記憶の縄釣瓶petit: わが家のテレビ。

わが家のテレビはたぶん1980年代製の、ブラウン管テレビである。

日本ビクター製、おそらく4代目に当たるかと思う。テレビの下の棚には何枚かのDVDとCDが乱雑に突っ込まれている。DVDプレイヤーはあるがもうずいぶん起動していない。CDプレイヤーはもうない。

このテレビの初代は、1人暮らしをはじめて何年かたったころ買ったものだと思う。そのころテレビの下には、ベータマックスに勝利宣言したばかりの、日本ビクターが誇るVHSのダブルデッキレコーダー&プレイヤーがいた。
このVHSプレイヤーは、当時仕事をしていた雑誌の忘年会のくじ引きで、3等くらいを当てて貰ったものだった。バブル末期、羽ぶりのよかったMH社の、中でも派手好きな(というよりそちらに周囲を誘導するのが上手な)IJ氏が編集長をしていた雑誌の忘年会である。毎年六本木や湾岸エリアの最先端大規模スポットが会場だった(その後大事故を起こして閉鎖になったTだったような気もする)。くじ引き大会の賞品も派手だった。なんと1等のハワイ旅行を当てたのは、来る途中で編集者が街で「一緒に来ない?」とナンパした、雑誌とはなんの関わりもない女の子だったりもした。まさにバブルだ。

10年以上使い(阪神大震災もオウム事件もこのテレビから情報を得た)、今の同居人と暮らしはじめたときにも運び、見続けたビクター製テレビは、しかしそのころ(2000年代)になると不調をきたすようになる。だがかつての電化製品の取扱い説明書には、故障のときの連絡先電話番号が丁寧にきちんと掲載されていた。そこに電話すれば翌日にはサービスエンジニアが訪問してくれた。

そんな今世紀初頭、何度となくわが家を訪れてくれたビクターのエンジニアがいた。たぶん僕より年上、メーカーにしてみればさっさと新製品に買い替えてもらった方がいいのに(実際70年代以降、日本の家電メーカーは買い替え需要で業績を伸ばし会社を維持してきた)、彼は「長く使っていただいいてありがとうございます」と言いながら、ダメになった部品を電話で探しまくり「部品ありましたから手に入ったらまた来ます」と、1回分の出張修理料金で大抵2回来て古いテレビを直してくれた。ときにはもうこの部品はないと言って、秋葉原で探して買ってきてくれたことさえあった。
そしてついに時がきた。ブラウン管だか電子銃だかが完全にダメになって、修理不能という事態が訪れた。すると彼は、どこからからかまったく同じ年代の同じ機種のテレビ受像機を探し出してきて、交換してくれた。会社には内緒ですよと言いながら1回分の出張修理料金で。

同じようなことがもう一度あったと記憶する。いまの家に引っ越したあともそのテレビ受像機を見続けて、また具合が悪くなった。日本ビクター(セブンイレブンよりも早く日本の子会社がアメリカの親会社を子会社化した事例だったが)はすでになく、ケンウッド・ビクターになってはいたが、修理窓口に連絡はついた。翌日派遣されてきたエンジニアは、前と違う人、僕より少し年下だろうか。でも彼も「長く使ってもらってありがとうございます」と言いながらテレビの状態を確認し、結果としてもう修理不能という結論になった。
彼は「何日か待ってもらえますか」と言った。僕は何日か待つことにした。すると1〜2日後に電話があった。「同じ機種ではないですが、同じ時期の後継機が会社に保管されてました。それでもいいですか」との連絡。僕はマニアではない。あの機種にこだわっているわけではない(あの時代の黒くてシンプルなデザインの、リモコンも至ってシンプルなブラウン管テレビがいいのだ)。「お願いします」と答えた。
そんなわけで、わが家では80年代製のビクターのブラウン管テレビが、今日も地上波デジタルチューナーから送られる信号を映像化している。

一方30年使い続けたわが家の冷蔵庫は2019年夏、猛暑のなか突然、中を冷やすのをやめた。「技術のシャープ」が特許を持つ、80年代にちょっと話題になった両開きドアの冷蔵庫だ。買い替えるしかない。そしてネットで探しまくってニ回りほど大きい「元シャープ」の両開き冷蔵庫を中古で見つけ、いま使っている。両開きのドアはつくづく便利だと感じながら。

古いものはさっさと捨てて新しいもに変えるという文化は好きになれない。その方が安上がりだと、多くの人は口を揃えて言ったりもする。社会も経済も、そういう循環こそが支えているという理屈も理解できる。だが好きになれない。

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