#28 記憶のアウトソーシング

私の同居人はあまり料理が得意ではない。包丁の扱いが下手とか、火加減や調味が下手というわけではないが、レシピが無いと料理を作ることができないといった感じだ。
同居人が料理をしてくれる時に決まって作ってくれるのが“塩肉じゃが”で、同居を始めてからもう5、6回は作ってくれている。ただ、いまだにスマホで作り方を調べながら全ての工程を確認して作っている。
一回私もこのレシピ通り作ってみたが、特殊な工程はなく、味付けもいたってシンプルだったので一度作ってしまえば、あとは分量を確認すれば問題ないと思った。

覚えて作る方がその他の料理でも応用がきくし、何より調べながら作るのはめんどくさいと思ったので、同居人に「もう何回か作っているのだからレシピ無しでも作れるのでは?」と聞いてみた。

すると、同居人は今回のタイトルのように、「料理のレシピの記憶はアウトソーシングしているから、レシピを調べないと作れない。」と返答した。

私はなるほどと思った。確かに、料理を作るうえで必ずしもレシピが頭に入っている必要はない。それに、単体のレシピを覚えているよりも、新しい調理方法に行きつく可能性のある分検索する方が有意義な可能性だってある。
実際私も買い物のときは、個別の陳列場所を覚えてないし、むしろ新しい発見のある“全部を一通り見る”を実行している。記憶しないで言えば、電話番号を覚えておくなんてことはまずしなくなった。

産業革命により人間のハード部分の機能が拡張されてきたように、インターネットが普及してから数十年が経った現代において、人間のソフト部分の拡張もかなり進んできているのだろう。
今回の出来事は価値観の部分に直結するので、なかなか受け入れられないところもあるが、価値観も日々アップデートしていきながら受け入れていくことが重要だなと反省した。

まあそれはそれとして、趣味にはとんでもないほどの記憶のリソースを使っていることに対して嫌味は言っておくことにする。

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