「さかなのこ」と「一魚一会」

 ネットフリックスで『さかなのこ』を見てから、この原作となったさかなクンの自叙伝が読みたくてたまらず、図書館で早速借りて読んでみた。

 映画でさかなクン(映画の中では一貫してさかなクンの幼いころのあだ名の「ミー坊」)を演じたのんが可愛くて、のんが海辺ではしゃぐたびにうっかりあまちゃんのテーマソングが頭の中を駆け巡り、当分頭から離れなかった。魚を一心不乱に愛するミー坊が台風の目となって、周りの人たちが吸い寄せられて変化していく姿に、何かに没入することの素晴らしさを教えてもらった気がする。

 映画の中では、「え?これほんと?」と思うような出来事もたくさんあり、柳楽優弥演じるヤンキーの幼馴染「ヒヨ」(このヒヨが柳楽優弥だったからこの映画を見たまである)が本当に存在したら良いなあ、とかヤンキーの「総長」とさかなクンってほんとに仲が良かったのかなあとか、フィクションの映画には無い視点で映画を楽しむことができたのも良かった。
 
 そして、この映画は「さかなクンの一魚一会~まいにち夢中な人生~」も併せて読まないともったいない!と本も読んでみて思った。
 映画は主人公のミー坊が中心にはいるものの、ミー坊の心理描写は少なく、俯瞰的に描かれているように思う。(ちょっとレトロな映像が、夢の中というか、少年時代の思い出っぽくてまた良い。)
 映画ではどちらかというと周りの登場人物(本物のさかなクンもなぜか出てくる笑)がかなり魅力的に描かれているが、『一魚一会』はもちろんさかなクンが書いているのでさかなクンの視点でお魚に対する愛とか、周囲の人物が描写されている。

 さかなクンに「悪意」や「揶揄」などの醜い感情は似合わないと昔から勝手に感じていたのだが、この映画と本にも所謂「悪いやつ」は出てこない。出る杭は叩かれることが多い世の中のはずなのに、さかなクン、ミー坊の周りには「悪意」が寄ってこない。もちろん、悪意を向けられることだってあったと思う。それはきっと、本にも「気がつかなかっただけかもしれない」と書いてあったように、さかなクンの目には入らなかったんだろう。異常に人の目を気にして生きてしまう自分には、『一魚一会』のさかなクンの世界がとてもまぶしく見えた。幼いころ見えていた、楽しいことがいっぱいのキラキラした世界がずっと続いているような感覚を思い出して、なんだか泣けてしまう不思議な自叙伝だった。

 子を育てる母としても、得るものがたくさんあった。さかなクンがどんなに授業を聞いていなくても、毎週水族館に連れていかれても文句一つ付き合ってくれたお母さんの存在が、さかなクンを大成させたのだと思う。毎日踏切の本やら動画やらを飽きずに見ている息子を持つ私は、興味のないものに毎日付き合わされる苦痛が良く分かるため、なおさらお母さんの懐の広さと愛情の深さを感じた。同じ風に子どもを見守っていきたい!と思わされたが、ハマるものがゲームや漫画・アニメだったら同じように応援できる気がしない。何だったら応援できるかな…。塩梅を見極めるのも親の役目というところだろう。

 あと、何気にミー坊が男か女かなんて気にさせないのんの演技力とさかなクンの人生がこの映画の面白いところ。子どもにも見せてあげたいけど、これは大人に観てもらいたい映画だなあ。

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