エピソード7 思えば…

いよいよ最後のときが近づいてきた。

マリナーズが快進撃を続けもしかしたら、と思わせているときだったが、9月3日には機上の人ならなければならなかった。

思えばLilyと出会って4ヶ月、色々なことがあった。



まず、MLBが開幕した。

前にも話したが、念願だったボールパークでのデートも実現。ビールを片手にチップスを食べ、マリナーズを共に応援し花火もたくさん見た。


映画もよく観た。

彼女のホームステイ先の息子がアルバイトで2つの映画館の支配人をしていたのだ。彼はまだ19才だったが、アルバイトをしているうちのどんどん昇格して50人以上の部下を持つようになったそうだ。その後大学で映画の勉強をしていると聞いた。

「マディソン郡の橋」や「ポカホンタス」などはまもなくやってくる自分たちの別れを見ているようで胸がつまった。


だが、最も変わったのは自分の生活だった。

シアトル生活も3ヶ月経ったとき私はアパート暮らしを始めた。その方が安上がりだったからだ。友人に借りたラジカセ以外に娯楽物はなかったが、自分の空間を持っていることに満足していた。

アパート生活も7ヶ月経ち、さらに経費節減するために寮に居候することにした。

寮は学校の上階にある。学校はシアトル大学内にある12階建ての建物だ。もともとそこは学生寮でそこの2階と地下一階を語学学校として使っていた(1階はロビー)。留学生の寮はそこの5階になる。

部屋は2人部屋で私はたまたまルームメートがいない日本人の男性を見つけそこにいさせてもらった。お金を払ってないのはもちろん内緒である。

しかし、3週間後にそのセッションが終わりその男性は部屋を出ることになった。

そうしたら私もそこにいるわけには行かず、とりあえず、アパート暮らしをしている女の子のところに転がり込んだ。ひとまずほっとしていたのだが、その子のルームメートの女の子が気分を害したらしく(当然といえば当然)、一週間もせずに出なければならなかった。

そこからが問題だった。

いったん寮に戻り、知人の部屋に荷物を置かせてもらった。で、考えた挙句、ひとつの結論にたどり着いた。

この寮の建物の最上階12階はラウンジといくつかの勉強部屋がある。その勉強部屋にある短いソファをラウンジにある長いソファと交換して、そこに寝泊りすることにした。

当然、それがばれたら大変なので、机には勉強道具を置き、電気をつけたままテキストを顔にのせ、勉強しながら寝てしまったと装わなければならなかった。なぜなら、やはりアメリカ、学校内を棍棒とトランシーバーを持ったごつい警備員らが一晩中巡回しているのだ。

シャワーは各フロアについているし、地下にはコインランドリーもあったので、「部屋の確保」以外で心配することはあまりなかったが、やはり居心地がいいわけではなかった。

しかし、その生活が2ヶ月続いた頃、ある日本人からいい話が持ちかけられた。

その子はたまたま自分と同じ町(三重県菰野町)からやってきた子で、一ヶ月間デンバーの彼のところに遊びに行くので、その間アパートを貸してくれるというのだ。その彼とも面識があり、言い出したのは彼の方からだったらしく、これには本当に助かった。

しかし、これに一番喜んでくれたのがLilyで、色々と疲れていた私がようやくまともな生活ができることがうれしかったらしい。


かくして最後の一ヶ月、その後まもなく卒業してフリーになった彼女と様々なところに出かけた。


このとき8月、シアトルの街は気候もよく、楽しいイベントもいっぱい、マリナーズも快進撃の兆しを見せ、住むところも見つけ…だがそういう生活は長く続かないのだ。

来月の今頃は日本にいるのかと思うとちょっとブルーになったが、その思いはどうやら彼女の方が上だったようだ。

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