瀧本哲史『僕は君たちに武器を配りたい』part1(第1章~第3章)

こんにちは。

2月に入ってから寒い日が続いていますね。(;^ω^)

先日は大阪で雪が舞ってました。

実は大学時代を南国宮崎で過ごしていたこともあり、ここ数年間は雪に親しみがなかったものですから、久しぶりに雪を見て内心はしゃいでいました(笑)

雪が積もったら、童心に帰って雪合戦やら雪だるまとかで遊んでみたいなと考えることも度々あります。


さて、今回は予告していた通り、僕にとって人生の一冊である、瀧本哲史『僕は君たちに武器を配りたい』の内容について書いていきますね。

今回は第1章から第3章まで進めていきます。

本当に濃厚な内容なので、やや長くなってしまうかと思いますが、最後までお付き合いのほどよろしくお願いいたします。m(__)m


第1章 勉強ができてもコモディティ

著者の瀧本哲史氏は、エンジェル投資家の傍ら、京都大学客員准教授として「起業論」の教鞭を取っておられました。氏の講義は京都大学の大講義室が満員になるほどの人気を博し、名実ともに京都大学の一番人気の教員だったようです。

「起業論」と聞くと、だいたいが経営学部や経済学部の学生がよく受講する科目というイメージがありますが、驚くことに、受講生で一番多かったのは医学部だったのです!

しかもその割合は40%と極めて高いのが、また驚かされるところですね。

当然、氏もなぜこれほど多くの医学部生が私の講義を受講するのか気になったので彼らに受講した理由をヒアリングしたところ、

「これからは医者になっても安泰ではない」

と、世間一般的には安泰と言われる医者の将来に対して明確な不安を抱いていたのです。

「これからはただの医者ではダメだ。何かで他の医者と差別化していかなければ買い叩かれる存在になる」

と、当時の京都大学医学部の学生は感じていたのですね。

こうした現実から、大学が、そして世間がこれまで提供してきた「知識をたくさん得て専門家になれば、良い会社に入れて良い生活を送ることができ、生涯は安泰だと」いうロールモデルは完全に崩壊したと氏は指摘します。

僕もこうしたロールモデルは現代では完全に崩壊したと肌で実感していましたが、医者の世界でも変わらないというのは素直に驚きました。

また、氏はこれは決して医者だけでなく、ITスキルも、簿記も会計もこれからは「人余り」の状況になり、買い叩かれる存在になると指摘します。

バブル崩壊後、学歴による格差は崩壊したことを受け、英語やITスキル、会計などの実践的な資格がクローズアップされました。

だが、現代の高度に発達した資本主義社会の下では、医者や弁護士、会計士のような、かつて希少性が高かった職業がその希少性を失い、付加価値のない陳腐な職業になりつつあるそうです。

このように、人やモノがその希少性及び付加価値を失い、陳腐化することを本書では「コモディティ化」と定義しています。

 医者、弁護士、会計士、そして英語力やITスキルも、コモディティ化したものは全て徹底的に買い叩かれ、これからの時代では豊かな生活を送るのは困難である。
 逆に、これからの時代に企業及び個人に必要なのは「コモディティ化しないこと」、つまり代わりが効かない存在、スペシャリティになることである。
 そしてスペシャリティになるためには、資本主義の本質を熟知して、何がコモディティとスペシャリティを分断するのかを知ることである。

これが第1章の本旨です。


第2章 本物の資本主義の到来

リーマンショック以降、世間では資本主義は終焉に向かいつつあるとの意見が目立ってましたが、実のところ、世界では現在でも資本主義は進行している状況にあります。

氏によると、日本経済停滞の背景には、かつて「護送船団方式」で国から保護されていた産業が、経済のグローバル化の進展に伴い国からの保護が打ち切られ、世界との競争の荒波にを放り出されることになりました。

その後こうした温室育ちの日本企業は徐々に競争力を失い、また中国など新興国の産業化が進んだことにより、日本経済は停滞していったとのことです。

つまり、日本経済停滞の背景には、戦後の国に守られた「社会主義的な資本主義」からグローバルな市場で競争を強いられる「本物の資本主義」の社会へと転換を迫られたことにあると言えるでしょう。

「本物の資本主義」社会の下では、日本から海外への進出に対応できた企業だけが生き残っていく、そういう時代だと指摘されてます。

ちなみに、氏は資本主義について「正しい人が勝つ」社会であると述べてます。

市場に集まった人が自由にお金とモノをやりとりする、所謂「神の見えざる手」によって、自然と社会は上手くいくというのがアダム・スミスの思想です。

では、どういう人が、この資本主義社会でお金を増やしていけるかというと、

「より少ないコストで、みんなが欲しがるものを作った人」

であり、逆に、

みんなが欲しがらないものを作ったり、必要以上のコストをかけて作る行為は社会的に無駄な行為となり、自然と淘汰されていく。。。

これが資本主義の基本的な構造であると言います。

つまり、顧客に売れる商品を提供し続ける人はたくさんのお金を得ることができ、また、その得たお金を使ってさらに人々が欲しがる商品を開発し、生産力を高めることができるので、またさらにお金を得ることができる。

逆に、みなが欲しがらない商品を作っている人のところには、お金が入ってこないのでどんどん貧しくなっていく。コストを削減して作った商品はさらに魅力がなくなり、ますます売れなくなっていく。

ということですね。

また、氏は資本主義社会が優れている仕組みは、基本的にモノの値段が公開されていることであると指摘します。

資本主義社会では、市場で500円で売られているものを400円で作って売る自由があり、これにより値段や質の競争が始まります。

その結果、価格はどんどん下がり、質もどんどん向上していく。。。

こうしたスパイラルが繰り返されることで世の中は進歩していくというのが資本主義の世界であると氏は指摘します。

もちろん貧富の格差の拡大などデメリットはあるものの、人間のいい意味での欲望に合致した、社会を前進させる動力を内包したシステムであることには間違いありません。

実際にほとんどの国が資本主義を導入しており、それが今後とも進展し、競走が激化していくなかで生き残っていくためには、氏の主張する通りその本質を熟知していく必要があるのでしょう。

資本主義の本質を知り、その原理に従って行動することが氏が読者に提供したい武器なのだと僕はそう感じました。


第3章 学校では教えてくれない資本主義の現在

本章では主に大学生及び入社数年目の若い社会人を対象に、現在の日本で起こっている“むきだしの資本主義”の潮流について具体的事例を述べていく章になっています。

氏は京都大学で超実践的な「起業論」を教えており、受講生も卒業後起業を考えている人が少なくなかったそうです。

そこで、よく学生から「卒業してすぐ起業するか、いったん就職してから起業するか」の相談を受けていたそうですが、氏はいつも「自分が起業したい分野の会社にまずは入ってみた方がいい」とアドバイスしていたそうです。

理由は、ごく稀にいきなり起業して成功を収める人もいるものの、ほとんどは失敗するからだそうです。

氏によると、学生ベンチャーが失敗するのに一番よくある失敗が「コモディティ会社」を作ってしまうことだそうです。

現在はあらゆる分野で過当競争が起きており、そこに学生ベンチャーが新規参入し、仮に成功したとしても、それは学生の労働単価が圧倒的に安く、時間があるが故に仕事が早いという特性が学生の時間のみの一時的にあったからである。
そうした会社が数年経って、学生から社会人になってしまった場合、その特性は失われ、結局は会社自体がコモディティ化する。。。

これが氏の指摘するポイントです。

だから、安易に学生起業するのではなく、一度就職してから社会の仕組みを理解した上で、どうすればコモディティ化しないのかアイデアを温め、そして満を持してそれ活かしたことで成功するパターンが多いと言います。

要はいきなり起業するのではなく、しっかりと準備期間を設けることが起業においても必要だということですね。

今度は起業から就職の方に話が移りますが、就職に関して氏は、現在の日本で安定している会社など存在しないと断言しています。

本書のなかで1971年の就職人気企業ランキングにて上位10社を取り上げていますが、驚くことに、JALを筆頭にこのなかの多くが一度は破産しているのです。

破産を免れた企業も、現在では青息吐息の状況であるように、今後においても安定した経営を続けられる企業は存在しないと言います。

近年では、学生の大手志向が強い状況が続いてますが、安定を求めて大手企業に入ったとしても、残念ながらそれは叶わない夢なのでしょうね。

また、これから就職活動をする学生には有難い話で、本章ではブラック企業の見分け方も伝授されてます。

氏によると、ブラック企業の見分け方としては、新しいサービスや市場で非常に業績を伸ばしているように見える会社、そしてやたらとテレビコマーシャルを打っている会社はブラック企業になりやすいそうです。

その例として、英会話スクールを運営するNOVAを挙げています。
(社名は伏せてましたが)

当社では、当時大量のテレビコマーシャルを打っていたため認知度が高いこともあり、女子学生からの人気は相当なものであったが、入社した営業職の社員に対し、膨大な会員獲得ノルマが課されており、典型的なブラック企業だったと指摘します。

その後、行政指導によりあっけなく倒産しましたから、大量のテレビコマーシャルを打っている会社に対してはブラック企業の可能性があると注意する必要がありそうですね。

あと、ブラック企業とは別ですが、現在業績が絶好調の会社に就職することに対しても、注意する必要があると指摘しています。

その理由は、このような業績が絶好調な会社に就職することは、数年後には必ずと言ってよいほど輝きを失い、業績を落とすからだそうです。

そう思うと、盛者必衰という言葉がある通り、企業も人も栄光は長くは続かないものだと改めて感じますね。

実際に投資家の世界では、高すぎる株は買ってはならないという鉄則があると言いますが、それは会社選びも同じだそうです。

逆に氏によると、就職先を考えるうえでは「これから成長していき」「多くの人が気づいていない」ニッチな市場に身を投じることが必要だとのことです。

結局は就職活動においても、こうした「投資家的視点」を持つことが将来の成否を分けるというのが、氏が近い将来就職する若者たちに与えたい”武器”なんです。


まとめ

さて、第3章まで見ていきましたが、いかがだったでしょうか?

個人的に強く印象に残っているのは、第1章の勉強ができてもコモディティという部分ですかね。

いくら努力を重ねて弁護士や会計士、医師になったとしても、ただこうした資格を持っているだけではコモディティ化、いわゆる陳腐な存在となり、社会から買いだたかれるというのは、改めて今後はただ一つの資格を持っているだけでは通用しないと感じましたね。

ただ、逆に、例えば医師と弁護士両方の資格を持つなど、異なる資格同士の組み合わせができればコモディティ化せず、スペシャリティになれるのではないかなと感じています。

上述した医師と弁護士のダブルライセンスは近年徐々に増えてきているみたいですが、まだ世間的には希少価値は高いでしょう。

このように、コモディティ化せずスペシャリティな存在になるためには、ただ一つの資格を取ったからといって決して満足せず、次はどんな専門性を修得しようか考え、そして実際に行動する飽くなき向上心が必要ではないかと僕は思います。

以前このブログでも書いたように、これからは幅広い教養と一つの深い専門を有した”T字型”人材ではなく、深い専門を複数有した”H字型”人材になることが、これからの社会を生き抜くうえで必要だと思います。

僕自身も、このまま修士号を取れば一つの深い専門を有していると社会から認められることになりますが、これに満足することなく、また新たな専門の修得に励んでいきます。

第1章から第3章まで本当に濃い、学びのある内容でした!

次回は第4章から第7章あたりまで書きたいと思いますので、また次回も是非読んでください!

5,000字を超える長文となり、執筆にだいぶ時間を有しましたが、また次回も全力で書きますのでよろしくお願いいたします!









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