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第8章 「太った婦人」の逃走 6

「紅茶はどうかな?」ルーピンはヤカンを探した。
「わたしもちょうど飲もうと思っていたところだが」
「いただきます」ハリーはぎこちなく答えた。
ルーピンが杖で叩くと、たちまちヤカンの口から湯気が噴き出した。

「お座り」ルーピンは埃っぽい紅茶の缶のふたを取った。
「すまないが、ティー・バッグしかないんだ__しかし、お茶の葉はもううんざりだろう?」
ハリーは先生を見た。ルーピンの目がキラキラ輝いていた。
「先生はどうしてそれをご存じなんですか?」
「マクゴナガル先生が教えてくださった」ルーピンは縁の欠けたマグカップをハリーに渡した。
「気にしたりしてはいないだろうね?」
「いいえ」一瞬、ハリーはマグノリア・クレセント通りで見かけた犬のことをルーピンに打ち明けようかと思ったが、思い止まった。
ルーピンに臆病者と思われたくなかった。ハリーは「まね妖怪ボガート」にも立ち向かえないと、ルーピンにそう思われているらしいので、なおさらだった。

ハリーの考えていることが顔に出たらしい。
「心配事があるのかい、ハリー」とルーピンが聞いた。
「いいえ」
ハリーは嘘をついた。紅茶を少し飲み、水魔グリンデローがハリーに向かって拳を振り回しているのを眺めた。

「はい、あります」ハリーはルーピンの机に紅茶を置き、出し抜けに言った。
「先生、まね妖怪ボガートと戦ったあの日のことを覚えていらっしゃいますか?」
「ああ」ルーピンがゆっくりと答えた。
「どうして僕に戦わせてくださらなかったのですか?」ハリーの問いは唐突だった。
ルーピンはちょっと眉を上げた。
「ハリー、言わなくともわかることだと思っていたが」ルーピンはちょっと驚いたようだった。
ハリーはルーピンがそんなことはないと否定すると予想していたので、意表を突かれた。
「どうしてですか?」同じ問いをくり返した。

「そうだね」ルーピンはかすかに眉をひそめた。
まね妖怪ボガートが君に立ち向かったら、ヴォルデモート卿の姿になるだろうと思った」

ハリーは目を見開いた。
予想もしていない答えだったし、その上、ルーピンはヴォルデモートの名前を口にした。これまでその名を口に出して言ったのは(ハリーは別として)ダンブルドア先生だけだった。

「たしかに、わたしの思い違いだった」ルーピンはハリーに向かって顔をしかめたまま言った。
「しかし、あの職員室でヴォルデモート卿の姿が現れるのはよくないと思った。みんなが恐怖にかられるだろうからね」
「最初はたしかにヴォルデモートを思い浮かべました」ハリーは正直に言った。
「でも、僕__僕は吸魂鬼ディメンターのことを思い出したんです」
「そうか」ルーピンは考え深げに言った。
「そうなのか。いや…感心したよ」
ルーピンはハリーの驚いたような顔を見てふっと笑みを浮かべた。
「それは、君がもっとも恐れているのが__恐怖そのもの__だということなんだ。ハリー、とても賢明なことだよ」
なんと言ってよいかわからなかったので、ハリーはまた紅茶を少し飲んだ。

「それじゃ、わたしが、君にはまね妖怪ボガートと戦う能力がないと思った、そんなふうに考えていたのかい?」ルーピンは鋭く言い当てた。
「あの…はい」急にハリーは気持ちが軽くなった。
「ルーピン先生。あの、吸魂鬼ディメンターのことですが__」
ドアをノックする音で、話が中断された。

「どうぞ」ルーピンが言った。
ドアが開いて、入ってきたのはスネイプだった。
手にしたゴブレットからかすかに煙が上がっている。ハリーの姿を見つけると、はたと足を止め、暗い目を細めた。
「ああ、セブルス」ルーピンが笑顔で言った。
「どうもありがとう。このデスクに置いていってくれないか?」
スネイプは煙を上げているゴブレットを置き、ハリーとルーピンに交互に目を走らせた。
「ちょうどいまハリーに水魔グリンデローを見せていたところだ」ルーピンが水槽を指差して楽しそうに言った。
「それは結構」水魔グリンデローを見もしないでスネイプが言った。

「ルーピン、すぐ飲みたまえ」
「はい、はい。そうします」ルーピンが答えた。
「一鍋分を煎じた」スネイプが言った。
「もっと必要とあらば」
「たぶん、明日また少し飲まないと。セブルス、ありがとう」
「礼には及ばん」そう言うスネイプの目に、何かハリーは気に入らないものがあった。
スネイプはニコリともせず、二人を見据えたまま、あとずさりして部屋を出ていった。

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