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仲間について

2020年が終わり、ここまでを振り返ります。
まだまだこれからの方が沢山の出会いがあると思いますが、ここまでも沢山の素敵な人達と出会いました。

2017年
田舎の弘前市の中学の部活でサッカーをやってました。
中学3年のときに、夏の最後の中体連にあっけなく地区大会で負けました。
完全なる不完全燃焼でした。
中学最後の大会を3年生全員で勝ちたかったけど地区大会の決勝すら進むことができずやり切れない思いでいっぱいでした。
当然ながら自分はとても下手くそでしたが、大好きなサッカーを中途半端にやりたくなかったので親に無理を言って青森山田に進路を決めました。
2017〜18年
高校に入学しましたが、周りの選手は異次元の人ばかりでした。
覚悟はしていたものの、あまりの実力差にもはや絶望するしかありませんでした。
住んでる世界が違うのだと思いました。
練習に行くのが怖くてたまらなかったです。授業は午前だけで、昼食をとったらすぐに練習が始まります。
もう昼食が喉を通らなかったです。
だけどそんな気持ちだけだったら高いお金を払って貰ってまで来た意味がないと思い、夜の門限ギリギリまで練習しました。
結局実力世界なのでカテゴリーを上がることなく1年を終えました。
2018〜19年
あまりの下手さに先輩から怒られる日々でした。
カテゴリー分けのたびに親に「また下のカテゴリーだった」と伝えるのが辛かったです。
でも周りの努力している同期達はみんな上のカテゴリーに上がっていきました。
箱崎や得能、凛や同期のキーパー達も公式戦にでるようになってました。
同じ一番下のカテゴリーにいて、「一緒に頑張ろう!」と毎晩ボールを蹴っていた仲間も気付けば上のカテゴリーにいました。 自分だけ取り残された感じがしました。
でもいずれチャンスは来るでしょ思ってました。たぶん報われるだろうと思ってました。
2019〜20年
膝の大怪我が待っていました。結局この怪我は高校の終わりくらいまで続きました。
結局高校サッカーの最後の年で行き着いた先がこれか…と思いました。
他の人が怪我すればよかったのに何でわざわざ自分なんだと思いました。
もうサッカーに熱が無い人だっていました。そいつがぬくぬくとサッカーやっててなんで自分なんだと思いました。リハビリからかえってきてグランドを見るのが嫌でした。

しかし、この中学から高校生活にかけて凄く色々な人に支えて貰いました。

馬鹿にされながらも、一緒にボールを蹴って自主練してくれる人達がいました。


同じ寮のひかるとかとは朝4時の真っ暗な中自転車漕いでグランド行ったりしました。
ひらくやそうきとは寮の夜ご飯間の時間間に合わないくらいギリギリまでグランドにいて激チャして帰ったりしました。
凛とはキックミスで喧嘩しながらも仲直りして次の日には一緒にボール蹴ってました。
いっせいとは大事な紅白戦のあと、悔しくて泣きながら一緒にグランド走ったりもしました。
門限のばして将勢と延々とボール蹴ってたときもありました。
ふうととどうすれば上がれるか帰り道ずっと話し合いながら帰ったりもしました。
怪我をしてからはしょうのすけ達と夕方まで残ってリハビリしました。
たくま達後輩たちとも励まし合いながら乗り越えました。
他の部活の高橋なんかも何一つ文句言わずリハビリやってるのを見て「自分もやろう!」と思いました。
y'sパークの若松さんやスタッフさんにも毎度毎度手伝って貰いました。

ここに書ききれませんが色んな人たちに支えられました。

新しい指導者になるという目標をもったこれからも色々な人と出会うし助けられると思います。

今年一年も仲間を大切にしたいです。


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