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『環境』

小学3年か4年の頃、一緒のサッカーチームの子達が強いクラブチームへと行ってしまいました。チームメイトがごっそりと抜けてしまい、心にぽっかりと穴が空いてしまいました。残った僕達で戦うものの試合に勝つことはほぼほぼ無く、負けることが当たり前になりました。そこから僕には「負けて悔しい」という感情は無くなりました。試合に負けて泣くことはありましたが、ぼろぼろに負ける自分の無様に泣いていました。試合前も「勝ちたい」という感情よりも「また自分が無様にやられませんように」と思うようになりました。

点を取られても何も感じなくなるほど目の前が真っ白になることが多々ありました。中学三年生の最期の夏の大会も、地区大会で負けました。
「勝ちたい」と思っていたけど、「勝てない」こともなんとなく大会前から感じてました。最初から諦めていた訳ではありませんでしたが、もう僕は勝つことを忘れてしまっていました。そして、終わりの笛が鳴った瞬間、「またこれか…」と思いました。「悔しい」という感情を抱くことさえも出来なくなってしまいました。ただただ周りへの申し訳無さと自分の不甲斐無さに包まれるのみでした。


勝ちたい…。もっとサッカーがやりたい。その一心で、高校に進学。
待ち侘びたサッカー漬けの日々がやってくる…!
しかし入寮初日、朝起きるともう家ではない。逃げれない。朝起きた瞬間にゾワッとした感覚になったことを凄く覚えています。自分で望んで来た環境なのにとても怖くて仕方なくなりました。部屋は床に人が2人くらい座れるくらいのスペースだけ。寮は急な坂の上にあり、自転車で往復40分くらい。練習は学校の芝のグランドではなく、遠く離れた土のグランド。そこから自主練をしに学校の芝のグランドに行っても時間が無くて少ししかボールを触れず、また急いで自転車を漕いで寮に戻ります。同じポジションの選手には勝てず、親にまた下のカテゴリーだったと報告するのがとても辛かったです。それでも耐え抜いてたどり着いた高校3年目は膝の手術により終わってしまいました。

ですが、僕はここまでの生活で本当に正しい道を歩んできたと感じています。
自分が成長できる要因に環境は含まれますが、自分が成長できない要因に環境は含まれ無いと感じています。一見ネガティブに感じる局面も捉え方によっては、ひとつ山を乗り越えるための試練です。



自分が上手くいかないことを環境のせいにはしたくないし、してはならないです。この環境を選んだのは紛れもなく自分です。そして与えられた環境でどう泳ぐかも自分の意思次第です。
環境のせいにする人はきっと「進路選びを失敗した」「ここに来るんじゃなかった」と言います。


自分の選んだ環境を正解にするか不正解にするかは自分次第だと思っています。

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