“待つ楽しみがあること″いうこと

こんにちは。いかがお過ごしですか?
高畑です。

ヴィクトール・E・フランクの『夜と霧』は有名な書籍ですね。
この書籍は─、
ナチスのアウスヴィッツ収容所の極限状況の中で生き延びた人たちは、誰かが自分を待ち望んでいるという希望を持って生きた人たちであったと指摘されています。

これを基に、鈴木秀子先生は、書著の中で、NHKの「おしん」の最後の放映の話をされています。
「おしん」の少女時代を演じ切った小林綾子さんも、今や30歳台の後半ですので、随分昔の話になります。

ちなみに「おしん」は海外でも80カ国に放映されました。

その「おしん」が最後の放映になることが決まっときのある病院でのお話です。患者は「おしん」の放映をいつも楽しみに“待っていた”そうです。
きっと患者さん達は、自分たちが生き抜いた苦しかった時代を、その番組に投影していたのでしょうね。

楽しみにしていたその番組が最終日を迎えた後、その病院ではその日の夜に4名が亡くなり、その日から一週間経たないうちに、10人の人が亡くなったそうです。
鈴木秀子先生の友人の医師の話では
「病人には心を深く満たす希望が何より大切なことではないでしょうか」
と述べていらっしゃいます。

このお話に接し、私は、楽しかった都内の新宿の事務所時代のことをついつい考えてしまいました。

5.6年間は続いたでしょうか?
その間は、事務所に行くのがイヤな時は、まったくありませんでした。
事務サポートをして頂いた、早坂友加里さん(仮名)がとても人柄がよく、いつも、笑顔で私を迎えてくれて、すべてにおいて安心出来たからです。

私の家族にも彼女のことはよく話していました。昼食で接待がある時は、財布ごと彼女に丸預けてもいました。
ホスピタリティにあふれた人柄の持ち主だったのです。

私は、いつしか教え子でもある、彼女に会えるのを“待っていた”のかもしれません。

しかし、それは永遠には続きませんでした。

彼女の家庭が、夫の浮気、家庭内の騒動が延々と続き、そのため彼女は事務所を辞め去らなければならなくなりました。

そして、いよいよ彼女の最後の勤務の日を迎えました。
淡々と最終日の勤務を終え、私は、表面上は淡々とはしていましたが、どこかに寂寥感もありました。
彼女も、いつものように淡々と仕事をしておりました。
いよいよ、彼女からオフィスの鍵を受け取り、フロアーのエレベーターのドアまで見送りました。

これで最後の最後です。

その瞬間、彼女は、私に倒れかかってきました。時間にすれば、およそ4~5分間でしょうか。

彼女は私の胸に抱きしめられ、せきを切ったように泣き続けました。
私も、涙ぽくなりましたが、エレベーターの前ゆえに、客観的には自制心を保っていました。

その後、彼女は夫と離婚し、2人の子どもを実家で育っていたようですが、
心身は癒されたとは側聞していません。

話は個人体験に及びましたが、私たちには、またきっと会いたいと希望を持って会える人が必要だと感じ入った次第です。
どこかにあなたを待っている人が居ると思えるとき、きっと私たちは、生きがいや生きる希望が湧くのですネ。
それは、あなたの心に寄り添える人とも言えると思うのです。

最後までお読みいただきありがとうございました。


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