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「災害」のシン・ゴジラ、「戦争」のゴジラ-1.0

  初めまして。花咲 超踊(@tascabile36)と申します。本日、映画館にてゴジラ新作映画『ゴジラ-1.0』を鑑賞してきました。

 想像以上に印象深い作品だったため、衝動的に感想文を書いて身内に公開していたのですが、せっかくなので多少の編集を加えてnote記事として投稿してみようと思い立ち、現在この文章を書いています。

 行き当たりばったりの乱文ですが、どうぞ最後までお付き合い下さい。



1.はじめに

 実写ゴジラ全30作品のうち、私が知っているのは『シン・ゴジラ』と『ゴジラ-1.0』の2作品のみである。

 そういうわけで、私はゴジラについて特に思い入れがあるわけでもないのだが、本日鑑賞したマイナスワンには大きく心を動かされ、帰路では友人の生返事をものともせず語り続け、ついには文章として書き起こすまでに至ってしまった。

 人に読ませることを意識していない書き散らしの備忘録ではあるが、良ければ最後まで追ってみて欲しい。

2.シン・ゴジラとゴジラ-1.0

 ここでは、シンとマイナスワンの比較を交えて語ろうと思う。

 先ほど述べた通り、私が知っているゴジラはシンとマイナスワンの2つである。この2作品はある意味対照的で、だからこそ2つで1セットのようにも感じられた。(片方しか観ていない人は、是非もう片方も観てみて欲しい)

 タイトルにある通り、シンとマイナスはどちらも“ゴジラ”というテーマを掲げつつ、その描き方は全く異なるものであった。

①シン・ゴジラ

 まずはシンの話をしよう。シンに登場したゴジラを一言で表すのであれば、「災害」である。

 ゴジラの生態、ゴジラに立ち向かう日本、作戦、そしてゴジラが世界に及ぼした影響が実にリアルに描かれており、非現実的な「怪獣」より我々の近くに存在する「災害」が相応しいと考えた。

 数年前に一度見たきりではあるものの、複数形態に進化するゴジラが恐ろしくも興味深かったこと、臨場感あふれる作戦会議シーン、そして何よりも日本という国の動きが詳細に描かれていたことを覚えている。

 ゴジラやそれに立ち向かう国家と比べて登場人物一人ひとりは深堀りされず、『シン・ゴジラ』は“日本VSゴジラ”の側面が強かったように思う。

②ゴジラ-1.0

 対して今作マイナスワンはどうだろう?

 思うにあれは人間ドラマであり、戦争ドラマである。

 マイナスワンにおいてゴジラは「怪獣」の域を出ず(もちろん、これが悪いと言いたいわけではない)、印象に残ったのは主人公である敷島の生き様であった。ちなみに、敷島と生き様で韻を踏める。

 シンにも主人公は存在したが、マイナスワンに比べれば心情描写は少なく、インパクトに欠けていた。

 シンで時間をかけて描かれていた作戦会議シーンはあっさり終わり、また、今作でのゴジラ撃破作戦は全て民間で行われたものであったから、日本という国の動きについては殆んど触れられなかった。

 加えて、マイナスワンは戦後すぐである1940年代後半を舞台としており、現代日本を描いたシンとは違って、「戦争」という大きなテーマなしには語れない物語となっている。

 少々強引な解釈にはなるが、主人公・敷島をはじめとした戦争帰りの人々が、ゴジラを通して、彼らのうちでまだなお燻る“戦争”を終わらせる物語が『ゴジラ-1.0』だったのではないだろうか?

 だから私は、マイナスワンを“人間VS戦争”と表したい。

3.さいごに

 シンとマイナスワン、どっちが好き?
 実にナンセンスな質問である。(自作自演)

 どちらも私にとっては最高の作品だが、好みに一致するのはシンだった。ただし、泣いたのはマイナスワン

 映画館で泣いたことなんて一度もない私が、ゴジラの撃破シーンで静かに涙を流した。ちなみに、隣の席の知らん女性がめちゃくちゃ泣いてたおかげで私が泣いてることは友人にバレずに済んだらしい。

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