エピソード2 開幕戦にて
今回は開幕戦のお話。
野球、興味ないし…という方も、のちのエピソードに関わってくるので頑張って読んでみてくださいな。
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ようやくMLB開幕が決まったので、すぐにチケットマスターに行きチケットを買った。
ストライキのおかげで野球人気は落ちたものの、やはり待ちに待った開幕戦なのか、よい席は取れなかった。一緒に行こうといわれていた人たちの分と余分にもう一枚(この一枚が後々大きな意味を持つことになる)買った。
場所はライト側の3階席、ファールゾーンでポールに近いところ。
一緒に行ったのが日本人の男性2人と韓国人の女の子と自分の計4人。
だが、先の男性2人はまだあまり英会話力がなかったので韓国人の子はちょっと辛そう…そのあたりを英語で解説しつつ気を遣いながらの観戦だったので、ちょっと疲れた。
だが、初めて生で観るMLBの開幕戦、そんな奴らはほっといて自分の世界に浸ることにした。
球場に行くのは入場できるプレーボールの2時間前、練習から見るのだ。観客もまばらなのでフェンス際まで行って近くで選手を見ることもできる。
キング・ドームのブルペンは外野のファールラインのすぐ外側にあったので、投球練習している選手を間近で見ることができた。
そこで見たランディー・ジョンソンはとにかく大きかった。MLB史上最長身(208cm)だけあってその迫力はすさまじかった。その前にもっと大きなNBAの選手たちをこれまた間近で見てきたのだが、それとはまたちょっと違う。
やはり前からすごいすごいと思っていた選手が目の前にいるのだ、冷静には見ていられないだろう。
その開幕戦の先発投手は当然そのエース、ジョンソンだった。
開幕セレモニーが始まった。
ドームであることをうまく活かしたレーザー光線での派手な演出である。
センター上方に設置してある花火も鮮やかだった。どちらかというとNBAに近いものを感じた。開幕戦となるとその演出はオールスター並なのだ。
次々紹介される選手たち…ここで一番沸いたのは前年ストライキでシーズンが中断するまで記録的なペースで本塁打を量産し、初の本塁打王(40HR)に輝いたスーパースター・グリフィーのときである。
今でいうイチロー人気以上だったのだ(*これを書いたのは2001年)。
オールスターでは今のように国外はおろかインターネット投票もない時代に700万票あまりを獲得するのだから比べようがない。
5万5千人以上入る球場の外野席はがらがらだったが、とりあえず予想通りの盛り上がりを見せ試合は始まった。
今でも覚えているがそれはマリナーズにとって完璧な開幕戦だった。
ジョンソンは最初からばたばたと三振を獲り、相手につけいる隙を与えなかった。
この球場三振を獲るとボーン!という爆音とともに電光掲示板に三振数が掲示される。これが毎回1つ2つあった。試合は中盤まで投手戦だったのだが、打撃よりも投球の方が盛り上がるのも珍しいものだ。
両者ノースコアで迎えた5回裏、走者2人を置いて打者はグリフィー。
一番期待される場面で彼の撃った球は我々の前を通りライトスタンド3階席に飛び込む特大のホームラン。この回で降板したエース(ストライキで春季キャンプが短かったためこの時期先発投手は5回を目途に交代していた)に主砲が応える形となった。
最後は抑えのボビー・アヤラが締めくくり3-0で開幕をものにした。
その後チームは5連勝、77年に生まれたこのチームにとって最高の滑り出しとなった。
開幕のあと数試合、私が見に行く試合はいつもジョンソンが先発で同じような奪三振ショーでいつも勝ち試合だった。
そしていつも一緒に試合を見に行くのは先の韓国人の女の子…ここに小さな願いが叶ったのだ。
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シアトル・マリナーズについてちょっと解説。
1977年に誕生したチームはとにかく弱かった。
初めてシーズン勝ち越したのが1991年。私が滞在し観戦ていた1995年までに勝ち越しはたったの2回。最高位は前年の3位が一度(それでも負け越し)という惨憺たるものだった。
そのため、お金がなくシーズン中に契約が切れそうな主力選手を若手有望選手とトレードするのが常だった。
ランディー・ジョンソンもその一人。1989年に当時エースだったマーク・ラングストンのトレードに伴い加入した(これ覚えておいてください)。
次回は恋愛編です。
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