エピソード8 帰国
さあ残すエピソードはあと2つ。
とうとうアメリカを離れるときが来てしまいました。
***
帰国は月曜日の早朝だったので、金曜日学校に挨拶に行った。
スタッフなどは私がいなくなるのが信じられなかったようだ。
中でも一番親しかった秘書のエリンという女性には何かとお世話になった。
ひとつ年上の彼女は結婚しているのだが、大学に通いながら秘書のアルバイトもしていたのだ。
勉強部屋で寝泊りしていることも知っていたし、Lilyとの別れを一番心配してくれた人だ。
アパートの鍵はLily経由でエリンに渡しておくことになっていた。
最後にエリンに挨拶し、よくしてくれた経理のおばさんに入り口からサヨナラを言った。
彼女は口は悪いが信頼してくれて銀行への用事も頼まれることがあった。
その彼女に遠くから別れの言葉を告げたら、急に椅子から立ち上がり、よくない細い足をひょこひょこさせ、
「足も目も悪い私をわずらわせるんじゃない!」
といいながら近づいてきて、私を抱きしめながら耳元で、
「今まで本当にありがとう。お前のことは忘れないよ。だから私のことも忘れれるんじゃないよ。それじゃ、気をつけて帰りなさい。」
と、今までにないくらい優しく言ってくれた。
それから私はあふれるものを止めることができなかった。
これで本当に別れのときがきたと実感したのだ。
程なく廊下を歩くとLilyが待っていてくれた。
私は彼女を抱きしめ、まわりを気にせずひとしきり泣いた。
若い人生で一番泣いた。
その後たくさんの友人たちへの挨拶もすませた。
空港まで見送りに行く、と言ってくれた人は多かったが、Lilyが恥ずかしがったので全て断った。
彼女は最初、空港には行かないといっていたのだが、最後には考えを変えたようだ。
帰国一週間前に船で離島に旅行したとき、その一週間後のことを思いベッドの上で泣き崩れていた。
帰国前日は一日中泣いていた。
当日の朝は早かったのだが、起きるなり現実に直面したのか激しく泣き始めた。
その後バス停を間違えたアクシデントもあり、彼女は平静を取り戻した。
しかし、空港に着いてゲートの前で待っているとき、彼女の涙は止まらなかった。
私は努めてニコニコしながらトレーナーの袖で涙をおさえてあげることしかできなかった。
そして搭乗のとき、
いつもより長めのキスを交わしたあと、
彼女の肩を持ち回れ右をさせて
「振り向くな」
と言って彼女の背中を見送った。
搭乗口でアテンダントもそれを見て泣いていた。
私はといえば飛行機の中でトレーナーの袖にしみこんだLilyの涙を見てただ呆然とするだけだった。
帰国後大きな封筒が届いた。
Lilyからだ。
中には「シアトル・タイムス」という新聞のスポーツセクションがたくさん入っていた。
マリナーズの快進撃がつぶさに記録されたものだ。
余白には手紙が綴られていた。
空港から帰って2日間ベッドの上で泣き続けたそうだ。
その新聞は10月まで続いた。
マリナーズが念願の地区優勝を果たしプレーオフに進出したのである。
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