見出し画像

学部生と大学院生の違い

こんにちは。たすくです。

ブログを始めてから1週間。

とりあえず、ここまでは三日坊主にならず投稿できてます。

継続して投稿するのはなかなか大変ですね(;^ω^)

さて、今回は学部生と大学院生の違いについて書いていこうと思います。

”学部生”と”大学院生”。両者の違いは何か?

細かい違いはたくさんありますが、僕が思うに、両者で一番違うなと思ったのは、勉強する”姿勢”ですかね。

勉強する姿勢の違いとは何かというと、学部生は”受身”な学びが多い反面、大学院生は”主体的”な学びが多いことですね。

学部生は授業やゼミとかで”与えられる”知識が多いのですが、大学院生は自ら動いて知識を”獲得していく”ことが求められます。

なので講義も学部と大学院では全く違います。

学部の講義では、大きな講義室で多数の学生が一人の教員の講義を”一方的に”聴く(教員→学生)の一方的なコミュニケーションが基本です。(教員が一方的に話、学生はそれを聴くだけ)

対照的に、大学院では少数(2~3人、多くても10人弱)の学生が事前に示されたテーマについて、自分が調べてきたことを教員に対して報告し、教員がそれに対してコメントし、学生と教員で”議論する”(学生⇔教員)の双方向のコミュニケーションが基本です。

だから大学院の場合、講義を受けるのに対しても、テーマについて自分から主体的に調べておくことが必須になるのです。(事前にしっかり調べてないと教員から容赦ないツッコミがきます)

あと、これは自分だけかもしれませんが、指導教員は基本的に放置主義です。もちろん研究に関する相談は親身に受けてもらえますが、自分からお願いしない限りは基本、放置です(笑)

修士2年の夏にさしかかろうという時期ですが、これまで指導教員から、あれやれ、これやれとか指示を受けたことは一度もないです。

自分から主体的に動いて文献を読んだり、学会に行ったりしない限りは誰も助けてくれない。。。とにかく自分で考えて行動する力が必須になるのが大学院生なのです。

なので、自分から主体的に勉強できない、教員から勉強しなさいと言われないと勉強しないという方は、絶っっっ対に大学院に来てはダメです!!!

これはハッキリ断言します!!

そんな人が大学院に来ても、お金の無駄遣いです。

もう少し学生したいとか、そういう甘い考えで大学院に行くべきではないのです。

誰にも言われずとも、自分の頭で考えて勉強できる人、そして何としてもこれを追求したいという熱い熱い志を持つ人でない限り、大学院に進む資格はないです。

ですから、僕は修士号を持つ人はそれなりにリスペクトされるべき人だと思いますし、そういう人に対して企業もそれなりの待遇を与えるべきだと思ってます。

学部卒は「学士号」、修士卒は「修士号」という学位を得るのですが、学士号は、”ざっくりとこの分野の上辺を学びました”というもので、修士号は”この分野を熱心に、深く追求しました”専門家の端くれですよという証明になるわけです。

ですから、大学全入時代の現代において、学士号は大きな価値を持ちません。(大学は遊んでても卒業できますからね)

けれども、修士号は学士号よりは貴重ということで(人文社会系なら相当希少)大きな価値を持ちます。

特に今では”教養”がビジネスにおいて大事といわれているように、教養社会が進む現代社会において、その価値もさらに上がっていくと個人的に思ってます。

教養の重要性について興味がある方は、ライフネット生命の創業者で、現在立命館アジア太平洋大学の学長を務めておられる、出口治明さんの『人生を面白くする本物の教養』という本がおススメです。

個人的に大好きな本の一つですね。是非教養に興味がある方は読んでみてください。

大学院生も2年目、いつもいつも本当に大変な世界に来たなと思う日々ですが、大学院で学問に打ち込んだ時間というのは、今後の人生において大きな価値をもたらすと信じてますので、修士論文は”相っっっ当”大変ですが、ひたむきに、真摯に取り組んでいきます。


―追記―

今日ようやく、前から気になってるカフェに行けました。雰囲気もよくオシャレで素敵なカフェでした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?