気なのか。
「怪我とかしないんですか?」
「理屈はともかく、俺自身は何も感じない。他人にはぶつけたことがないから、どうなるかはわからないが」
「あ、いや、それはそうなんでしょうけど……」
「なんなら試しに村木さんにでもぶつけてみるかい? ちょっとした怪我なら私が治せるわけだし」
「いやいや田嶋さん、勘弁してくださいよ」
 笑いながら言った田嶋に向かって、村木も苦笑いを浮かべながらムリムリと言わんばかりに手を振っていたが、和人にとってはまるで笑えない冗談だった。和人自身、自分の力を人に向けようなどと思ったことはなかったから、どうなるかわからないという点は理解できる。とはいえ、見るからに危険そうな能力だ。
「皆さんにも能力があるということはわかりましたが、それが何の役に立つんですか」
 思ったままの疑問を、和人は口にした。
「菅原くん……やっぱり君も、魔法が使えるんだね」
 優しい口調で言った村木の言葉に、和人は胸の鼓動が早くなるのを感じた。しまった、と思ったが、言うべき言葉はすぐには見つからなかった。二の句を継げないでいる和人の様子を見ながら、村木は続けた。
「まあ、それはわかってたことだからいいとして、何の役に立つか、だね。実際、それほど役に立っているわけではないよ。派手な力はおおっぴらに使うことはできない。僕のはわかりづらいから、特に気にせずに使えるけども」
「役に立つという点では、私のは便利なんだけどね。と言っても、使える場面は限られる。応急処置に紛れて使ったり、怪我してる動物の手当をしたり、くらいのものだ」
「……俺の能力は、まるで使い途がない。せいぜい電球を点滅させるくらいのものだ」
 村木に続けて、口々に田嶋と岡島も言った。
「肝試しで脅かす役にでもなれば、使えそうじゃないか」
「人に見せられるわけがないだろう。それに、電池と可変抵抗でも繋げれば済む話だ」
「ただの冗談じゃないですか」
 表情を少し曇らせながら真面目に答えた岡島に、村木が諭すような口調で言った。そのまま、和人のほうを向いて村木が続けた。
「聞いての通り、たいして役に立っているわけじゃない。僕らも、どう役に立てるかというのを模索しながらここまで生きてきた。でも、バリエーションが増えれば、それだけ可能性も拡がるんだ。特に、菅原くんの魔法はとても有効に使えそうだからね」
 和人の向かい側では、田嶋がうんうんと頷きながら話を聞いている。和人が何も言わないでいると、さらに村木が続けた。
「最初に話した通り、魔法が使えるっていうのは普通のことじゃない。一人だけで抱え込んだままでいるよりは、仲間がいたほうが良いと思う。人生の先輩としても、菅原くんの役に立てることがあるかもしれないしね。決して菅原くんの悪いようにはしないけど、どうかな」
 そこまで言って、言いたいことはすべて言い切ったのか、村木は反応を待つかのように和人のことを見つめた。いつの間にか、話題の中心は和人の勧誘へと戻っていた。
 ここまで一通り彼らの話を聞いてはみたものの、和人の気持ちは変わっていなかった。空気を読む村木の能力も、さすがに心変わりをさせるまでには至らないらしい。魔法を世の中の役に立てる、などと大げさなことを言ってはいても、自分よりはるかに年上の男たち(しかも全員童貞)が、寄ってたかって中学生のような遊びをしているような印象は拭えない。ゆっくりと言葉を選びながら、和人は喋り始めた。
「せっかくのお誘いですが、現状これといって困っているわけでもありませんので……」
「いやいやいや菅原くん、ちょっと待ちなよ」
 だが、話し始めた和人を遮りながら、立ち上がった田嶋が早口に言った。
「田嶋さん」
 勢い込んだ様子の田嶋を見て村木が諌めるように声を掛けたが、意に介さず田嶋が続けた。
「さっきも言った通り、これはお互いが無闇に魔法を使わないように見張る目的もある」
「田嶋さん!」
 少し強い口調で村木が名前を呼んだが、それでも田嶋は聞く耳を持たなかった。逆に止められたのが気に障ったのか、顔を若干紅潮させながら続ける。
「君の力は、はっきり言って危険なわけよ。さっき君は岡島さんに危ないって言ったけどね、手を触れずに物を動かせるなんてね、危険性で言ったらよほどそっちのほうが危ない」
 もはや村木も諦めたのか、それともそのまま喋らせたほうが良いと判断したのか、田嶋を止めようとするのを諦めていた。田嶋はさらにまくし立てた。
「例えばね、人が集まってるところで誰かの頭でも小突いたりしたら、それでトラブル発生だよ。君は離れていれば何の疑いもかからない。手を汚さずに、簡単に治安を乱すことができる」
 いささか大げさすぎる言い方だと和人は思ったが、好き放題に言われて良い気分がしていなかった。そもそも人に向けて力を使おうということなど考えたこともなかったし、せいぜいが軽いものを動かせる程度の力なのだ。そこまで言われて黙っている理由もない。
「そんなことしませんよ。見世物じゃないんだから、無闇に使ったりしません」
「だが、実際に君は魔法を使ったところを生徒に見られている」
 自分でも不機嫌そうな声色になっていると思いながら和人は言ったが、すかさず岡島が低い声で指摘した。横では、立ち上がったままの田嶋がテーブルに両手を突きながら、大きく一度頷いた。力を使ってスマートフォンを拾い上げた場面を、一真に見られたという事実。それは確かにそうかもしれないが、あれは交通事故のようなものだ。誰かに見られていると知っていれば、力など使わなかった。和人のお財布事情を鑑みれば、やむを得なかったのだ。
「あれは不幸な事故でした。今後は十分に注意します。家の外では一切使わないと誓います。これでいいですか?」
 和人はかえって意固地になっていた。声に不機嫌さが混じるのを隠す気にもならず、少し早口になりながら言った。
「だからね菅原くん、もうそういうことじゃなくてね……」
「まぁまぁ、田嶋さんも岡島さんも。菅原くんも、一旦落ち着いて。ね」
 田嶋はさらに言葉を返そうとしていたが、村木はまあまあと両手を上下に動かしながら、三人に向かって声を掛けた。田嶋は不服そうな表情を見せながらも、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。村木は田嶋が椅子の背もたれに体重を預けたのを見届けてから、和人に向かって口を開いた。
「いきなりこんな話をされたら、冷静に考えることもできないと思う。返事はまた今度でも良いから、ちゃんと考えてみてくれないかな」
「いや、ですから……」
 落ち着いた声で諭すように言った村木に対して、和人は反射的に反論しようとしたが、続く言葉がすぐに見つからず口をつぐんだ。和人としては、例え時間をかけて考えたとしても答えが変わるとは思えなかった。この場を曖昧に濁したとして、いつまでも勧誘されたり、懐柔しようとされることがあっては迷惑だ。ここははっきりと拒絶の意思を見せ、後腐れを無くすべきだ。そう考えると和人は、あえて強い言葉を使って意思表示をするほうが良いと思った。
「失礼を承知で言わせてもらいますが、いい歳して……いや、皆さんがおいくつなのか知りませんが、いい歳した男が傷の舐め合いをしているだけに感じます」
 和人がそう言うと、三人の視線が和人の顔へと集まった。岡島の目には剣呑な雰囲気さえ宿っているように見えたが、和人はたじろぎながらも続けて喋った。
「先ほどからお話を聞いていても、組織である必要性は感じません。仮に魔法が原因で問題が起きたって、組織が責任を取れるわけでもないでしょう。本当は童貞ってことに引け目でも感じてるんじゃないですか? 俺たちはすごい力を持っている、世の中の役に立てるんだ、って思いたいだけで」
「ちょ、ちょっと菅原くん」
 村木が止めようとしたが、調子に乗って饒舌になった和人は聞かなかった。話が脱線していることにも気付かず、そのまま話し続けた。
「だいたい、皆さん本当に童貞なんですか? ふつう、こんな田舎じゃ童貞だって処女だって捨てるのが早いもんでしょう。その歳まで童貞でいることも驚きですし、目の前に3人もそんな人がいるなんて、そっちのほうがよっぽど疑わしいですよ」
「おい!」
 調子に乗って話し続ける和人に向かって、田嶋が大きな声を出した。その声で、和人は我に返った。田嶋は少し怒ったような顔で和人を見ていた。岡島はいつの間にかうつむいており、表情はよくわからなかったが、肩をいからせて震えているように見える。相当頭に来たのかもしれない。その岡島のことを、横で村木が心配そうな、不安そうな表情で見ていた。
「……とにかく、私は皆さんの仲間になるつもりはありませんので」
 少しばつが悪そうにしながら和人は言った。が、次の瞬間、会議室に大きな音が響いた。それは、岡島が拳をテーブルに叩きつけた音だった。岡島は勢い良く立ち上がって椅子を後ろに跳ね飛ばし、顔を紅潮させて和人のことを睨みつけていた。
「お前な……」
 震えるような声を出し、今にも和人につかみかかりそうな岡島の様子に、村木と田嶋は慌てて立ち上がりながら声を掛けた。
「岡島さん、いったん落ち着こう」
「菅原くんも悪気があったわけじゃないですから」
「ふざけるな! 悪気がないわけないだろう!」
 なだめようとした村木の言葉が逆効果だったのか、岡島が声を荒げた。完全に激昂している。村木の魔法をもってしても、もはや止められないようだ。つい先程までは無表情だった岡島が、今では完全に火がついたように憤りをあらわにしている。
 和人は岡島の様子を見て少し申し訳ない気持ちになっていたが、あえて強い言葉で拒否すると自分で決めて話した手前、謝ることもできずにいた。
 今にも暴れ出しそうな岡島を止めていた村木は、ちらちらと和人の様子を伺っていたが、やがて諦めたように和人に声を掛けた。
「とにかく、今日はもうお開きにしよう。岡島さんは先に帰らせるから」
 そう告げると、両脇から抑えられた岡島を中心にして、三人は会議室を出て行った。まだ興奮したままの岡島の声は扉が閉まってからも聞こえていたが、だんだんと遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
 一人で会議室に取り残された和人は、そのまましばらく呆然としていた。

******

いつまで待っても誰も会議室に戻ってこないため、勝手に帰ることにした和人だったが、受付スペースの前まできたところで、ちょうど村木と田嶋が建物に入ってきた。苦笑いを浮かべながら言葉を交わしていた二人だったが、和人の姿に気が付くと、田嶋が片手を上げて挨拶をした。
「おまたせ」
「いえ……なんか、すみませんでした。岡島さんは?」
 下駄箱から外靴を取り出し履き替えてから、和人は素直に謝罪の言葉を口にした。和人が村木と岡島の二人と合流すると、話しながら三人は歩き出した。建物から外へ出て、活動センターの敷地内の舗装路を歩き出す。
「いやぁ、一人で帰れる、バカにするな、って言って帰っちゃったよ」
「あぁ、それより菅原くん」
 昇降口から建物の外へ出たところで、村木が切り出した。
「さっき、表で君の生徒さんたちに会ったよ」
「え?」
 生徒というのは、一真たちのことだろうか。活動センターに遊びに来るような時期でもないだろうに、何をしにきたのだろうか。
「どうやら、僕が菅原くんによろしくって言ったのを気にしてたみたいで」
「私を訪ねてきたんですか?」
「いや、菅原くんが今日ここにいるってことは知らなかったみたいだよ。僕と話をしたかったみたいで」
 和人の疑問に対して、村木が答える。その横から、田嶋が口を挟んだ。
「わざわざ四人も話をしに来るんだから、君もずいぶん慕われてるんだな」
「四人?」
 和人は、おそらく話をしに来たというのは一真だろうと思ったし、そうなると陽平も巻き込まれて連れてこられたのではないかと思ったが、あとの二人は誰なのだろうか。
「そうそう、菅原さんとこのお孫さんもいたかな」
「あぁ、沙織里ですか」
「そんな名前だったかな。あとそのお友達も」
「たぶんそれは汐梨ですね」
 村木の話を聞いて、和人はだいたいのことを理解した。おそらく一真が言い出し、沙織里と汐梨が乗っかり、陽平が巻き込まれた。これで四人だ。
「それで、四人はもう帰ったんですね」
「うん」
 建物の外に出ても四人の姿は無かったし、村木も過去形で話していたのでほぼわかってはいたが、和人は念のため確認した。そして、気になっていたことを切り出した。
「それで、なにを話したんです? まさか……」
「いやいや、もちろん魔法のことなんて話さないよ。地区の行事に、塾のほうでも参加しないか、みたいな話をしていたことにしたよ」
「そうですか」
 祭りや行事があれば、学校や保護者会、商工会などが出し物をしたり、屋台をやったりする。いわゆるテキ屋も集まってくるのだが、そのことを言っているのだろう。もっとも、契約社員という立場の人間を塾の代表者として扱うのは不自然だとは思ったが、子供のことだからそこまで気にしないだろう、とも思った。
 それから三人はしばらく無言で歩いていたが、活動センターの敷地と道路との境界まで来たところで、村木が立ち止まって話し出した。
「ま、菅原くんの言うことはね、僕らもわかってるんだよ」
「私らだって、無駄に歳を重ねてるわけじゃないからな」
 続けて言った田嶋に、和人はなんのことだろうと思ったが、先ほど会議室で放った暴言についてのことだろうと思い当たった。和人も二人に合わせて立ち止まると、あらためて謝ることにした。
「すみません。正直、言い過ぎたと思っています」
「ああ、気にしなくていいんだよ。ただ、岡島さんはちょっと入れ込んでるから……」
 村木はそう言ったが、入れ込んでいるというのは組織に対してだろうか。真剣に打ち込んでいるものをバカにされると腹が立つというのは理解できる。
「あの人はな、付き合いの長い私らでもいまだに何を考えてるかよくわからんところがある」
「はあ、そうなんですか……」
 和人が曖昧に頷くと、しばらく沈黙が続いた。次に沈黙を破ったのは、村木だった。
「とにかく、今日はお開きだ。菅原くんが僕らの仲間になってくれないのは残念だけど、何かあればいつでも相談してくれて良いから」
「若い君には、まだまだ未来があるからな。なんなら風俗に行ったって良いんだぞ?」
 いやいや、と苦笑しながら手をひらひらさせた和人だったが、ふと気がついたように口を開いた。
「ところで、今から童貞捨てたら魔法は使えなくなるんですかね?」
「知らん!」
 和人の疑問は、笑顔の田嶋に一言で切り捨てられた。魔法使いの卒業生はいまだいない、ということか。いよいよもって希望がなくなるような事実だ。
「ところで、もうひとつ気になったんですけど。30歳過ぎた童貞が魔法使いになるのであれば、30歳を過ぎた処女も魔法使い……魔女になるんですかね?」
 和人が口にした疑問を聞いて、村木と田嶋は顔を見合わせた。思ってもみなかった質問が飛んできた、というような顔だ。
「菅原くん、30過ぎて処女ってね……そんな人いるわけないじゃないの」
「……」
 笑顔で答える田嶋に対して、和人は何も言えなかった。推定60歳の童貞が言っても全く説得力が無いと思ったが、和人は流石にそれを口にすることは控えた。
「そういえば処女っていうと、岡島さんが童貞なのは、生娘でないと嫌だ、って言い続けてたせいでしたっけ」
 唐突に、村木が言い出した。
「村木さん、それは言っちゃいけないでしょう」
「おっと、これは失敬」
 田嶋にたしなめられて村木は頭をかいた。二人とも冗談を言い合っているような空気だったが、和人はまったく笑えなかった。岡島さんはあの歳で処女厨なのかよ、それはもう救いようがないのではないか、と思っていた。
「まぁでも、岡島さんには気をつけたほうが良いかもしれないな。さっき子供たちとすれ違った時、女の子のこと見て急に大人しくなったし、チラチラ見てたからね」
「気に入っちゃったのかもね」
「まさか。やめてくださいよ」
「ははは」
 非難めいた声を出した和人に、村木も岡島も笑っていたが、やはり和人はとても笑い飛ばせるような気分ではなかった。処女厨でロリコンというのは、理に叶っている気もするが、だいぶ気持ちが悪い。
「それじゃ、気をつけて」
「はい、失礼します」
 村木と田嶋に別れを告げ、和人は家路についた。和人の暴言を気にしていない様子の村木と田嶋を見て、なんとか近所付き合いに遺恨を残すことは避けられそうだ、と和人は思った。

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