茶の湯の花と真言(前半)
こんにちは。
日本史で一番好きな時代は?と聞かれれば、縄文時代一択だと信じているマエシマです。
(#学校の授業だと15分くらいでおわる、、)
さて、本日は「茶の湯の花と真言(前半)」というふんわりした話をしたいと思います。
「茶の湯の花と真言」
先日、名刹・放光寺にて阿字観を体験してみて、大いなる気づきがあったので整理しておきたいと思います。
(阿字観(アジカン)ってなに?真言宗の瞑想方法。阿字の仏さまと一体となって仏の心を感じることを目指すものです。)
(放光寺さまの阿字観体験について→http://www.hokoji.org/kyoka.html)
今日の話はかなりマニアックな話ですが、実体験の話なので、あまり本にも載っていない内容になると思います。(たぶん、、)
茶の湯×禅
お茶って「茶禅一味」(=茶と禅はおんなじ味やで)というコトバが残るくらい、禅宗と近い文化です。
なので、茶席で最も重要な場所「床の間」には、禅僧の墨跡がかかることが多いです。
禅を民衆レベルに広めるために「茶の湯」が生まれたともいわれたりします。
そんな感じなので
「茶×禅」という本や文献はたくさんあります。
ただ、正式な茶会「茶事」では、墨跡のまえでは炭点前や懐石を食べるのみで、お茶は飲まないんすね。
懐石を食べた後、墨跡を巻き、床の間の正面に「花」を入れます。
茶の湯の世界では、この「花」に関する資料が結構少ないです。
最近どうも「茶の湯の花」について心を奪われており学びを深めているのですが、どうやら太古からの「自然崇拝」や「古神道」「修験」「真言」の影響を強く受けているように思えてならないんです。
で、このあたりについても
「阿字観体験」で感じたことがあったので、まとめます。
花の寺 放光寺
放光寺さんって、訪れたことがある人はよく知っていると思いますが、1年中様々な山野草の花が咲いてるんですね。
(ぜひ拝観してみてください。超オススメのお寺のひとつです!)
この「花の寺」という名称は、あの「白洲正子」さんが命名したそうです。
ご存知の方がほとんどだと思いますが、、「白洲次郎」さんの奥様で全て。
次郎GHQに「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた超イケメンです。
昭和天皇からマッカーサーに対するクリスマスプレゼントを届けた時に、マッカーサーが「その辺にでも置いてくれ」とプレゼントがぞんざいに扱われたために激怒して、
「仮にも天皇陛下からの贈り物をその辺に置けとは何事か!」と怒鳴りつけ、マッカーサーを慌てさせたという逸話も残ってます。
(白洲次郎は本当にかっこいい、、)
話がそれましたが、つまるところ・・・
単に「お花が楽しめるお寺ですよ〜」ということではないんです。
白洲正子さんは「能」のプロフェッショナルで、晩年は修験の道や、自然崇拝について、自分の足で学んでいたようです。
それで当時、放光寺さんをおとずれ、長老さんと対談したとのことです。
(という話をこの夏に、長老さまと有賀先生がお話しているのを拝聴しました)
ここからは個人的な考えですが、、
花には真言が宿る、という意味を込めてそう命名したんだと推察されます。
「そろそろ阿字観を・・」
さて、話が逸れてしまいました、
そろそろ阿字観の話をしたいとおもいます。
細かい話をしても難しいと思いますので、呼吸についてだけ、とてもざっくり説明いたします。
これは、今実践できるので、ぜひやってみてください!
①まず肺にある、不浄な空気をすべて吐き出す。ゆっくりをすべて口から吐き出す。
②清浄な空気を鼻からたっぷりと吸い込んで、限界まで吸い込んで、今度は下腹部に溜まってる不浄な気を、ゆっくりとすべて吐き出す。
③清浄な空気を鼻から限界まで吸い込み、手先から足先から、すべての細胞に溜まってる不浄な気を、ゆっくりと吐き出す。
これが準備運動みたいな感じでしたが、大いなる発見がありました。
「コロナにより、息が浅くなってる?」
これは、マエシマだけかもしれないんですが・・・
なんかコロナにより、呼吸が「浅く小さく」なってないでしょうか?
まあマスクもしているからかも知れないのですが、、
なかなか、息を深く大きくすることがなくなっていてるなあと気づきました
呼吸が浅いと、小手先のことしかできないんだな、と痛感しました。
前半のまとめとしては「空気」や「息」が超大切っていうことです。
これをもとに、茶の花まで昇華して、後半をまとめたいと思います。
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