走るのは一生諦めろ
さて、NEEDY GIRL OVERDOSE(ニディガ)Switch版はじめようかな。
初見プレイ者の新鮮な反応を見るのを求めていたオタクがこれを見てたら申し訳ないと思うけれど、僕はしっかり予習した。どうしても、ニディガはプレイ前に予習を済ませておきたかった理由があるんだ。
4年前、僕はとあるゲームのプレイ中に心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状を起こし、瞬間、悲鳴、からの激しい動悸、更に意識からトラウマ記憶を追い出すことが出来なくなりそのまま食事も取らず横になり、悪夢にうなされ、以降数日間食事をろくに摂らず、外だろうがTwitterのTL警備中だろうが僕は7歳になってしまい真っ暗な閉鎖空間に心が囚われ明るい外界への羨望と怨嗟に脳内を塗り潰される感覚に耐え難くなり何もないところで突然頭を抱えて呻く塊になってしまったのだった。
Blackish House ←sideZ(ブラハZ)
リンク先を見ていただければ伝わると思うがブラハZのイメージフラワーは青いアネモネ。このnoteトップ画像の青いアネモネは僕が育てた。オタクだから僕は自分の庭で咲かせてにやにやしていたのである。えへへ。僕は乃亜くんが大好き。でも僕と同じだったのはセラくんだった。
…という前例があるので、トラウマアンテナに引っかかったコンテンツには、それ以来かなり慎重に触れるようにしているんだな。具体的に言うと「初めて噂を聞いた時や見かけた時に興味が湧かなかったわけではないのだけどいつの間にか意識の彼方に追いやられていて、二度目に出会った時(なんで初めて知った時購入したり動画見ようともしなかったんだろう…!?)となった場合。これはPTSDの「回避症状」と呼ばれる無意識反応なのだけれど、初邂逅時にその反応が出たら、まず九割九分そうなのだ。無意識ってちょっと怖いよね、知らないけど分かるから。
そんなわけで名越康文先生の実況プレイ動画で予習させていただいてたのだっ。
【新シリーズ】精神科医が育成する「Needy Girl Overdose」Vol.1
精神科医先生ならではの視点と分かりやすい専門用語と為になる知識の詰まった動画(#8まで)は、ニディガの深部に届きすぎることなく、それでいて雰囲気を掴むのに十分で見応えがあっていい実況だなって思う。ただちょおっとテンポの良くないところはあり、#7と#8はちょっ…と退屈しちゃったけど。だから正直に言うとちゃんと見たのは#6までと#8の2回目のエンディングと名越先生のまとめ部分だけ。僕も目クソ悪で細かい文字苦手の民だから名越先生にめちゃくちゃ同情するんだけど、続きやることがあったら大きなスクリーンに投影して読みやすくしてやって欲しいな。また、僕が購入したのは一部表記が変更済だというSwitch版なので、オリジナルStream版の表記から醸される雰囲気を味わえたのも良き。さんくす名越っち先生。
それじゃあ、ニディガっていう、赤裸々で本気で剥き出しで教育に悪いゲームの感想を綴る為には、僕の自己紹介が前提に書いておいたほうが多少は面白みがあると思うから、しておこうかな。
短めにまとめれば僕は、PTSDで失声症で、両手両足全てに外傷由来の不自由があり、アレルギーだらけで頭痛持ち。早期更年期症状にも足を突っ込んでいる。
もっと言えば、精神的症状は要投薬では無い程度に自己管理可能と精神科医から診断されており、失声症は寛解している事がほとんどで、整形外科医からの「あまり長距離歩くな走るのは一生諦めろ」という指導こそあるが自立して歩ける程度の強度は残っており、利き手は筋力や触覚が半減したがペンは握れる。アレルギーは今のところ生死には関わらない。頭痛は比較的低気圧には強い。更年期症状は5年程強めに苦しんだけれど最近は落ち着いてきた。どこを取っても最悪ではない。だから幸運にも介助を必要とせず独りで生きていける。僕は他者との共同生活は苦手だからそれは本当にほんとうにどれも幸運だったんだ。
へへ、なんかいい子ぶっちゃった。自我が見えなくて我ながらつまんないので、文句たらたらモードに切り替えて言い直そう。
PTSDのせいで特定のトラウマ悪夢を10歳から、回数にして3,000回以上見続けているし、解離を起こして道路に飛び出したことはあるし記憶が無い出血もまたかとなる程度に日常茶飯時だし調子が悪いと300mm厚アクリル水槽越しに世界を知覚しているし、痛覚異常もある。自傷も自殺企図も度々した。これを打ってる2024年7月15日にも些細なストレスから自己肯定感を右足親指に杖を打ちつけて自傷し内出血を作っている。「(当時のままの環境なら)あと3ヶ月で(要入院の)うつ病になる」と警告された過去はあるし、独りでいるときのストレス解消法は自傷か物へのやつ当たりの二択。両方とも暴力が入るあたり、自分でもどうかと思う。幸い今は愛しのマイファミリー、ネコチャンとオシャベリトリチャン、フワフワノトリチャンもいるから、自宅にいれば彼らを眺めたり撫でたり乗せたり抱きしめたり触れ合うという選択肢がほとんどになった。「飼ってる」という言い方を対外的にすることが多いけど、心をお世話してもらってるのは圧倒的に僕のほうである。僕は皆の生活スペースを掃除して、食事や水を獲得してきては食べられるように用意して、人間の言語で大好きと言うくらいしか返せない。独りの時自己破壊か無機物への暴力でストレス発散してしまう僕は、その暴力性を動物達に向けたことは何故かない。自分でも何故なのかは全然理論的には説明できない。主治医は「君が根本的には優しい人間だから」と言ってくれていた。そうだったらいいと思うし、これから先の僕も、皆に絶対暴力を向けることがない僕でありたいって思う。話を身体への文句の続きに戻すと、アレルギー反応が強く出ると痕が残るほどじんましんが出るし、痰に血が混じりだしても咳は止まらない。ストレスでもすぐじんましんが出る。これを打ってる今も膝裏と肘裏がじんましんだらけになって痒くてたまらないし。足は側面に欠損があり横揺れで視界が白飛びしたり息が荒れたり自傷衝動の引き金になるので外では杖を持ってても基本横歩きが出来ない。悪夢とアレルギーと、じっとしてても低気圧の影響で痛む足のせいで簡単に再発する不眠症。面倒くさくて鬱陶しい。素直に文句弱音の書き出しはしたけど、これらの全てがどうでもよくなりたいという、諦念あるいは無への憧れを常に抱えている。だからこんなにも二次元が好きで。頻発する解離はあまり改善の気配がないのかもね。
ぐずぐずのままギリギリ保ててしまう豆腐メンタル人間の僕。狂いたくても狂いきれない。壊れたくても壊れきれない。アルコールは3ヶ月でも1年でも辞めていられる。ギャンブルも嗜むが100円あれば十分楽しい。ひょんなことからアルコール依存症自助グループの偉い方と直接お話させていただいたことがあるのだけど、何年もの闘病の末アルコール依存症からの卒業をしたその方からは、すごいし羨ましいと言われちゃったことがある。へへ…まあ依存症抵抗力以外はギリギリ強度だけどな。中でも、ひとたび恋愛をしたら僕の精神はダメダメだった…「だった」なのは、約5年前に早期更年期症状を起こし始めてからは恋愛感情が薄まったので恋心を感じても日常生活を侵蝕しなくなったから。そこは感謝をするくらいなんだ…同じくらい厄介でもあったけれど。僕は、恋愛というものの毒性を、人一倍よく見てきたし、知っていると思う。
僕の恋愛指向は両性愛ないし全性愛の可能性が高くて、今まで狂うほど恋をした相手は男性が4人、女性が4人、改めて数えたのはたぶん初めてだけれど、男女比は1:1だった。二次元だとどうだったかな…好きになった作品が多過ぎて数える気力を失くしたけど、狂うほど恋をしたキャラクターは男性も女性も思い浮かべられる。性自認は生まれた時から持ち合わせた女性の身体のまま、でありつつ、性知識を得る前は本気で男性生殖器もいつか生えてムキムキになれると心から信じていた。色んな小説や詩や物語に入り込む時にも、その世界の中で女になっても男になっても自分は何の違和感も抱いた事が一度たりとない。恐らく僕の性自認はどこかふわふわしている。PTSD故に解離を繰り返し続けて、月の半分くらい解離が起きてなければ奇跡というほど実在感から遠のいた世界で長期間生きてきているせいで、性自認の曖昧さは後天的にも必然なのかもしれない。
ただ、女性で良かった部分はあるとも思う。生理の辛さを味わうことができたから。僕は、生きるなら苦しみを知って生きたかった。それでも、【ヨリ重イ苦シミ】しか認めない人がこの世界にいる事も知っている…そんな人にはどんな実体験を話しても響かないことも。どんな時代に生まれても、どんな国に生まれても、どんな性に生まれても、どんな人間に生まれても、この世の全ての苦しみを身を以て知ることはできない。生理を知ってるのも「知れてよかった」が「ただ生理を知っただけ」だとも思う。どうせどんな性でも、僕らは限られた命である限り、必ず無知を得てしまうのだ。性なんてどれでもよかったし、これでよかった。
そんな僕にとってニディガの「ピ」と表現された“あめちゃんの好きな人”という表現はとてもとてもラブリーだった。男女どっちになってもどっちにならなくてもいいなんて!僕が僕のままでピになれちゃう。最高!しかもあめちゃんてばめっちゃ可愛い!僕あめちゃんのピになる!!テンションあげあげである。
そして、そんな曖昧な性自認とその原因であるPTSDが世間一般に標準的な普通ではないのを察することはできていたから、ずっとずっと恋愛指向や性自認は明言しないでいた。今まで誰にもちゃんと言ったことなんてなくて、ここに書いたのが初めてなんだよね。消極的に隠し続けていたのに、何故かこの記事を書く段になって、積極的に書いていいと自然に思えたんだ。NEEDY GIRL OVERDOSE、あめちゃん、超てんちゃん、そしてにゃるら氏を知ったのがきっかけと言っていいのかもしれない。なんだそれ、運命みたいだ…なんか大袈裟で恥ずかしくなるような台詞だけど、本当にそんな風に思っちゃった。僕は、僕がもうこの先大して変わらないような気がしてたのに、そうでもなかったんだ。なんか、ちょっとすごいな。
そんなわけである。NEEDY GIRL OVERDOSEというインディーゲームに、あめちゃんに、超てんちゃんに惹かれるのは必然だったんだって思う。僕は、このゲームと派生コンテンツに、僕の精一杯で丁寧に向き合ってみたい。
可愛いね、可愛いねあめちゃん。まだ君のことあんまり知らないけど。君のことを知った時、僕はきっともっともっと君が好きになる。これからよろしくね。
サポートされると僕の目の光が30分戻ります