#30 身勝手な論理(青年編)
テーブルに残された朝食のレーズンパンを口に咥えて冷蔵庫に食べ物が無いかと漁る。冷蔵庫の引き出しにあったチーズとハムを左手に、もうぬるくなってしまったブラックコーヒーをカップに注ぎ入れたら、一口かじったパンとチーズ、ハムを皿に乗せてコーヒーと一緒にテレビ前のソファまで運ぶ。
ローテブルに朝食を置いたら、ポケットに入れていたスマホを取出し画面にタップする。
2時間後には勤め先に向かわないといけないことを確認し、ソファに持たれながら自分の耳にも届かないほどの声量でつぶやいた。
「はぁあ、何でこんなことになってしまったかな」
今俺の置かれている環境は最悪だ。
去年の夏から勤めている勤め先は、デリカシーの代わりに加齢臭を身に付けたエリアマネージャーと、声が大きいことだけが取り柄の店長、言葉も心も通じない先輩に不愛想で不躾な後輩で構成されている。
とりあえず定職に就くまでの腰掛として入ったこの場所だったが、もう俺無しではまわらなくなってきており、簡単に辞めることもできなくなってしまっていた。
もう半ばあきらめてはいるが、俺には一応夢があった。
大学にいた頃、俺は自己表現することにはまっていた。それは、絵だったり文章だったり写真だったり、様々な方法を試しながら自分自身を表現することにのめり込んでいた。
そして、最終的に執筆による自己表現方法にたどり着いた。方法が分かってからの行動は早く、俺は半年近くかけて小説を書きあげ、賞に投稿した。
しかし、結果は落選であった。
俺の書いた作品のテーマをホラーミステリーにしていたことが良くなかった。受賞作品には同じジャンルの作品が複数ノミネートされており、このジャンルでの競争率がかなり高かったことが伺える。受賞作品の中には自分の考えた設定と近しいものもあったぐらいだ。
昔からこういう不条理を味わうことが多かった。いつも低目を引いてしまうのだ。
この引きの弱さが、今のただつまらない底辺の生活を送る原因となっていた。
そんな挫折を味わった俺だったが、今でも文章というものにほぼ毎日触れている。世間に評価してもらいたいときはSNSでの投稿もしている。気づけば自分の部屋の書籍棚の本も300冊をゆうに超えていた。俺はつくづく文章というものが好きなんだなと実感する。
もうすっかり日課となっているSNSのフォロワーの投稿をチェックしながら、憂鬱な出勤準備を今日もまた繰り返すのだった。