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続、野望のおはなし 往復書簡#46

画家・小河泰帆さんとの往復書簡46回目です。
前回はこちら、美術史と野望のおはなし。

小河さんがすごくいい文章を書いてくださったので、お応えすべく私も正直に、野望について書きます。野望という言葉のもつメラメラした感じに見合う感情は、持ってる時期とそうでない時期がありますよ。私は来年で作家活動10年なのですが、ムサビ卒業したての2014年頃の野望は、いつか品川の原美術館で展示したい、でした。

原美術館とても素敵な建物でしたよね。1996年の倉俣史朗展に友人と行ったのが最初なのですが、当時の私は現代美術に疎かったのですごく驚いたのです。白い空間にミス・ブランチが置いてあって、なにこのかっこよさ、わけわかんない、こんなすごい場所が世の中にあるのかって。憧れの美術館として深く脳みそに刻まれたので、その18年後に自分が作家活動を始めるにあたって割とすんなり野望としておさまりました。残念ながら、ご存じのように原美術館は2021年に閉館してしまったので、叶う奇跡はもうおきようがないのですよ。無念です。

他には、5年くらい前に直島の地中美術館に行ったのですが、その時も野望っぽい感情が芽生えました。安藤忠雄建築のヒリヒリするような力強さは圧倒的で、館内を歩いてるだけで消耗したのですが、モネの部屋に入ったときの驚きは忘れがたいです。自然光に照らされた《睡蓮》、この作品のためだけにもの凄く緻密な計算をして作られた空間で、本当に美しくて、これは作家冥利に尽きるなと思いました。

作家の手を離れた作品がどんな場所に飾られるか(もしくは飾られないか)はコントロール不能なので普段あまり考えないようにしていますが、美しく飾られていれば当たり前に嬉しいですよね。それは人の作品であっても同様なのでその空間に感動したし、自分の作品についても、作品と空間がお互いのためにだけに存在しているかのような完璧さでもって成立する最高の場をもし用意できるとしたら、どんな所なんだろうと思いました。答えは全く想像つかなくて、探せばどこかにあるのか、やっぱり作るしかないのか。もしかしたらそれは壁の材質とか照明の明るさとかの問題ではなくて、もっと精神的な問題として捉えたほうが正解に近づけるのかもしれない、などと最近は思ってますよ。

小河さんが書いていた「美術史に名を刻む」に関してなのですが、私も先人に学ぶのはリレーのバトンを受け取ってる感じで好きです。仲間意識が一方的に芽生えるというのか、芸術に身を捧げている者どうしの一体感みたいなものを、何世紀も前の歴史上の偉人に対して感じることができるのって楽しいですね。

その一方で、私の場合は「名を刻む」ことにはあまり関心がむいてないです。もちろん名を刻めるもんなら刻みたいし嬉しいし凄いけど、時と共に忘れられるとしてもそれはそれという感じで抵抗はなくて、死後の扱いに至っては心底どうでもいいと思っちゃってます。誰かの手元にある私の作品が持ち主を失って、誰からも必要とされなくなったのならば役目を終えたのかな、くらいの感じ。小河さんと全然ちがくて面白いなと思いました。

これは私が美術史に対して、必要以上の価値を見出さなくて良いやと思ってるせいだと思うのですが、私のこだわりポイントである言語化の取りこぼし問題・活字の限界にもつながっていて、どう考えても歴史書はその時代の表現を全部は網羅できないですよね。さらにいえば西洋美術史を学ぶとどうしても植民地主義やら男性優位主義がちらつくので、その不完全さや歪さを思うと、作り手側としては遠目に眺めているくらいの距離感が丁度いいやと感じてしまうのですよ。もちろん、経済的な成功を目指して西洋美術史の文脈にのりにいくというのは、戦略としてはよく分かるので否定するつもりは全くないですけど、それ以外の理由ではあまり意識しないですね。

今回の文章を書きながら、やっぱり小河さんて開かれてる方だなと思いました。社会に対してちゃんとアクションしたいと思っている感じで、かっこいいですね。私は自分の死後に、自分の作品がどう扱われるかを気にしたことは無かったです。私はもっと閉じていて、社会に対する期待値も低いな。作品をずっと大事に扱ってもらえたらば、もちろんとても嬉しいですけどね。


さて、今年もあと数日でおしまいです。来年はどんな年にしたいですか。描きたいサイズとか、やりたい事がありましたらぜひ聞かせてください。