仕事上で謝れない人の話と、少年の日の思い出
「ありがとう」も「ごめんなさい」もまったく言わない不思議な人が職場に居たので
そのことを友人に話すと
『少年の日の思い出』みたいだね
と言われた
少年の日の思い出?何だそれは…
どうやら中学の教科書に載ってる短編らしく
小説のあらましを聞いてぼんやり思い出したが、どうにも詳細が思い出せないので
感想などを検索しつつ思い出してきた。
中学の教科書は全国一律ではないため
読んだことのない人のために
ざっくり、あらすじを説明するが
細かい心情描写が分からないので
やはり本を読むのをオススメする
少年の日の思い出
あらすじ
小説『少年の日の思い出』を
超ざっくり説明すると
主人公の近所に住むエイミールが
とても珍しい蝶(蛾)を孵化させ
標本にしたとの話を聞き
蝶集めに熱中していた主人公は
一目見たさに、無断で侵入し
そしてその蝶を目の当たりにすると
抗いがたい欲望に駆られ盗んでしまう
しかし、メイドに見つかるかもと思い
慌ててポケットにしまった時
意図せず標本を破壊してしまう
家に帰り母に事の顛末を話すと
謝罪に行くように促される
エイミールはきっと受け取らないだろうと
予感しつつ、謝罪に出向く
エイミールに話すと
「そうか、君はそんなやつか」
と、言われ
謝意として自分のおもちゃや標本を渡すと
伝えるも受け取ってもらえない
主人公は家に帰ると
自分の標本コレクションを
ひとつひとつ指で潰した
感想
子供の頃、この小説の感想は
主人公の謝罪に行く時の陰鬱さに共感したし
罪悪感で自分の標本を潰したのだと思っていた
が、今読むと感想がガラリと違う
そもそもエイミールはまごう事なき被害者だ
大切な、それも珍しい標本を壊されてるし
そもそも不法侵入…
でも主人公は終始
悪意はなく事故であったことを
エイミールにわかって欲しそうな心情だ
確かに標本を壊してしまったのは
壊す意思はなかったので事故だろう
主人公はラスト
バツの悪さから
自分の標本コレクションを指で潰している
これ贖罪の気持ちから標本(主人公とっての宝物)を潰したのではなく
苦々しい思いに耐えきれなくて潰してるのだと吾輩は思った。
そして主人公は大人になった今も
そのことを引きずり、
いつまでも自分の罪を引き受けられないまま
不寛容なエイミール(全然不寛容ではないのだけれど)への思いが消し去れない。
罪を受け入れなければ見放される
仕事上で表面的に謝る人なんて
ごまんといるし
表面的に謝れるだけでもう素晴らしいことだと思う。
「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えない人と仕事してると気が狂いそうになるし
形だけでも謝れるだなんてもう吾輩には輝かしい聖人に見える。
でも、
悪いと思っていない謝罪は見透かされる
謝罪された方も、スッと流さなければ仕事にならないのでそれを表向き受け入れるけれど
反省なんてしていないと見做される。
イチイチ誠実性のある謝罪など期待していたら
あるいは、こちらが謝罪する側だとしたら
なんかもう精神エネルギーの消耗が激しいので深いことは考えたくはない。
9割の人は謝れない
『少年の日の思い出』の主人公のように
謝罪するだけマシかもしれないが
謝ったとしても、
反省していないと見透かされたら
相手から見放されて終わりである。
怒鳴られもしない、文句も言われない
無表情で対応されるか
最悪、にこやかな笑顔で爽やかに対応されるようになるかもしれない。
あなたがよっぽど字義通り受け取る人でなければ笑顔の仮面の下にある侮蔑の目線が感じられるだろう。
それならばいっそ、怒鳴られた方がマシだと思えるかもしれない
だって仕事上で怒鳴られたら
悪いのは一気に相手になるのだから。
でも笑顔で対応されると、オワル。
笑顔なのだからと許されたような気になる人は、かなり鈍感なのだろう。
この世で一番恐ろしいのは
何もされないことだ
そして話し合いの機会すら与えられないこと
攻撃もされないけれど
困っていても助けてもくれない
ただ、ただ「普通」に接せられるのだ
普通に接せられる罰
芥川賞小説『おいしいのはんが食べられますように』の中で
気に入らない同僚に対して
意地悪をしてやろうと先輩に持ちかけるが
その意地悪とは「普通」に接することだ
と言ったシーンを思い出した。
『少年の日の思い出』の中で
エイミールと主人公は同い年だが
精神的にはエイミールがずっと大人だった
しかしエイミールは大人から子供に対する寛容さを示さなかった。
主人公の心情に理解を示して和解することもせず、叱るという行為もしなかった。
ただ少しだけ言葉を吐いただけだ。
エイミールは大人だけれど、
子供に優しくもない。
主人公は取り返しのつかない罪に
自分なりの答えを掴むことなく大人になっている
トラウマと言われればそうなのかもしれない
トラウマはその瞬間が凍りつき
何かのきっかけで解凍され
その瞬間の出来事が今起きたことのように再び体験するのだから
もしも吾輩が主人公の立場なら
小説の話だけれど
主人公がしでかしたことは
社会人ならやるんじゃなかろうか
いやいや、私は人のモノは盗みませんよ
なんて話ではない
主人公は盗みの事件の前から
エイミールに対して憧れと憎悪を持ってる
よほど特性的に他人に興味がないなどの場合を除けば
人は大なり小なり、職場の他人と自分を比べ
憧れたり、羨んだり、少し憎しみを持つこともあるだろう
欲望のタガや理性は簡単に
ふとした瞬間に外れる
それが盗みのような大それたことでなくても
少しキツイ言い方をしたとか
少し横柄な態度をとってしまったとか
誰もがやりそうなこと
いつもいつでも仕事中なんだからと
フルフラットで全ての人に接せられるのは
いるにはいるがそれは珍しい
ふとした瞬間に失礼なことをすることも
人間にはあるはずだ。
もし吾輩が主人公ならば
同じようなことを社会人になってもやるだろうし、すでにやってると思う。
でも日常の多くの出来事に
すべてしっかりと罪を認識して生きるのも
また疲弊しすぎて仕方がないので
ある程度、自動ノイズキャンセリングのように認識しなくなると思う。いや多分してる。
だから謝らない。
謝れない。
そして周囲の人たちも謝れない。
例え相手が悲壮の表情になろうと
泣き出そうと、退職しようと
自殺しようと
それでも
謝れないのが9割の人間だろう
と吾輩は思う。
だから、もしこちらが被害者の場合
エイミールのようになるのかもしれない。
じゃないと業務が進まないから。
もしも
「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えない人と遭遇したなら
まずは、特性を疑うといいと思う。
シンプルに性格が悪いと断罪するにはまだ早いかもしれない。
そして次に
9割の人間は謝れないということを
受け入れると人生は楽になる。
だが、
だからといって
自分が謝れない人間になってはいけないし
『少年の日の思い出』の主人公のように
いつまでも反省できずに
蝶の標本を見ては思い出して苦々しい想いに浸ってるだけではならない。
解決しない過去(トラウマ)は
いつまでも現在に影を落とす
謝罪してもそれを受け取ってもらえない
許してもらえないことなど
人生に山ほどあるだろう
それでも、したことは消えない
いつまでも覚えていて
その罪と生きていく
だからと言ってそれに押しつぶされる必要もない
ただ自分のしたことを受け止める。
謝れない人間がいることを受け入れるのは
理不尽に屈するのとは違う。
ただ、あるがままの他人の様を受け入れるのだ。
元来、神でもない自分に
人間の誰一人、裁く権利などないのだ。
ジャッジは組織が下す。
吾輩ではない。
「謝れない人」を注意するのは
自分の部下ならやるかもしれないが、
そうでないならただ「普通」に接すれば良い。
結局のところ、
小さな信頼の積み重ねで仕事は回っており、
小さな誠実性の積み重ねで
その信頼は積み上がっていくのだが
理不尽な人に
正義の鉄槌を下ろしてやる必要がない。
下手すると自分が逆に刺される。
全ての人が対岸の人だとしたら
「謝れない族」の人だと思って
接すれば良いのである。
謝罪されない悲しみを乗り越える
でも、そうは言っても
嫌なことをされて謝罪されないのは悲しい
悲しいけれど怒ったら負けなのだ
この現代においては。
ただ自分の悲しみを受け止めて
味わい尽くす。
自分の悲しみは無視せず
自分を大切しよう。
悲しみを乗り越えるのはとてつもなく辛く
果てしない作業だけれど、
それでも、自分を抱きしめる。
自分の悲しみは無視しない。