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仲間について⑩

僕は高校のサッカー部に一般入部だったので特待生のみんなよりも遅れた時期に練習に参加でした。僕はキーパーの中で一人だけの一般生でした。

4月に新入生全体で練習開始になりました。

そこで初めて彼と一緒になりました。

初めて一緒に練習したときを凄く覚えています。
さっそくゲームだったのですが
「俺が出るからおまえ試合出なくていいよ。」
と言われました。

とんでもない衝撃を受けました。
そしていざ彼が試合に出ると怒鳴るような声で指示を出す。
さらには爆発的かつ高精度のキックで味方の胸元や足元、ときにはスペースに何本も何本も蹴り込む。。
存在感の塊でした。

これが同年代…。

僕は唖然としてしまいました。

最初出会ったときはこんな感じでした。

青森山田高校で出会い、現在いっしょの名古屋産業大学のサッカー部に所属しています。

将来は指導者を目指しています。

山田翔之介くんと言います。

今回は彼について紹介させてください。

まず僕はこんな人間に出会ったことがありませんでした。
とんでもなく強烈な性格でした。
サッカーでは先輩を怒鳴り散らして、周りをとにかく圧倒する自我の塊のような人でした。

新入生でもとにかく1番。もう手の届かない存在であることがわかりました。

おそらくこのまま翔之介が1番で試合に出るのだろう。。そう思っていました。

しかしそんな翔之介に災難が訪れます。

1年生の9月に強いシュートを防いで手首を骨折してしまいました。
さらにこれだけでは終わりません。
長いリハビリを終えてもうすぐ2年生になるころ、なんと復帰してすぐに再び手首の骨折。。。

それを見て僕は、自分だったら絶対立ち直れない…と思いました。

でも僕はそこから本当の翔之介の姿を見ることになります。

彼は毎日毎日、直向きにリハビリに汗を流していました。
痛みを堪えながらもリハビリに取り組み、夜はグランドに出てボールを蹴る。そんな日々でした。
汗でシャツがびしょ濡れになりながらリハビリ施設でトレーニングをしている姿を見たことがある人がいると思います。
翔之介がこんなにひたむきに頑張っている。。最初のイメージとまるで違いました。

これが本当の翔之介かと。そう思いました。


まる1年ほどリハビリに時間を費やし、3年生になり彼に与えられたのはAチームの第3キーパーという役割でした。
あの1番だった翔之介が第3キーパー。。。

(翔之介はそれを受け入れられるのか!?)

そんなことを思っていました。

しかし彼は大人でした。

もちろん自分のプレーは一切の手を抜かず、雰囲気を作る声をかけ続けて、練習がうまく回るようにボール拾いまで。

こんなに自己犠牲ができる人間だったのか…

彼は誰よりも大人でした。
自分が1番である環境から、人を支える立場に変わる。これは簡単なことではないです。
自分が自分が、という性格から人に何かを与えることのできる人間に変わりました。

ぬるさには厳しさを
落ち込みには自信を
苛つきには冷静を
勝負には熱さをもたらす彼は、もう既に立派な指導者の面影があります。


そんな翔之介と一緒の名古屋産業大学に進みました。

進路を名古屋産業大学に決めた背景に、指導者になるという将来の目標を軸にしっかりと考える彼らしさが見えます。

僕も将来指導者になるという目標があります。
もし別々のチームで闘うことができたら。。と想像するだけでワクワクします。

将来指導者同士で闘い翔之介に勝つことが大きな夢です!

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