エピソード3 LilyとBaseballと…

その韓国人の子はLilyと呼ばれていた。



韓国人や他のアジア人は発音が難しいからか、イングリッシュ・ネームを持つ人が多かった。


彼女もその一人だ。



自分が学校内でボランティアをしていたときに知り合ったとても活発で明るい子だった。


彼女が進路のことで相談しにきたのをきっかけに付き合うようになった。


野球にはあまり興味がなかったようだが、韓国では何度か見に行ったことがあると言っていた。



その彼女と一緒にキング・ドームに行くようになった。



自分の中に小さな夢というか憧れのようなものがあって、それがボールパークでのデートなのだ。


実はシアトルに行く2年前にもMLB観戦をしたことがある。


初めて海外に出たのが大学の卒業旅行でLA~ラスベガスという友達の企画に乗っかったものだった。


その後、時間が空いたら行きたくても怖くて行かなくなると思い、入社してちょっと経った夏休みにMLBを見に行くことを決意、すぐに往復チケットを予約した。


有給発生前だったので一番高いお盆休みに行くしかなかった。


名古屋発ポートランド経由サンフランシスコ行きの往復券は当時20万円以上したのだ。


サンフランシスコにしたのは近くに2球団あったから。


そのときは一人旅でそれなりに楽しかったのだが、ロマンティスト(?)の自分としては、「このボールパークで時間をシェアできる子がいれば…」と思ったのだった。


前置きが長くなったが、それがシアトルで実現したのだ。


できれば太陽の下で天然芝のフィールドを見ながらというのが理想だったのだが、当時は室内で人工芝だった…まあ、完璧はありえないのだ。



MLBを見るようになってからアメリカを意識するようになった。


映画などのエンターテイメントもそう。


アメリカの作品には必ず男女愛、家族愛、そしてハッピーエンドという要素が含まれていると聞いたことがある。


単純かもしれないがそういうものに共感できるようになった。


どちらかというと冷めた所があったのだが、これもMLBのおかげか色々なものに素直に感動し涙を流すようにまでなったのだ。



Lilyは映画が大好きな子だった。



彼女のホームステイ先の関係で、タダで映画が観れたのでたくさん観に行ったものだ。


そういう生活を重ねていくうちに帰国を延ばし延ばしにして、とうとうビザぎりぎりの9月までシアトルにいることになった。


ボランティアが認められたのか学校側がパートタイム分も学生として考慮してくれたためだ。



というわけで、シアトルでのMLB観戦はちょっとスイートな思い出も加わることになった。



だが上には上がいるものだ。


続きは学校での感動的な出来事とともに次回話すことにしよう。



***



今回出てきたLilyと自分の名前のtaroはこの表記のまま進めていく。


そもそも2001年にこれを書いたときはこだわりがあって横文字は全て英語表記だったのだ。


でも、Lilyのカタカナ表記は自分には大きな違和感があるし、自分の名前も頭文字を小文字にするのも含めてネット上では20年以上これで通しているので、その辺り理解いただきたい。

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