2024年初投稿となります。今年もよろしくお願い致します。 1月1日16時10分、石川県の能登半島沖付近にてマグニチュード7.6の地震 (通称:令和6年能登半島地震)が発生し、震源地があります石川県をはじめとした北陸地方 (富山、福井、新潟等)にて多くの方が被災しました。 この地震では200人以上の死者、多くの行方不明者を出しました。 あまりに突然かつ、元日という新年の幕開けでもあるこの日にこのような悲惨な出来事が起きてしまい、私は驚きと悲しみを隠しきれません。 この
今日朝、今年一番のショックとも言えるニュースが飛び込んで来ました。 KANさんという人は、私が東京という地に行き、音楽家を目指そうとしたきっかけを与えたアーティストでもあります。 私の実家には、当時購入したであろう愛は勝つとプロポーズの2枚のシングルがあるのですが、私は、愛は勝つよりも、そのカップリング曲「それでもふられてしまう男」という曲のスピード感とメロディアスさ、そして家にあったもう一枚「プロポーズ」の綺麗なメロディーライン、これでノックアウトされました。 初めて
そんなどうでもいいことへの努力でさえも、自分を強くしているんだろうなって。
今、叶わぬ恋をしている。 叶わないって言っ分かってるから、限界を求めに行きたくなる。あの歌をプレゼントしたあなたに届けばいいな。
ただ、行ける所までは進みたい。進まなければいけない。 夢を否定されようが、そこまで辿り着くことは諦めたくない。 辿り着けたら、散るか、同じことの繰り返しで世間に揉まれながら生きるかを選べばいい。 今、ここで「散る」というふざけた選択はしない。
手離した理由は、自分のせいだけでもない。向こうにも非はある。 でも、それを分かり合えなかったのがお互いに未熟だったってことなんだろう。
そんな苦しみが、人を傷つけたのかもしれない。 誰もわかってくれないし、自分にも相手の気持ちなんて分かり得ない。だからどうかは分からない。 自分は大切だった人を半年前に手離してから、孤独ばかりを意識している。
自分は孤独か? それとも周りに人がいるのか? 答えは「孤独」だろう。 だって、自分が孤独じゃないその瞬間を満たしてくれる人に限って、いつも自分のそばには居ない。
青空は広がってても、自分の思いを空に向かってぶつけたって返っては来やしない。 だって広がる景色の先には空しかない
5月2日。秩父へ行った。 立ち寄った日帰り温泉には、庭があった。 そこでベンチに座り、一人考え込んでいた。 このままでは自分が消えてしまったら、どんな歌を歌ってても人々からは忘れられるんだろうなって。 それでいいのか。 既に夢は持ってるのに、いつも裏切られてつまずいてばかり。
自分は「大人」という立場にいる。 でも、そんな大人という人達が、いつも自分に屈辱を与えて来るから苦手だ。 それは、自分も既にその立場に立っていることが嫌なくらいにだ。 そんな自分を、もう誰も助けに来てはくれないし、きっと、見向きやしてくれない。
身の回りの人達は、必ず最後に自分を裏切る。 自分が強くあらないといけないのだろうけど、いい所でいつも同じような形で裏切られていては、もう何を信じればいいのか。
今歌いたいことがある。 でも、それを歌って仮に多くの人から共感されたとして、自分に一生「そんな歌を歌う人」というイメージが付いてほしくない。 そんな理由でまた今日も、出来損ないの詩を書いては消してしまった。
こんにちは。tasshyです。いつも応援ありがとうございます。 今回も、私の趣味の紹介をして行こうと思います。 私は、お酒をよく飲みます。 最近は以前より飲む頻度は減りましたが、1週間のうちの2日は飲んでるかと。 まだ20代前半というこの歳で意外に思われるかもしれませんが、私はウイスキーの大の愛好家です。 福岡の実家に帰っても、ジョニ黒のミニボトルを炭酸で割って飲んだり、親戚の大叔父もウイスキー好きなので会った時は共に水割りで飲んだりしているくらいです。 ちなみに
こんばんは。tasshyです。いつも応援ありがとうございます。 たまには音楽以外のことも書こうと思って、今回は最近見た映画の話題について書いていこうと思います。 4月14日。みなさん待ちに待っていたであろう名探偵コナンの映画「黒鉄の魚影」が公開されましたね。 私は毎年コナンの映画に足を運ぶようにしてるのですが、今年に関しては、映画の最後に必ずある来年の内容予告の時から既に楽しみで、約一年待ちました。 今、ものすごい勢いで興行収入だったり観客動員数だったりが上がってって
こんばんは。tasshyです。いつも応援ありがとうございます。 今回は、ものすごくシンプルなタイトルです。 私には「夢」があります。 それは、現在のこの音楽活動を形にして、生計を立てることです。 これでこのブログは終わりませんよ。 そして、活動が軌道に乗った後にすることは、かなり大まかではありますが抱いています。 それは、家族、そして東京での単身生活を支えてくれた人々、学校、私を見出してくださるであろう音楽業界への恩返しです。 では、早速本題へ入っていこうかと思