エピソード1 シアトルへ
お話の前に、おさらい。
これからの話は1994年9月から1年間、シアトルに語学留学などしていたときの話を2001年にアップしたものである。
当時はホームページの管理人紹介の延長のつもりで書いてみたのだ。
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今ではすっかり有名になってしまったシアトルに1994年9月から一年間滞在していた。親不孝なもので、新卒で入った会社を2年で辞めてアメリカに行こうと考えた。
その頃は英語ができるわけでもなくビザのこともわかっていなかったので、とりあえず学生ビザを取得し語学学校に通うことにした。
なぜシアトルかというのにはいくつか理由がある。
まず、気候が良好なこと。
すごく寒くなるわけでもなく、とんでもなく暑くなるわけでもない。それに、ハリケーンやトルネードとも縁がない。
次に住むところと学校が野球場とNBAのスタジアムに近いこと。
野球のシーズンオフはNBAを見ていたのでそれも考慮した。シアトルはすべてダウンタウンとその近辺でそれらのことがまかなえる。
そして物価。
サンフランシスコ(はじめてMLBを見に行ったので気に入っていた)に比べて安い。それに大好きなケン・グリフィー・ジュニアのいるマリナーズが見たかったのでシアトルに決めたのだ。
だが、思い通りになったわけはなかった。
まず、MLBがストライキに突入。渡米前の8月11日でシーズンが終わってしまったのだ。でもまだNBAが残っていたのでそちらに期待することにした。
しかし、NBAはダウンタウンにあるスタジアムを改築するため、そのシーズンははるか南にあるタコマ・ドームまで行かなければならなかった(なんとか4試合観戦)。
ストライキは年を越えても解決するめどが立たずどうなることかと思われたが、春になって労使問題が解決して4月下旬から開幕することになった。
さて、なんとかMLBが見れるようになった頃には語学学校を卒業していてパートタイムで授業をとり、ボランティアとして学校に残っていた(この話はエピソード5で)。おかげで時間的な都合もつけやすく、デーゲームも気にせず見に行けたのがよかった。
かくしてアメリカに滞在して8ヶ月がたち、ようやくMLBが見れるようになった。
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注釈
私が滞在していたとき、シアトル・マリナーズの本拠地はキング・ドームだった。この球場は屋根もコンクリートでできていた。実はストライキになる少し前に屋根のコンクリートパネルが落下したためマリナーズは本拠地を使えず適地を転々としなければならなかった。
そう、ストライキ以前にシアトルでは野球が見れなかったのである。
その改修工事中に作業員がクレーンから落下して死亡するといいう痛ましい事故も起きていた。
1999年途中から隣に建設した新球場、セーフコ・フィールドをホームとしている(2018年末から名称は「T-モバイル・パーク」に)。
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