エピソード5 ボランティア

今でもそうなのだが、私はかなりの変わり者だ。

アメリカに行って、選びに選んだはずの理容室が気に入らず、電気バリカンを買って自分で髪の毛を切るようになった(今でも自分でやっている)。

初めの頃は前髪だけ立たせて後は0.5mmという奇抜さに加えてマリナーズのスタジャンを着ていたので、街でよく声をかけられたり握手を求められたりしたものだ。

学校内でも発音が日本人らしくなかったのか日本人に見られないことも多かった。

そして、もうひとつの変わった行為がステューデント・ワーカー(以降SW)である。


もともとそれはセッション(1セッションは4週間)のはじめのオリエンテーションと毎日の放課後の見回りやインストラクターの手伝い、その他雑用をするもので、現金がもらえない代わりに授業料をディスカウントしてくれる、という制度なのだ。

私は最終セッションではじめてそれをやった。

そして卒業後2時間(通常6時間)だけ授業を取りパートタイムとして学校にいたのだが、時間があったし楽しかったので続けてSWをやることにした。

ちなみにこの制度、ディスカウントされるのはフルタイムの学生だけなので、何の金銭的メリットもなくSWをやるのは私が初めてだったらしい。

当時はわりとてきぱき動くし、他のSWをまとめてたりしたので重宝がられてたらしいのだが、何せ前例がなかったので自分の中では内心

「ほんとにやってていいのかな?」

と疑心暗鬼でもあった。

そうしてボランティア・ステューデント・ワーカー兼パートタイム・ステューデントとしてのセッションが終わる最終日、卒業式の最後に意外な一幕があり驚いた。

各セッションの最後は最上級レベルをクリアした生徒のために卒業式が行われる。よくテレビとかで見る黒いガウンと四角い帽子をかぶるやつである。認定書をもらい200人あまりの生徒の前でスピーチをするのだ。

前のセッションで私もスピーチをした。

誰も最初にやりたくなかったらしく、自ら立候補して最初にみんなの前でしゃべった。

一応笑いも取れたので後の人たちはやりやすかったのではないか。

話がそれてしまったが、意外な一幕は卒業式も終わりに近づき最後に締めの言葉に差し掛かったときだった。

もうこれで終わりと思ったとき、ディレクターのリンがこう続けた。

「彼は毎日私たちのために働いてくれている。放課後みんなが帰った後、頼まれるでもなくすべての教室の机を整頓し戸締りをし、生徒の相談に乗り、私たちスタッフをよく手伝ってくれた。彼は半年ほど前にここに来て、野球やバスケットが大好きな男だ。そんな彼に私たちは感謝の意を表したい。…taroいるんでしょ!前に出てきなさい!」

はじめは何のことだかさっぱりわからなかった。

なにせ今まで卒業式でこんなシーンを見たことがなかったから、当然そんなことがあるなんて予想していなかったのである。

私は喝采を受け改めてみんなに紹介された。そして感謝のしるしとして音楽券をもらった。

そのとき初めて自分がやっていたことが役に立ってたんだと確信できてうれしかった。

これはアメリカで数ある感動したことのひとつだ。

ちなみにこの生活は次のセッションも同じだった。

そのときの選択教科は最終レベルのメイン教科だったので、パートタイムだったにもかかわらず2度目の卒業ガウンを着ることになった。

スピーチもやったが紹介されるときさすがにこんな奴は見たことないと校長に言われた。

さらに次のセッションではパートタイム・ステューデントならぬフルタイム・ボランティアとして活動、卒業式でまた紹介され今度は野球のチケットをもらった。

私のMLB好きはスタッフ全員が知っていたのである。

さてこの頃5月の終盤、我がマリナーズに大変なことが起きた。

1977年に球団が創設して以来、2回しか勝ち越したことがないこのチームにしては順調な滑り出しだったのだが、エンジェルスが打撃好調、はるか先を走っていた。

一度エンジェルスがシアトルに来たときに見に行ったのだが、12点取られて負けた。

それに加えてこのアクシデント、この先どうなることか当時はとても心配だった。

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