自分を見つけることのむずかしさ

自分を見つけることのむずかし

みなさん。こんにちは。
いかがお過ごしですか?
高畑です。

私の学窓の先輩にJR四ツ谷駅近くで開業しているカウンセラーの人がいました。
内気なお人柄で、『内気な人の話し方』といったようなタイトルの書籍も幾冊、出版されていました。
ご縁があって2,3回訪れたことがありました。
彼は大手電機メーカーに勤務していましたが、パーティ等があると、不思議にその人も悩みが見えているのだといいました。
別に霊的能力があるわけではありません。

そこで彼は、思い切って超安定企業を辞めて、カウンセラーになることを決意しました。
それによって
彼は、自分のアイデンティティを確立したのでした。
カウンセリング料金は覚えていませんが、廉価だったのは間違いありません。
私との会話の中でクライアントの中に新興宗教の開祖がいるとのことでしたが、守秘義務があるので、それ以上は踏み込めませんでしたが、大体の見当は付きました。
彼を経済的に支えたのは奥様です。奥様はピアノの教師でした。

人生100年時代のエクスプローラー(自分探し)にとって大切なことの1つは、異文化との接触だと思います。
残念ながら、フルブライト留学制度の日本人の希望者は少なくなってきているようです。

私自身は、海外からの技術研修者と同じ、宿舎に寝泊まりしていたので、その2年間は、英語、スペイン語、韓国語、タイ語、スワヒリ語、中国等が飛び交う世界におりました。
たとえば、料理スタッフは、エジプト人一行の研修技術者が、滞在する場合、エジプト料理を提供します。

その2年間の間は貴重な異文化との出会いでもありました。
その結果と言えば、日本がますます好きになりました。

京都で海外技術者の研修旅行を引率している際、不思議なことに、中野渡信行先生ゼミ旅行のバスと出会い、恩師でもある中野渡先生に名刺を渡し、ごあいさつをしました。

この一件が、私の人生を大きく変えることになりました。

さて
別の事例を取り上げます。
私がサラリーマン時代に私とは年齢の離れた若い女性の事務職のⅮさんがいました。
どこにもいるような普通な女性でした。
その彼女が大枚をはたいて自己投資し、鍼灸の夜間の専門学校に通っていることは知りませんでした。
その結果、「鍼灸・マッサージ」の国家資格に合格し、今では埼玉県某市において現役で活躍中です。
彼女にとって、事務職の仕事は自分探しの準備期間でもあったのです。

人生100年時代とは、ロンドン・ビジネス・スクール教授のリンダ・グラットンとアンドリュー・スコット)が『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)―100年時代の人生戦略―』で提唱した言葉でしたね。

その中に幾つかのキーワードがあります。
その1つが、エクスプローラー (Explorer) という言葉です。
本来は英語で「探検家、探究者」の意味です。

では、教育期―就業期―引退期と区切られていた従来の人生パターンからエクスプローラーは、人生100年時代においてどのような意味をもっているのでしょうか?

一言で言えば、“自分発見の旅”とも言えるでしょう。
具体例をあげてみたいと思います。

私自身も、自己発見の旅は随分時間を要しました。苦悩の日々もありました。
地方育ちだったので、高校生になっても、自己の特性を活かした職業指導の指導は全くなく、典型的に偏差値で大学を選ぶ時代でした。

憧れの大学を第1志望として、その大学しか受けませんでした。落ちたら浪人の覚悟でしたが、幸いのことに合格しました。
憧れの大学でしたので、満足感はありましたが、専攻した「法律学」に興味がわかず、苦労して大学院では別の分野(産業心理学)を専攻しました。

ここで話を変えます。
当時、同じアパートに私と同年齢の神戸出身の浪人生がいました。
彼は早稲田大学を希望し、浪人しておりました。
私は彼に聞きました。
「何を学びたいの?」
「早稲田大学に入りたい」と彼。
「早稲田のどこの学部なの?」
「早稲田ならどこでもいい」と彼。
親しく付き合っていた彼の言葉は私には理解不能でした。
結局、彼は唯一受かった早稲田大学教育学部に入学しました。

人生100年時代のエクスプローラーは、
自己発見の旅といいました。
これは、さまざまな体験を積み、セルフアイデンティティの確立をしていくことにほかならないと言えるでしょう。

親が医者で親の期待感に応えるため、医学部に進んだものの、医学が自分に合わないことに悩む学生もいます。たとえ就職に有利な、法律学、商業学、経営学を選んでも、大学を終えた後で、就職する場合、どの業界がいいのか悩みます。
たとえ、憧れの会社に採用されたとしても、どの部署に配属されるのかは会社都合です。
多くの勤めビトは、家族、夫婦、子どもを守るため、本来、立ち向かっていかなければならない、自分に求められるキャリア形成、自己開発の自己省察を行わず、あるいは振り向くことができないまま、忙しい日々に明け暮れます。
転職しようにも、転職適齢期を過ぎていたりもします。

転職が「天職」にならず、転々とする「転職」になってしまう場合
もあります。

かくしていつか、かえって、安易な自分に気づく場合もあり得ます。

さて、話を私の大学時代に戻します。
同じクラスにY君がいました。Y君は高校時代に病気にかかり、歳は1年上でした。Y君はあまり学校に出ず、全国を野宿していました。
文筆家を目指していた様子でした。

父上は外国船の船乗りで、帰国した際には息子のY青年にひたすら夢を語りつづけたようです。
これが彼の心象風景として形成去れたのでしょうか。
彼は、苦心惨憺を重ね、卒業の頃には、作家としてデビューしました。
やがて彼の名前は、電車の吊り革の広告でも一番大きく表記されていました。
押しも押されない大作家となったのです。

Y君のように、アイデンティティを天職にし得た人は、若き頃から自分探しに成功している例ではないでしょうか。

クリエーターとアーティストを区分けする場合がありますが、彼は歴史に残るアーティストなのです。

私のような凡人は、自分探しの旅は、ずぅーと続いたのであります。
自分探し(セルフアイデンティティ)は、とかく難儀ですが、真正面から取り組む課題と言えるでしょう。

最後までお読みいただき、ありがとうございました


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